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12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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こひびとを

2007年11月17日 06時53分52秒 | Weblog

 日野 草城は、無季俳句を容認したことなどで「ホトトギス」を除籍され、虚子から独立した俳人である。

新興俳句の「旗艦」を主宰し、新興俳句の一翼を担い、「俳句を変えた男」とも言われている。

       こひびとを待ちあぐむらし闘魚の辺   日野 草城

 この句は、昭和九年の作、句集「昨日の花」所載。

「伝統俳句」時代の自作を「昨日の花」に例えたとのこと。
さぞかし、虚子の神経を逆なでしたことであろう。

当時、草城は大阪の大手保険会社に勤務していた。
彼は、近くにある中ノ島の朝日新聞ビルのフルーツパーラー(茶房)をよく利用していた。

その茶房は、恋人達の待合場所でもあった。
その入り口に「闘魚」の水槽があった。

恋人を待ちあぐねている若い人の様子、を詠んだものと言われている。
この人が、若い女性だと、景が一段と美しく感じられる。

 この句は、先日初めて知った句である、そしてあることに気が付いた。

昨年逝去された「逃魚」先生は、この句を当然ご承知であったろうと思う。
それ故、「逃魚」と名乗られたのは、この句が下敷きになったのではなかろうか、小生には思えてならないのである。

 「先生の俳号の由来は、小生の推測通りでしょうか?」
     ニコニコ笑いながら「・・・君ー、それはねー・・・・。」
   どういう答えが返ってくるのだろうか?

今となっては、確かめようもない。

追記:
「日本の名俳句100選 金子兜太選」に掲載されている。

    ところてん煙のごとく沈みをり  日野草城

最近では、このような風景にお目にかかる機会は皆無である。
小生の年代でも、そろそろこの句を理解できなくなってきたようである。