本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

俘虜記 大岡昇平  新潮文庫

2005-08-31 | 小説

 読み終えるのに結構時間がかかりました。途中少し退屈するのは事実です。だって俘虜の生活はちっとも劇的ではないのです。非日常的な日常とでもいうのでしょうか。  

 アメリカ軍は、条約に基づいて俘虜を取り扱ったので、塀の中で不自由な身とは言え、内地にいる普通の日本人たちよりずっとよいものを食べ、賭けをしたり、酒を飲んだり、たまには喧嘩をしたりしながら、人間の社会を作って行くのです。その様子を当事者でもある作者が、冷静に分析をしていくのです。  

 戦争を考えるだけでなく、人間、集団、日本人などについて本当に考えさせられる本でした。また、召集時に既に社会人としての生活を持っていた世代の、戦争に対する見方は、今生き残っている世代(軍国少年少女世代)とは違っていて、当時の日本人の戦争に対する見方も実はいろいろだったのだなと、当たり前のことに気づかされます。  

いろいろ心に残る言葉はありましたが、一番心に残ったのは、次の文章です。

全てこうした日本人が戦争と言う現実に示した反応は今日単に「馬鹿だった」と考えられている。しかし自分の過去の真実を否定することほど、今日の自分を愚かにするものはない。」

戦争に負けたことによって日本人は自分たちの過去を全否定したために、何故そうなったのか、どこが悪かったのかという分析をせずに60年過ごしてしまったのかもしれません。そのことが今の日本人を愚かにしている一番の原因かもしれませんね。

 この本は、長く読み継がれていって欲しいと思います。


取引 真保裕一  講談社文庫

2005-08-18 | 小説

 会社の人から、頼まないけど廻ってきました。作家の方には申し訳ないけれど、本にとっては廻し読みされるのが幸せ、だと私は思います。  

 この本は、公正取引委員会の審査官が、ODAにまつわる談合をフィリピンで調査する・・・のかと思ったら、ある日本人誘拐事件にどんどん巻き込まれていくという話です。  経済援助という名前の裏で、そのもたらす金に群がる日本企業の構図が解き明かされていくのかなと最初は思い、かなり後半までそうと信じて読み進んでいったのですが、傍系だと思われた誘拐事件が実はこの話のメインでした。

 そういう意味ではちょっと期待はずれだったかなぁ。  内容は、結構面白かったです。これぞ、”渾身の作”と思いました。少し前に読んだ食品汚染を扱った小説、「連鎖」のあとがきに、”著者はあくまでもミステリーの題材として食品汚染を選んだのであり、社会に何かを訴えようとしたわけではない”ということが書かれてありましたが、この小説でも同じなのでしょうね。

  ただ、もう一つ人物が書ききれていない気がしました。主人公と、高校時代の友人の遠山の関係がちょっと無理がある。高校時代それほど親しくなかったのに、なんでそこまで分かり合えるかなぁ・・・。”良い人だから”と言う以外の必然が感じられないのでした。

  まだまだ初期の作品みたいだし、多分会社では真保裕一のファンがいるので、まだまだ廻ってきそうなので、もう少し最近のものを読むのが楽しみです。  


太平洋に消えた勝機  佐藤晃  光文社

2005-08-15 | その他

 8月だからと言うわけではないのですが60年前の戦争について、もう少し知りたいと思うようになりました。中国や韓国などの反日運動などがきっかけなのかもしれません。

 この本の表紙の写真はそれだけでもなんか物々しくて目をひくのですが、表紙のキャッチコピーも衝撃的。

「陸軍悪玉、海軍善玉」は真っ赤なウソである。

帝国海軍が日本を破滅させた!

 私は、こういう方面は無知ですから陸軍と海軍の組織の違いとか、テリトリーの違いとか何も知らないのです。この本を読むまで、陸軍が戦闘機を持っていたことも知らなかった。ですから、こんなに強く主張をされると、簡単に洗脳(言葉が悪いかもしれないけど)されてしまいます。海軍がもう少し賢かったら、もしかして日本は戦争に勝っていたかも・・・って思えてきます。

 著者は陸軍士官学校卒で、戦後三井系の企業でサラリーマンとして定年まで勤め上げ、その後、執念でいろいろ調べ上げて本を書かれているようです。だからやはり少し偏ってはいるんでしょうが、たまたま、少し前に読んだ「雷撃深度一九・五 (文春文庫 池内司著)」という、史実をベースにした潜水艦小説で、「戦時中海軍は潜水艦の使い方を完全に誤ったため、日本の潜水艦は殆ど戦果を上げられなかった」というようなことが書かれていたので、これまた妙に説得力がありました。

 あの戦争でこうすれば勝てていたかもしれないというようなことは、むなしい仮定で、意味もないと思うのですが、ただし、当時の軍や政府、組織や戦略を省みて、何が悪かったのかということを学ぶのは、意味のないことではないと思いました。なぜなら、今の日本にも同じように腐った組織が沢山あるように思えるからです。状況把握と、適切な判断が必要とされるのは何も戦時に限った事ではないのですから。

