本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

精神科医はいらない 下田治美

2008-11-24 | その他
精神科医はいらない (文芸シリーズ)
下田 治美
角川書店

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 下田治美さんは、前回「読んだやっと名医をつかまえた」で、「愛を乞う人」からは想像できないすごいパワーのある女性だなと驚いたのですが、今回は、彼女がもう何年もうつと付き合っていると知り、またまたびっくりです。

 

 つい先日まで読売新聞の私のお気に入りのコラムのひとつ、医療ルネッサンスで、「シリーズこころ これ、統合失調症? 」というテーマで、精神科の医療過誤の多さに驚いたのですが、それでもこの本のタイトルを見たときには、それはちょっと言いすぎでは・・・と思いました。

 

 しかし読んでみると、うーーーん 

 

 どこまで信じてよいかと思いながらも、自分や家族が心を病んでも精神科に安易に行きたくないなと思いました。

 

 

 本書にもあったし、先日読売新聞にもでていたが、日本の精神科の平均入院日数が500日で、諸外国に比べて考えられないほど長いそうです。それは社会的入院(家で面倒をみない)ということもあるのでしょうが、医療(医師)の問題もあるんだなぁ・・・ということをひしひしと感じました。

 

 

 確かに、精神を病んだとき、それが医者にかかっても治らなかったとしても、治りませんといわれても、それが医者の技量のせいだとなかなか思わなかったでしょう、この本を読むまでは。なのに、薬を処方されればきっと飲んでしまいますよねぇ・・・。それに、精神科では医療過誤というのも殆どおきない(おきても患者の方がおかしいということにされて終わりでしょう・・・)から、努力をしなくてもあまり目立たない。

 

 

 麻生総理大臣のように医者が非常識とは思いませんが、他の職業の人たちに比べて努力家が多いなんていうのも幻想ですよね。精神科に限らず、学校で習った知識とその後の経験だけで、漫然と医者をされてる人もいて当然です(会社だって同じ。いったい何人の人が最新情報に常にアンテナを張っているでしょうか?)。

 

 やはり患者が医者を選ばないとだめなんだなぁ。

 

  


最後の授業

2008-11-19 | その他
最後の授業 ぼくの命があるうちに
ランディ パウシュ,ジェフリー ザスロー
ランダムハウス講談社

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 ランディは、”ヴァーチャルリアリティー技術の第一人者”、カーネギーメロン大学の名物教授。最後の授業は、本当に最後である必要はなく、自分の最後の授業だとしたら何を話すかというテーマで講義をするというもので、アメリカの大学で流行っているらしい。しかし、ランディの場合はすい臓がんの再発で余命数ヶ月と宣告された身で、本当の意味での最後の授業になった。自分に何が語れるか考えた末に、『子供のころからの夢を本当に実現するために』というテーマでしたが、大変な話題となったその講義の続きとしてこの本がのこされました。

 

 

 YouTubeで、実際の講義の様子は最初から最後まで見ることができます。最初YouTubeで見ようとしたのですが、途中でちょっと飽きてしまったのです。で、本で読んでみることにしたのですが、私には、それで正解でした。読み終わったらやはり、実際のランディの授業が聞きたくなって、今度は途中であきることなく一気に最後までみてしまい、2度感動することができましたから。

 

 

 ランディの書いたものを読んでいると、以前読んだ”ローバー、火星を駆ける”の作者、スティーブ・スクワイヤーズを思い出しました。彼は、やはりアメリカの科学者で、火星にローバを着陸させるプロジェクトのリーダです。このプロジェクトは彼自身の夢で、それを実現させたわけですが、同じ匂いがしました。

 

 

 端的な言い方をすれば、超ポジティブ。楽観的というのではなく、自分自身の能力を大らかに肯定している人独特の匂いです。そう、自信に満ちている。でも、3人の子供を残して逝かねばならない身で、いくらポジティブになろうとしてもどうしても落ち込んでしまうのは、人間としてあたりまえで、それを本の方ではではより感じられるので動画の時のように途中で飽きずに彼を受け入れやすくなったのかもしれません。

 

 

大学で彼が教授から言われた言葉、

 

「ランディ、君がとても傲慢だと思われていることは、実に悲しい。そのせいで、君が人生で達成できるはずのことが制限されてしまうだからね」

 

そう、きっと彼はすごく頭がよかったせいでやはり周囲を見下さずにはいられないいやなやつだったんですよね。でも、そういわれた時に、ポジティブだったからこそ、その批判を受け入れる事ができたんですよね。僻っぽい私なら自分への批判を直接言われるたりなんかすると、逆上して、その後相当落ち込むでしょうねぇ。

 

 

 でも、彼はその批判を素直に受け入れ、仲間の大切さを知ることができた。だからこそ、卒業するときにその同じ教授から、大学院に行って人を教える立場になれと勧められたんですよねぇ。

 

 

 引用したい言葉はいっぱいありますが、自分の中で発酵するのをもう少し待ってみようと思います。やはり最後に自分が本当に残したい言葉を選んで語ったものですから、きっと忘れたころにふっと熟して落ちてきそうな気がします。

 

 

 とにかく、若い人、家に引きこもっている人なんかに、ちょっと読んで、見て、ほしいなと思う話でした。


ボローニャ紀行 井上ひさし

2008-11-13 | その他
ボローニャ紀行
井上 ひさし
文藝春秋

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 またまた、NHKの週間ブックレビューで紹介されていた本です。

 

 井上ひさし氏の著作をあまり読んでいないので、この人のバックグラウンドや立ち位置がよくわからないまま読んでしまいましたが、おもしろかったです。最近近視用のコンタクトをつけたままでは小さい字が読みづらくなってきた私の目にも優しいおおきな文字だったのも助かりました。

