去る5/18(土)、「さいたま芸術劇場音楽ホール」で開催された「器楽フェスティバル」にボン・コラージュと出演しました(写真)。
「ボン・コラージュと」と書いたのは私は2年前、同イベントに出演したのを最後に退団したのでした。歳が80過ぎて夜の練習が大変だったからです。
一方、去年茨城の団体「もりの笛」がバッハの「ブランデンブルク協奏曲第3番」をフルートフェスティバルin茨城とフルートコンヴェンションでやるというので私が押しかけ出演させてもたいました。そのコンヴェンションをボン・コラージュの取りまとめのI 氏が聴きに来てくれて、「これをボン・コラージュでやろう」と思い立って、そのコントたバスフルートを私がやってくれと頼まれました。
前記のようなわけでもうボン・コラージュは退団していたのですが、せっかく私が参加した「もりの笛」の演奏を聴いて「これをやろう」と思うたったんだし、私の古巣ではあるし(というかボン・コラージュは私が作った団体)ということで、老骨に鞭打って参加したのでした。
曲は (バッハ)「ブランデンブルク協奏曲第3番」第1~第3全楽章
(谷村新司作詞、弾厚作=加山雄三作曲)「サライ」
「ブランデンブルク協奏曲第3番」はもともとヴァイオリン、ビオラ、チェロそれぞれ3パート∔コントラバスという大変な編成の曲を、W先生が普通のフルート、アルトフルート、バスフルートそれぞれ3パート✙コントラバスフルートに編曲された楽譜を使って、楽器を必死で集めてパートを成立させました。これは画期的なことです。
今回の演奏は技術的にどうだったのか分かりませんが、会場を突き破って行くようなインパクトが有る演奏だったと思いました。
その後出演した人達とは会っていないので分かりませんが、皆思い出に残るイベントだったと思います。
「ボン・コラージュと」と書いたのは私は2年前、同イベントに出演したのを最後に退団したのでした。歳が80過ぎて夜の練習が大変だったからです。
一方、去年茨城の団体「もりの笛」がバッハの「ブランデンブルク協奏曲第3番」をフルートフェスティバルin茨城とフルートコンヴェンションでやるというので私が押しかけ出演させてもたいました。そのコンヴェンションをボン・コラージュの取りまとめのI 氏が聴きに来てくれて、「これをボン・コラージュでやろう」と思い立って、そのコントたバスフルートを私がやってくれと頼まれました。
前記のようなわけでもうボン・コラージュは退団していたのですが、せっかく私が参加した「もりの笛」の演奏を聴いて「これをやろう」と思うたったんだし、私の古巣ではあるし(というかボン・コラージュは私が作った団体)ということで、老骨に鞭打って参加したのでした。
曲は (バッハ)「ブランデンブルク協奏曲第3番」第1~第3全楽章
(谷村新司作詞、弾厚作=加山雄三作曲)「サライ」
「ブランデンブルク協奏曲第3番」はもともとヴァイオリン、ビオラ、チェロそれぞれ3パート∔コントラバスという大変な編成の曲を、W先生が普通のフルート、アルトフルート、バスフルートそれぞれ3パート✙コントラバスフルートに編曲された楽譜を使って、楽器を必死で集めてパートを成立させました。これは画期的なことです。
今回の演奏は技術的にどうだったのか分かりませんが、会場を突き破って行くようなインパクトが有る演奏だったと思いました。
その後出演した人達とは会っていないので分かりませんが、皆思い出に残るイベントだったと思います。