 尚、この本は、「光文社ペーパバック」シリーズで、ちょっと普通の本とは違った編集をされています。横書き、英語混じり表記などがその特徴。これについては説明があり、

「これまでの日本語は世界でも類を見ない「3重表記」(ひらがな、カタカナ、漢字)の言葉でした。この特性を生かして、本書は、英語をそのまま取り入れた「4重表記」で書かれています。これはいわば日本語表記の未来型です。」

 とのこと。まあ、”Nice Try!” とは思いますが、成功しているとは言えないなぁ。著者は自分の作品がこんな風に変えられてしまうことに異論はなかったのでしょうか。これについてはまた別の機会に書きたいと思います。

 


安心のファシズム -支配されたがる人々- 斎藤貴男

2005-08-14 | 評論

 この本も帯が魅力的でした。

なぜ私たちは自由から逃走するのか

 まさしくキャッチコピー。ハートをぐっと掴まれました。カバーの折り返しには、。

携帯電話、住基ネット、ネット家電、自動改札機など、便利なテクノロジーにちらつく権力の影。人間の尊厳を冒され、道具にされる運命を強いられるにもかかわらず、それでも人々はそこに「安心」を求める。自由から逃走し、支配されたがるその心性はどこからくるのか。著者の長年の取材、調査、研究を集大成する渾身の書き下ろし。

 とあります。 若者たちの携帯への依存を不思議と言うか少し怖いとさえ思っていたので、そのヒントがかかれているかと、迷わず購入しました。

 騙された・・・・。長年の取材、調査、研究の集大成かぁ。。。。インターネットや新聞、雑誌の記事からの引用が殆どのように思えるのですが、どのくらいかかって取材、研究されたのかなぁ。 あとは、この人の”怒り”があるのみ。

 テクノロジーに人間が支配されるというのは、既に何十年も前にチャップリンが映画にしているので、今更新鮮さはない警告ですが、「自動改札」にわれわれがどんな風に支配されているのかはちょっと面白い視点だと興味深々でしたが、「妊娠している人が、自動改札が怖いとJRに言ったが、ゆっくり通ってくれと言われただけ」、「自動改札で通れる切符を持っているのに有人改札を通ろうとしたら、怒られた」、「車椅子では不便だ」とか、そういうことが書かれているだけなんですよ。それはそれで腹が立つのは判るけど、わざわざ本にするようなことかなあ。なんていうと、きっとこういう人は、「何も考えなくなっている証拠。それこそ権力に知らず知らずに支配されて安心している日本人の典型」とか言われちゃうんだろうなぁ。

 怒ってもいいんですけど、もう少ししっかり研究して、説得力のある文章を書かないと、せっかくの主張も同胞にしか受け入れられないと思いました。


善知鳥 山本昌代  河出文庫文藝コレクション

2005-08-11 | 小説

「行きたくないよ地獄には」

人間存在の無明の深遠を浮き彫りにした傑作短編集

 とあれば、手にとってみたくなります。表題作の「善知鳥(うとう)」他6編が収められています。 

 「善知鳥」は、閉ざされたマンションの一室に住む、家族は何もないように暮らしている。でもそこは地獄。父親は狩猟が趣味、母親は、夫の持ち帰った鳥をつぶして、冷凍庫にためているが、食べるわけでもなく、適当に捨てている。姉は、そんな母親を冷静に見つめ、小さい弟は、何かを知っていそうでもあるが、非常に無垢。それぞれが今、家庭という地獄にいるのを知っているのか、知らないのか。

 へんな話です。能から題材を得て書いたとあります。それ以外の話は、もう少しストーリーははっきりしていますが、どこかおかしい人たちが描かれています。

 「逆髪」は、天皇の皇子として生まれながら、目が見えないために疎まれ、青年になって山に捨てられた蝉丸とその姉である逆髪のやりとり。精神を病んで宮中を出奔し、石礫を投げられたりしながら、里をさ迷い歩いている逆髪は、それまで殆ど言葉も交わしたことのない弟の所にやってきて、自分がこれほど辛い思いをするのはお前の所為だとなじる。毎日水を持ってきては、優しい言葉を少しかけたりもするが、最後にはなじって、謝れと蝉丸を責める。そして、ある日蝉丸が動かなくなっているのに気づくと、その体を踏んで、「誰ぞ、救ってくれ。救ってくれ」と叫ぶのです。 これも変な話ですが、なんとなく受け入れられる所もあり、形にならない何かがぐっとお腹に残るようなそんな話でした。

 変わった話を書く人は結構いますが、私にとって、文章だけがさらさらと意識の表面を流れて、何も残らない話と、なんだかわからないけど気になる話を書く人に分類すれば、この山本昌代と言う人は後者です。

 ちなみに私は結構物分りが悪く、超人気作家の、村上春樹は、全然だめなのです。吉本ばななはOK。一番駄目だったのは、多和田葉子。 とはいえ、駄目だった人はそれ以上読もうとしないので、もっと読めば違ってくるのかもしれませんね。そういえば、小川洋子は、昔、「妊娠カレンダー」を読んで、ちょっとわからんなぁと敬遠してしまっていたのですが、最近「博士の愛した数学」を読んで、結構感動しました。やはり残って行く人はそれなりの力量があるのですね。多和田さんも、またなんか短編くらい読んでみようかなぁ・・・・。 変な話は短編に限る。

