山本周五郎氏は幾たびか機会があった直木賞などの文学賞をことごとく辞退している。
彼は純文学が上で大衆文学が下劣などの当時の世評や常識に強く反感を抱き抵抗したのだった。
山本周五郎は39歳のときから、真の文学者に生まれ変わったのだとある評論家が書いていた。
「・・・氏は生活のため、心に染まぬ読み物を書いてきたが、39歳のとき、常識の衣を脱ぎ、裸の心で文学的な開眼をした。じかに読者の魂に語りかける方法を作り出したのが、まさに39歳のときだった。・・・」
この評論家氏のいう真の文学者とはいかなるものだろうか? もしかして、この評にも山本氏は不満かもしれないと思うのである。
その評論家氏は、こうも云うのである
「39歳で自裁した太宰治から、真の文学的人生を39歳でバトンタッチした」と。
・・・・そうだ自分はこの世で広く認められなくてもよい、出世しなくてもよい。しかしこの人間の世界、宇宙の中でないかひとつ確かな役割を果たしたい。いや果たせなくてもそう願っていることだけで価値があるのだと、はじめて気付く・・・・
山本周五郎の文学は、生活に疲れた中年の人々の心に希望の灯を点じてくれるのだ。山本周五郎の文学は、太宰治の文学と共に、他の文学と比較できない特別の存在であるのだ。・・・・・
評論家氏のこの文章には、自然な同意が出来るが、本当に判っているのかと問われるといささか心もとないのである。その理由はいたって簡単なことである。小生が全く太宰治の文章を読んでいないためである。
小生が山本氏の感覚・感受性を強く感じた一文を氏のエッセイから引用してみた。
・・・・・青年時代に中流以上の家庭生活をかなり多く見てきた。その中には一人の子爵と二人の男爵もいたし、(中略)、これらの大部分が虚栄と見栄外聞のために生きていることにうんざりし。
・・・・・その他の多くは「ざあます」調の、鼻持ちならない虚飾と虚栄のかたまりのような---そのくせすぐ裏の見えすく---実生活から浮きあがった家庭のほうが圧倒的に多かった。
・・・・・貧しい人たち、貧しい生活の中には、ゆたかな人間性があり、はかることが出来ない未来がある。・・・・・
この感覚も多くの人達が等しく感じることで、山本周五郎氏専売というわけでもない。
ただ、人一倍この観念が強かったことが氏の作品に表れているのだろうと、判った気になっているが、果たしてそうなのだろうか・・・。