二日目の午前中には霊山勝境へ向かいました。霊山勝境はなにやら仏像やらがある場所とのこと。
道中遠くからも立っている仏像の姿が霞んで見えて、目的地に近づいていることが分かります。
到着すると、やはり仏像の大きさは結構なもの。遠くから見えた仏像は立像でした。
早速入り口から入ると、霊山大照壁という壁というかもんのようなものがあり、進むにつれて仏足があったり、香を焚いたりするお寺ならではの風景が広がっていました。
しばらく歩いていくと、丸い広場の真ん中に塔のようなものが立っています。塔は真鍮のような色ですが、この塔だけはかなり年季が入っているような印象。しばらくするとスピーカーからは演出されたような大きな声が聞こえてきます。
何が始まったのやらと、周囲の人と中心の塔を見ているとクライマックスのような音楽に合わせて噴水が出始めました。
そして、噴水は音楽とともに徐々に激しさを増してきて、盛り上がりとともに塔の先端についた蓮の花がゆっくりと開きだし、中から幼少期の仏陀が徐々に見えてきます。
年代モノと思っていた塔は完全に機械仕掛けの新しい建造物でした。音楽とともに完全に開いた蓮の花からは仏陀が姿を現しました。完全に出きったところで、噴水は塔の先端まで強烈に水を噴き上げ、仏陀の姿が見えなくなるほど。年季が入っているように見えたのはこれによって錆びていたからのようです。ナンダヨ。
水が止まった後の仏陀はゆっくりと足元が回転を始めて、周囲の観客全てに顔を向けるようにできていました。
そう、この施設は仏教をテーマにしたテーマパークだったのです。その観点で見れば周囲の設備は皆最近できたもののようで真新しいものでした。なるほど~こんなのもあるのかーと関心しきり。潤沢なお布施の予算を使って作った一大観光地です。ドンドンゴージャスになっていく静安寺もそうですが、仏教に対する信仰の深さと中国の仏教の集金力のものすごさを感じずにはいられません。
その後、途中には巨大な仏手があり、天下第一掌と書かれていました。
進む途中にはまだ建築中のものがあって、工事のおっちゃんらがせっせとコンクリートを塗ってました。完全にできる前にオープンしているというのはいかにも中国らしいですね。
そして、寺を過ぎた後にはメインの巨大立像が目の前にドーンと現れます。
立像までは階段が連なっていて、まだまだ足元に行くのは険しい道のり。仏陀に見下ろされながら、一歩ずつ近づいていきます。これも修行という意味があるのでしょうか。
息を切らして階段を上って仏陀の足元に到着するとプチ達成感。完全にテーマパークのペースですね。
ちなみに、仏像の立っている蓮の花の一枚一枚には寄付した方の会社名と名前が彫っていました。これほどの大きさの仏像の寄付となるとかなりのものなのではないでしょうか。とこんなことを書いているようじゃ悟りはまだまだ開けんなぁ。
また、仏像のことをちょっと検索してみると、こんなのを発見。仏像の右手を上げてこちらを向いているのは「施無畏印(セムイイン)」と言って、緊張せずに説法を聞きなさいという意味合い。右手を下に下げているのは、「与願印(ヨガンイン)」と言って、願いを聞き入れて望む物を何でも与える意味合いがあるのだとか。へええぇー、そんなの考えたこともなかった。
仏教については、将来きちんと学問的に勉強してみたいものです。