 

 

 

 


葉桜の季節に君を想うということ  歌野晶午  文芸春秋社

2005-08-08 | 小説
 「古本屋の女房」と一緒に、図書館の”新しく入った本”の棚で見つけて、手にとりました。てっきり短編集だと思っていたら徹也さんというかたのブログからいろんな人のブログを辿ってみると、どんでん返しのミステリーだと言う事を知りびっくり。どんなどんでん返しかなぁと思いながら読んで、終わりに近づいて”え!、話がなんかおかしいやん・・・。え、あーこういうことやったんか”と最後には感心しました。これって本じゃないとできないどんでん返し。映画や2時間ドラマにはなりそうもないですね。

 すこしばかり探偵の経験がある男が、友人に頼まれて、ある年寄りの不審死について調査を始めます。昔の話や、関係なさそうに見える話を織り交ぜながら最後にそれらが一つに繋がります。

 

 私にとっては、仕掛けは新鮮だったから、★★★くらいでどうかな。と思うけど、先に書いた徹也さんは、よくあるトリックだと書いておられるから、まだまだ私はミステリーには甘いなと思ったのでした。

 

天平の甍 井上靖

2005-08-06 | 小説

ハマリ本!!  

 恥ずかしながら、この年になって初めて読みました。学生の頃の読書量があまり多くないので、こういう名作というのは意外に縁がなかったのです。

  遣唐使として唐に渡った青年僧普照が、鑑真を日本に連れてくるまでの想像を絶する時間と苦難を淡々と描いているのですが、普照、鑑真という主役級よりもそれを取り巻く脇役たちが非常に魅力的で、その古めかしい文体もすぐに苦にならなくなり、読みながらじんわり”おもしろいなあ”と味わえた作品でした。

 なにより私が面白いなと思ったのは、業行という僧です。遣唐使として唐に渡り二十年以上のその殆どを写経に費やしている僧です。初めて普照が変わり者と評判の彼にあったときの言葉が  

自分で勉強しようと思って何年か潰してしまったのが失敗でした。自分が判らなかったんです。自分が幾ら勉強しても、たいしたことはないと早く判ればよかったんですが、それが遅かった。

 なんていうのです。唐に渡ったばかりで、やる気満々の普照には、業行の気持ちがこのときには判りませんでしたが、後に理解できるようになります。

 遣唐使に選ばれるほどなのだから、”秀才”かもしれないが、決して天才ではない。そんな人たちが真摯に生きる姿が新鮮でした。世の中殆どは凡人なのです。「子供たちはみんな個性と才能をもっているから、それを伸ばそう」なんて、今の世の中みんなで、幻想を見ているんじゃないでしょうか。

 本には、”補陀落山渡海記”という短編も収録されていました。この短編の主人公も同じ、真摯に生きる凡人です。まじめに生きる余りに無情な最期を迎えてしまった僧のお話。井上靖と言う人は紛れもない”文豪”だと思うのですが、きっと自分のことを天才だとは思ってなかったのでしょうね。

 私が手にしたのは、実家の父がずっと昔に購入した文庫本で、今手元にないので出版社は定かではないのですが、注解が各ページにあり、探さなくても読めるので、大変便利でした。これを読んで井上靖をもっと読もうと思ったのでした。(そのワリに、その後3ヶ月以上たってもまだ1冊もよんでないのですが。


お言葉ですが6  高島俊男 文春文庫

2005-08-03 | エッセイ

 

 高島俊男先生のシリーズ最新巻です。週間文春の連載のコラムを1年に一冊づつのペースで本にされているということがあとがきにありましたので、もう6年以上続いていると言う事になりますね。 タイトルからも想像できる通り、言葉にまつわるエッセイで、へぇ~~~というような話が満載です。ただ、シリーズを重ねていくとちょっとそれだけではネタ切れされた感は否めません。  

 とはいえ、どんどん面白くなっているのは、読者とのやりとり。たとえば、ある軍歌に「赤鷲」とあるのはなんだ・・という読者の質問から、高島先生の推量を書けば、その記事を読んだ読者が、「何をいっているんだこの物知らず」とまた手紙を送ってくる。私にとっては、その赤鷲が何かなんてどうだっていいのですが、そういうインタラクティブなところが楽しいです。  

 インターネットのブログや掲示板でこういうコミュニケーションが多くあるのでしょうね。でも記事に採用される投書は、基本的に匿名はありません。著者も投書をする人も、そそれなりに責任もって発言していると思います。そこがインターネットの誰でもが勝手に発言できるところと違って心地よいです。  

 さて、下記の文章のどこがおかしいでしょうか?答えは本にあります。 

 「お客様におかれましては、大変お手数ですが、左記送付先まで料金着払いでお送り頂きますようお願い申し上げます。」