ダイヤモンドトレイル、紀泉山脈を歩く

大阪。奈良、和歌山県境のハイキング尾根道のダイヤモンドトレイルや紀泉アルプスを歩いた記録です。

申年の初めに「猿子城山」へ行きましたが、後味の悪い山歩きでした。 2016年1月10日 その2

2016-01-12 15:00:08 | ダイヤモンドトレイル紀泉山脈を歩く
猿子城山、槇尾山 その2
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槇尾山山頂に着いてたのしみにしていた弁当を食べようと見渡したら、なんとベンチが無い。
一つ残らず撤去されている。なんてこった。誰がやったのか。
やはり あの侵入禁止のロープと無関係があるのだろうか。

仕方が無いので 地面にシートを広げてお弁当を食べた。お尻が冷たい。
満願寺のほうから蔵岩経由で 沢山の方が登ってこられた。

みなさん 施福寺の宿坊横から蔵岩へ登りたいけど 寺の坊主が道をふさいだので 仕方無しに満願寺から
回って来たとおっしゃる。

何人かの女性たちは「あの住職、早く死ねばいいのに」とご立腹だった。私も全く同感である。
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大阪湾のほうから真っ黒い雲が押し寄せてきて 霰がバラバラと降ってきた。しかしすぐに霰は止んだ。
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蔵岩のほうへ行こうとして山を下る。こんなロープがあったのかなあ。
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ロープを握り降りていると こんな張り紙が捨てられていた。
ベンチを作った人が 頭に来て張り紙を破って捨てたのだろう。良く分かるなあ。
何のために 何の権利があってベンチを撤去したのだろう。ひどすぎる。
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暫く降りると蔵岩へ行かずに こんな水溜りに出た。採石場だ。道を間違えた。
再び山を登り 槇尾山へ上る。やれやれだ。
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山頂から蔵岩へ行く道の標識を どうもあの「農と緑」の馬鹿たれどもが撤去したのだ。
ほんとに頭にくる。良く探して再び蔵岩へ。ようやくたどり着いた。
このあたりは分かれ道が多く迷いやすい。だから標識をつけたのに。
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振り返ると槇尾山が見える。そしてご夫婦が登ってこられた。
私が入口のロープを外したので、続いて登ってこられたらしい。

本当は施福寺の宿坊から蔵岩へ登り 槇尾山から猿子城へ行く予定だったそうだが、寺の坊主が枯れ枝で
バリケードをして通れなかったので 仕方なく大回りして私の後を付いてこられたらしい。
またアップダウンを繰り返して 巡礼古道へ引き返す余裕は無いので ここから下山すると仰ったので
ご一緒することにした。
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足元に施福寺の屋根が見えている。直接下れば すぐにダイトレに出られるが ダイトレ直前で
坊主がバリケードを作り通せんぼしているので みんな困っているのだ。
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岩湧山も近くに見える。あの山からもこの蔵岩が良く見えるので当たり前なのだが。
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大阪湾のほうは相変わらず雲が多い。霰は止んでいるのだが。
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蔵岩から 施福寺へ降りる分岐点に私が付けた標識は 不思議な事に残っていた。
ここを左に行くと 満願寺と公園駐車場だ。
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急斜面の下降はロープが残してあり、助かった。無ければかなり危険な下降だ。
先ほどのご夫婦と 三人で下る。
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ロープは全部残されていて安全にあっという間に 降りれた。
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この壊れた水槽に出てくる。ここから普通の山道だ。
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山道を三人で おしゃべりしながら歩く。
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すぐに宿坊に着いたけど、ここからダイトレへ出る道は すべて寺の坊主がふさいでいる。
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以前この山でお会いした この山の常連さんのOGさんが設置された道からダイトレへ直接降りようとしたら
その道も坊主が壊していた。持参していたロープで 安全にダイトレへ降りれた。
ここでご夫婦とお別れした。ご夫婦も坊主にご立腹だった。
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宿坊周りを通らずに(通せないようにしてあるので)直接ダイトレへ降りようとしても
このような枯れ枝が ダイトレに沿って 上を向いて並べてあり、降りれないようにしている悪意の象徴だ。
もちろん宿坊周りの ダイトレへ通じる道と言う道はすべて 坊主により 枯れ枝でふさがれている。
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あの坊主が和泉市をたきつけたのか こんな看板も新しく張ってあった。
和泉市の職員は あの程度の低い河内長野市の職員以下やなあ。
岩湧の山道に対して何もしない 河内長野市職員のほうがまだましだ。
和泉市職員は 山歩きのハイカーの邪魔をして喜んでいる。最低だ。
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かなり気分を悪くしながらダイトレを滝畑へ向う。
この道は大阪府管理のダイトレで あの坊主や和泉市の職員どもは手を出せないのだろう。
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この石垣も 昔の宿坊の名残だ。今はあの坊主がバリケードしている一箇所の宿坊の建物だけが残っている。
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一丁ごとの 丁石地蔵さんを見て ドンドン下るとすぐに「追分」に到着。
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追分の首無し地蔵さんを拝んだら 今度は急な登りだ。
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番屋峠到着。ぴかぴかの 痛々しい新しい「鉄条網」が迎えてくれる。これも和泉市の仕業だろう。
家族で楽しく歩くハイキングコースに なんでこんな痛々しい事をするのか 理解できない。

