月下樹のおと

樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。

1/25(金) シアタータンク2018 『ペール・ギュント』

2019-01-28 20:34:02 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等


1/25(金) シアタータンク2018
『ペール・ギュント』

まずは、三女(小3)の感想。
あちこちに行ってしまうペール・ギュントを
ソールヴェイが待っていてくれて良かった。
大ピンチになった時、
証人になる…ということで救ってくれた。
それは良かったと思った。

でも、舞台上での彼女は
大階段のてっぺんでずっと座って待っていた。
長い間待ってるのに早く帰って欲しかったと。
そろそろかと思いきや、
また何か起こって帰らずで。
まだ帰らないの?忘れてるのかと思った、と。
若干お怒りモード。

確かに、それは思った。都合がいいかもね。
死んだ母も姿を現し、
二人でペールを子どものように抱く場面。
良かった…という気持ちはあったけど
オンナの現実目線だと、
ふーんと思ってしまう部分もあるのよね。

そうじゃない生き方をした男の話もあったし。
罪のないものが、いつも苦しむ…てセリフ
なかったっけ?ふと思い出したり。

ペールの母が彼を
愛しい子、と言っていたように
男の子を持つ母はそういうものかもしれない。
私の子は女子ばかりだし。だとしても
他の母親は我が子を愛しいと思うもの、かも。
確かに私にもそんな気持ちはある(笑)。

ただ、濃い関係だからこそ
憎らしく思うこともあるわけで。
そんなきれいな気持ちでいられない、
自分自身にも巣食う訳の分からなさを
わりとよく感じる。
なので、自分はあそこまでの
気持ちになれるかな…と思ってしまうのだ。

そんな
とてもお騒がせなペール・ギュントだけど、
中途半端と言われていた。(あれで?!)
だから溶かしてボタンの材料にするのだと。
彼なんて私から見れば十分 破天荒で
中途半端とは無縁に思える。
そんな基準なら、自分など
真っ先に中途半端と判定されそう。

それでもやっぱり、
色々な人の生き様があっていいのかなと思う。
どんな基準があろうと、それは結局
誰かが決めた物差しでしかない。

自分自身だったか?という問いは
誰かと比べてどう、
ということではないのだろう。
自分自身へ問うことは、ある意味
人と比べるより難しいことかもしれない。

トロルの、
自分自身であることに満足する、とは?
足るを知るともいうけれど……
あるものに目を向けることや
多くを望まないことと、
葛藤しつつ模索することは、きっと違う。

簡単に答えが出ない、すっきりしない。
けれど、それが嫌じゃない。

ペール・ギュントは
人生の大部分を終えたらしいが、
それを見ている自分たちは、まだこれから
という気持ちになった。
それは実年齢がいくつ、ということではなく
残りの時がわずかでもある限りという意味で。

ペールを溶かそうと迫ったボタン作りの男、
ペールが難を逃れた後に、また会おう!
みたいなことを言ったような。
いつでもお前を見ているぞと言わんばかりの。

問われ続けている。
だから自分も問い続けなければ、と
奮い立つような気持ちになった。

そう思うと、じーんとくるものがあった。
男であれ女であれ、どんな人間であれ
その辺の区別はどうでもいいけど、
もう少し自分のことを考えてみようと思った。

………………………………

それにしても、集団での動きが面白かった。
例えば、森の木々や草のざわざわ。
例えば、ペールの問いに応える存在。
顔、顔、顔、がギョロっと視線を向ける様。
誰か一人が一人として表現すること
だけでなく、人間の体が集まっての表現も
面白いなと思った。
とても一人では出来ないこと。
どう言葉で表したらよいか分からないけど…
舞台の上に存在するのは
役としての人間だけじゃない。
他のモノや、普通なら目に見えないモノも。
それを人の体を通して
見たり感じたり出来るのは
なかなか日常では出来ない体験だと思った。
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1月27日(日)のつぶやき

2019-01-28 05:08:07 | 日記等 未分類
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