H氏奮戦記

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桜の堤でテニス

2021-03-31 22:14:55 | 日記
昨日(3/30(火))は誘われて荒川河川敷の秋ヶ瀬公園コートでテニス。
いつも近所の北浦和駅近くの公園のコートでやっている10人ぐらいのメンバーの一人が誘ってくれて4人でのテニスでした。
ダブルスは2人X2=4人でやるので2時間ぶっ続けで相当ハードでした。

今ちょうど桜が満開でここでも荒川の堤の桜の下でテニスでした(写真)。
昨日は曇りでバックが青空でなかったので残念。

ここは仕事現役時代テニススクールに入っていて毎週土曜日に通ったところでした。
そこのコーチは大変ストイックな方で、「バックは必ず両手打ち」「サーブは必ずスピンサーブ」「ダブルスではサーブしたら必ずネットダッシュ」などなどきびしく鍛えられました。スピンサーブと言うのは頭の後方にトスを上げて上に向かって思いっきりスピンをかけて打ち上げるサーブで、プロがセカンドサーブでやっているサーブです。
今は当時とは似ても似つかないテニスで、今もスクールは続いているのでコーチに出くわしたらどうしようと思いましたが幸か不幸かこの時間該スクールはやっていませんでした。

他の3人は私より10〜15歳年下ですが私の数十年前と同じで3人ともスクールに通っていて今夢中の人たちで、そういう中に誘ってくれたことにまずは感謝です。
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フルート、思い出の曲

2021-03-28 20:15:51 | 日記
今、VHSや8mmビデオで撮ったビデオテープをHDD(ハードディスク)にダビングしています。
紙の資料をファイル化するのと同じです。

大部分がオペラ、交響曲、あるいは世界の祭典的行事などですが、中にひっそりと「ジャン・ピエール・ランパル フルート名曲集」と言うのが有りました(写真)。いつ録画したのか分かりませんが多分ランパルの最晩年のものだと思います。

そして曲がなんと:「ハンガリー田園幻想曲」、(バッハ)「管弦楽組曲」第2番より「ポロネーズ」と「バディネリ」、(ドビュッシー)「シリンクス」、「アルルの女第2組曲」より「メヌエット」、「カルメン」より間奏曲、(エネスコ)「カンタービレとプレスト」、(フォーレ)「ファンタジー」、(ジュナン)「ベニスの謝肉祭」
最初に‘なんと’と書いたのは私のフルート練習の黎明期に一所懸命に聴いて、近ごろでは大家の演奏がめっきり聴かれなくなった種類の曲がずらっと並んでいるからです。

ランパルの初来日が1964年(昭和39年)。私がフルートを始めたのが翌1965年。その頃こういった曲のLPレコードを聴き、またランパルのリサイタルを上野の東京文化会館に聴きに行きました。ヘンデルのソナタなど「この世にこんな美しい音楽が有ったのか」と思いました。
ランパルは再三来日し、私はニコレとの共演や「パリバロックアンサンブル」(今有るのか?)なども聴きました。
当時若手のホープだったラリューとの共演も有りました。

近頃はフルートの演奏会と言えば常軌を逸した現代曲や「これ一体いつ終わるの?」と思うような知らない作曲家の曲ばっかり聴かされるので全然行かなくなりました。HDD+テレビ+ステレオ装置で思い出に浸ることになりそうです。
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シーズン開幕

2021-03-26 20:23:22 | 日記
今週3/22(月)〜25(木)御代田の家に行ってきました。
昨年12月家を閉めて以来今年初めてです。家を閉めるというのは一番大きな作業は水道管の中の水を抜くことです。

数年前までは「都会では見られない雪景色を見よう」などということで1~2月も行っていました。
しかし寒いし日は短いしでこの数年やめようということになったのでした。

ところで22日(月)の朝ニュースで「浅間山に火山性地震が発生して煙の量が多いので500m以内立ち入り禁止」と言っていました。
私の家は7kmぐらいあるので当面大丈夫です。
写真は22(月)の浅間山です。これくらい煙が出ているほうがきれいですが今日(26(金))のニュースで「富士山が大爆発をすると溶岩は相模原の辺りまで来る」と言っていました。「きれいだ」などと言っている場合ではありません。