世界遺産の高野町石道を ゴルフ場の中を通してハイカーを歩かせる和歌山県と 程度の低さがあまり変わらないなあ。
程度の悪い行政の職員は何をしでかすか 分からないなあ。
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あのブールーの水溜りが番屋峠の足元に見える。あの槇尾山からの間違えた道はこの辺りに降りてくるのだろうか。
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今日二度目のボテ峠に帰って来た。やれやれ滝畑まであと30分ほどだ。
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滝畑に帰着したのは日が傾いていた。10時半に出発して16時半帰着。6時間の歩きだが お昼ごはんに15分、
後7組のご夫婦と施福寺の坊主や滝畑の山人の暴挙の悪口を言い合っていたおしゃべり時間は 合計1時間以上だろう。
実際の歩行は4時間強だと思う。今日はおしゃべりが多すぎた。それより 悪意に満ちた嫌がらせが多すぎた。
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実際に歩いた記録。
※ガーミンの調子が悪く スタート地点とゴール地点がうまく表示されないので私が修正しました。
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距離の割にはアップダウンがきつく 累積標高差は735メートル、歩行距離は9キロでした。
おしゃべりをなくして さっさと歩けば やはり4時間強かなあ。
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一日置いて岩湧山山頂から猿子城を見た写真です。
眼でコースを追うとなかなか楽しいものです。
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このコースの山歩きで 滝畑の山ビト、施福寺の坊主、和泉市職員の悪意に満ちた嫌がらせで
「もうあんな山行くもんか」と思いましたが、考えてみたら それこそあいつらの思う壺なのです。

これからはせいぜい頻繁にあの山を歩いて 常連さんたちと連絡しあいながらせっせと標識を取り付け、
テープの目印を取り付け、危険箇所にはロープを取り付けて、あいつらのほうが嫌がるようにしようと思いました。

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2 コメント

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Unknown (かねこ)
2019-06-04 17:25:07
その坊さんの私有地なのですか?
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気違い坊主と程度の低い市職員 (ダイトレ小僧)
2019-06-09 23:24:32
施福寺は古いお寺です。空海が予定を早めて唐から帰国した後都へ戻れずしばらく施福寺で滞在していたと「空海の風景」で司馬遼太郎が書いていたほどです。寺と和泉市の境界も不明なのでしょう。程度の低い和泉市職員もあの気違い坊主の言いなりなのでしょう。施福寺は観光資源ですから。滝畑集落の古老T氏はテレビにも出る有名人ですがあるとき私に「あの坊主は気が狂うとるさかい近づくな。先代は人格者でワシも親しかったけどなあ」とおっしゃっていました。
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