日野 草城は、無季俳句を容認したことなどで「ホトトギス」を除籍され、虚子から独立した俳人である。
新興俳句の「旗艦」を主宰し、新興俳句の一翼を担い、「俳句を変えた男」とも言われている。
こひびとを待ちあぐむらし闘魚の辺 日野 草城
この句は、昭和九年の作、句集「昨日の花」所載。
「伝統俳句」時代の自作を「昨日の花」に例えたとのこと。
さぞかし、虚子の神経を逆なでしたことであろう。
当時、草城は大阪の大手保険会社に勤務していた。
彼は、近くにある中ノ島の朝日新聞ビルのフルーツパーラー(茶房)をよく利用していた。
その茶房は、恋人達の待合場所でもあった。
その入り口に「闘魚」の水槽があった。
恋人を待ちあぐねている若い人の様子、を詠んだものと言われている。
この人が、若い女性だと、景が一段と美しく感じられる。
この句は、先日初めて知った句である、そしてあることに気が付いた。
昨年逝去された「逃魚」先生は、この句を当然ご承知であったろうと思う。
それ故、「逃魚」と名乗られたのは、この句が下敷きになったのではなかろうか、小生には思えてならないのである。
「先生の俳号の由来は、小生の推測通りでしょうか?」
ニコニコ笑いながら「・・・君ー、それはねー・・・・。」
どういう答えが返ってくるのだろうか?
今となっては、確かめようもない。
追記:
「日本の名俳句100選 金子兜太選」に掲載されている。
ところてん煙のごとく沈みをり 日野草城
最近では、このような風景にお目にかかる機会は皆無である。
小生の年代でも、そろそろこの句を理解できなくなってきたようである。