本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

華氏451度 レイ・ブラッドベリ

2016-11-05 | 小説

  われわれは、過去一千年のあいだにどんな愚行を重ねてきたかしっているのだから、それをつねに心に留めておけば、いつかは火葬用の積み薪をつくって、そのなかに飛び込むなどという行為を止めることができるはずだ。愚行を記憶している人間をもう少し集めるとしよう。全世代、そろえたいな。 

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)
レイ・ブラッドベリ
早川書房

 SFをあまり読まない私ですが、若い同僚が貸しますと言ってくれたので読んでみました。

 主人公のモンターグは「昇火士」。誰かが本を持っているという通報があれば、駆けつけて燃やしてしまうのが仕事。ある日、近所に住むクラリスという名の少女と出会って、「会話」をしたことがきっかけとなり、自分の中にあった違和感に気づき始める。社会全体が過去を忘れ、人々が交わす言葉に意味が失われ、単に”今”を積み重ねているだけ。身近な人が戦争に行っても、頭の上を戦闘機が飛び交っても、誰も気にしない・・・。

 ストーリー展開としては、粗削りな感じがするのですが、焚書を題材にしているので、”本を読むのが好き”と思っている人達の心に刺さる箇所があちこちにちりばめられています。そういうところが、60年間読み継がれてきた理由なのかなと思います。

 本について描かれた文章を紹介すると、

 この本には毛穴がある。(中略)1枚の紙の1インチ四方あたりの毛穴の数が多ければ多いほど、誠実に記された命の詳細な記録が、より多く得られ、読んだものはより”文学的”になる。なんにせよ、それが私の定義でね。細部を語れ、生き生きとした細部を。優れた作家はいくたびも命に触れる。凡庸な作家はさらりと表面をなでるだけ。悪しき作家は蹂躙し、蠅がたかるにまかせるだけ。さあ、これでなぜ書物が憎まれおそれられるのか、おわかりになったかな?書物は命の顔の毛穴をさらけ出す。

   -----
 

 人は本に対して神のようにふるまうことができる。テレビラウンジに一粒の種をまいて、その鉤爪にがっしりとつかまれてしまったら、身を引き裂いてそこから出ようとするものなどおるかね?テレビは人を望み通りの形に育て上げてしまう!この世界と同じくらい現実的な環境なのだよ。


 確かに、本は、テレビほどの「鉤爪」はない。それは、画像の鮮やかさ・・・リアルさの、脳に与えるパンチ力の違いなのかなと思います。例えば物語を読んだとすれば、イメージは自分だけのもの。(ちょっと寂しいから、こうやって他の人とそのイメージをシェアしたり、話をしたくて、ブログなんか書いている。もちろんそれについても、どうよ?と思う事もあるけれど)でも、テレビが発するイメージは、あまりにもリアルなのと、同時に多くの人が同じイメージを受け取っているということも影響するのかもしれませんが、鉤爪は容易に見ている人の心に喰い込むような気がします。

 こんな表現もありました。

 彼らに、なにをしているのかとたずねられたら、こう答えればいい。我々は記憶しているのだ、と。


 つまり本は、人間の外部記憶装置だという意味だと私は理解したのですが、2016年の現在、その記憶装置は、本から、”クラウド”という別のメディアに移ろうとしていますよね。本とは比べ物にならないほど、記録、検索が容易になるんですよね。それは人間の脳の外部空間が広がったことになるのでしょうか。寧ろ、人間の脳がもともと持っている、無限の空間を空虚にしたまま放置することになるのではないのでしょうか。最近ほんとうに、記憶力の低下を実感することが多くなったのは、年のせいもあるけれど、すぐにググれる便利な環境が原因では・・・と思うこともあります。

 

 冒頭に引用した文は物語のクライマックスで、戦争により都市が崩壊したときに、そこから逃れていた知識人(賢人という意味での)のリーダーが言った言葉です。賢人たちが、失われかけた、歴史、哲学、芸術の伝道師になって、社会を再生するのかな・・・というる終わり方になっていますが、まず、”崩壊”はあるような気がしますが、その後の再生があるのかしら・・・と悲観的に感じてしまうのは、多分、最近よんだ、「人工知能 人類最悪にして最後の発明」という本のせいですね。

 

 崩壊するのは人間社会だけで、生き残るのはAIなんでしょうか。

 


人気ブログランキングへ