御代田の家も退職と同時に買ったので20周年を迎えました。この間フルートアンサンブルの仲間、ゴルフ仲間、テニス仲間、家内の教会の仲間など多くの人が来てくれました。今年は今のところ5月連休にゴルフ仲間が見えるだけですが、私共が元気なうちにまた皆さんに来てもらって楽しい時を過ごしたいものだと思います。
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足利でゴルフ

2021-03-17 20:53:00 | 日記
昨日(3/16(火))誘われて足利でゴルフをやってきました。「足利城ゴルフクラブ」と言うところ。
足利と言えば先日山火事が盛んに報じられました。
誘ってくれたS氏はこのゴルフ場のメンバーなので「あの山」、と遠くの山を教えてくれましたが、もちろん山火事のあとは分かりませんでした。

ゴルフは快晴で気温も22℃あり快適でした。

コロナ対策は、ハウス内はもちろん十分にやられていて、プレー中は屋外なので自然に換気されていて、こういう時期にやるのに良いスポーツだと思いました。
プレー中マスクはしないのですが昼の休憩でクラブハウスに入るとき、係の人に「マスクをして下さい」と言われ、ポケットやバッグを必死で探したが見当たらず焦ったのですがハタと気が付きましたが顎マスクをしていたのでした。

写真は帰りの東北道上りの「羽生パーキングエリア(PA)」です。ここが平日なのに、コロナなのにごった返していました。
ごった返しも撮ったのですが、他人の顔が良く写っているので載せるのはやめておきました。

このPAは、ご存知の方も多いと思いますが写真のようにPAらしくない建物で、「鬼平犯科帳江戸処」と言って、日本橋大通りをイメージした建物や暖簾などがありました。うなぎ屋が有ったり「なっとなっとー(納豆)」と言う声が聞こえたり・・
私はソフトクリームを食べただけなのでウナギも納豆も関係ありませんでした。

(蛇足)今回の事と関係ありませんが先日面白い光景を見ました。かかりつけの医院の待合室の3人掛けのベンチの真ん中にⅩ印が貼ってあって両端
2人掛けにしてあったのですが、片方の一人分の所に老ご婦人が2人お〇りを寄せ合って話し込んでいました。



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フルートレッスン20周年

2021-03-13 19:59:02 | 日記
このR3年3月でフルートのやり直しのレッスン20周年になります。

私がフルートを始めたのは24歳、会社に入った時でした。
それから15年ぐらい個人レッスンを受け、仕事が忙しく、家があちこち変わったり、子供が生まれたりで20年ほどブランクが有って、57歳の時鎌倉新フルート合奏団に出会って再開しました。
その3年後、2001年3月(平成13年)鎌倉新フルート合奏団のI先生にお願いしてやり直しのレッスンを始めたのでした。
ですから今年2021年3月で20周年になります。
さいたまの家から横浜まで通いました。

教則本は最初はアルテス1巻(写真)。ソラソミファソファレです。教則本に走り書きでH13年3月と書いてあるのが見えます。
その1か月前にさいたまにフルートアンサンブル・ボン・コラージュを作りました。アルテス1巻を始めたばかりの者が代表になって仕切っていたのでベテランのメンバーとはいろいろありました・・・
それと、経験者の団体、鎌倉新フルート合奏団に良く入れてもらえたと思いました。

60歳になって再開したレッスンなので超絶技巧を目指しても無理なので、易しい曲を良い音で吹けるように、ということでレッスンをお願いしました。先生も、もとよりそのつもりだったようです。
とてもやさしい先生ですが「Hさんの音はこうなっています・・カシカシカシ・・この音は音楽には使えないんです」とか、エチュードには速度が指定してあるので必死でさらって行くと「Hさんのはこうなっています・・スコスコスコ・・これは音楽ではありませんから・・」ということでテンポを半分近くおとしたりたりしています。

お陰様で音は20年前よりは格段に良くなっていると思います。ただ、アンサンブルではずっとバスフルートやコントラバスフルートばかり吹いてきたので、残りのフルート人生、「アンサンブル・ルーエ」と「ボン・コラージュ」で普通のフルートを吹こうと思っています。
団体への貢献度は低音楽器の方がずっと有ると思いますが。





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