 

 

 著者が子供のころに世話になった人がボローニャに本山のある聖ドミニコ会の神父だったことが縁で、三十年もの長い長い片思いの末、やっとNHKのオファーで実現したあこがれの街への旅の記録です。

 

 

 ナチスに対するレジスタンス運動で、自力で街を開放したこともあって、この街は最近まで、左翼民主党(旧イタリア共産党)の砦だったそうで、そのせいなんですね、共同体という考え方が、私たちの慣れ親しんだものと少し違う。でもうらやましいなぁ・・・と思えることがたくさんあります。

 

 

 それらを”ボローニャ方式”と呼ぶのだそうです。何か社会が必要としているものがあるなと考えた人が、きちんと企画書などを書いて行政に申し出れば、資金や場所、税金などの面でサポートや優遇をされる制度。また、ある企業で技術を習得した人が独立するのをサポートする制度。銀行が地域の文化やスポーツに利益を還元する制度などなど・・・。

 

 

 読んでいけばよい事だらけのようですが、そこは多分著者自身も認めているように、贔屓目というものなのでしょう。

 

 

 しかし、市民社会が成熟すれば、ある種の社会主義や共産主義が機能するのかもしれないなぁとつくづく思いました。皮肉なことに、実際に国の体制として社会主義や共産主義をとったところは、市民社会が未熟(存在すらしていなかった?)なところばかりだったのですね。だからあんなことになってしまった。

 

 

 でも、資本主義制度でも、個人の欲を強く肯定し、それに任せた結果、バブルが膨らみ未曾有の金融危機に見舞われている。実際ソ連が崩壊したように、アメリカもある意味崩壊するのではないでしょうか。

 

 そしてそんな今だからこそ、”個人の欲のみを追及しすぎても社会はよくならない”というお説教は特に日本人には受け入れられやすいはず。また今の若者が比較的ボランティアなどに積極的なことなどを考えても、こういうボローニャ方式の基礎にある、”助け合い”、”共同”という精神を育てるよい機会なのではないでしょうか。

 

 

 右でも左でも、いきすぎると破綻する。世界が欲に走りすぎたあと、少し左に振ってみるのもよいかもしれない。そうそう、今話題の給付金なども個人に渡すのではなく、また困ってる人にただあげてしまうのでもなく、なにか新しいことを始めて社会に役立てたいと思っている、失業して時間はあるが、お金がない人たちに提供するのはどうでしょうか。その人たちが、社会を変え、バブルではない景気を呼び込んでくれるかもしれません。そこまでうまくいかなくても、ただ、生活費の足しにしてしまうよりは、ずーっと意味のあることに思えます。

 

 と、話を本に戻して、本書の感想を。この本は紀行文ですが、あまり名所旧跡、グルメなどの情報はありません。でも、ボローニャに行ってみたいなぁと思わせ、また自分もこんな旅がしてみたいなぁと思わせる本です。そして、今の日本についてもいろいろ考えさせられる本でした。

 

 さすが、井上ひさし氏ですね。


ゴッホの遺言

2008-11-09 | 小説
ゴッホの遺言―贋作に隠された自殺の真相
小林 英樹
情報センター出版局

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 「月と六ペンス」を読んで、画家の人生にちょっと興味が沸いたので、こんどはゴッホの話を読んでみようと思い図書館で借りたのですが、ちょっと期待していたものとは違っていました。

 

 

 著者は、ゴッホの代表的な作品”寝室”についてテオに書き送った手紙に同封されていたとされる、寝室のスケッチを作者は贋作だと信じ、その根拠を示した前半と、ゴッホの残した手紙などから、ゴッホの自殺に到る真相を推理し、その原因が義妹のヨーとの軋轢にあったと論証を試みた後半。そして、この贋作をつくらせたのは、ヨーだったという結論する。

 

 

 美術については、好き嫌い以上の感想をいえるだけの素養のない私としては、スケッチは贋作だという著者の見解の妥当性を云々できる力はない。が、たしかに手紙でアイデアを伝えようとしたときに書いたものにしては、書き込みすぎで、油絵の法を見て真似してかいたという主張には、説得力がある。また、インターネットで調べても、ゴーギャンに送ったとされるスケッチはすぐにいくつか見つかったのに、テオに送ったとされる問題のスケッチの画像は見つからなかったところを見ると、著者の主張である贋作説が認められてきているのかもしれない。 

 

 

 だとすれば、慧眼は認めざるを得ないが、どうも著者のスタンスは、気になった。”ゴッホが気が狂って自殺をした”というのはとんでもない汚名で、事情を知る当事者のヨーが、真実を語らないのは卑怯だ!と大変憤っていらっしゃるのだ。

 

 

 しかし、家族(しかも、結婚して1年そこそこの夫の兄)が自殺をしたとき、周囲の人たちは真相をわかっているものだろうか。もし仮に、自分が間接的にでもその自殺に関係したかもしれないと考えたとしても、それを認めて生きていくことは大変なことで、ましてやそれを世間に公表するべきだったなどということを関係ない人がどうしていえるのだろうか。自殺をした理由なんて、本当のところ本人にもよくわからないのではないのでは・・・。

 

 

 病気から開放される中で、そこから必死に立ち上がろうとしているゴッホの姿を見て心を動かされたものであれば、安易に病気と自殺とを結びつけることは絶対にありえない。

 

 

 著者は、うつなどの心の問題を含めた精神疾患について、”無理解”ともいえるやや古いイメージを持ち続けていらっしゃるのではないだろうか。

 

 

ゴッホの死を一刻も早く精神病の呪縛から解き放ってやらなければならない。

 

 

 著者が、ゴッホを愛して已まないことはよくわかる。しかし、歴史というものが、人によって語られるものである以上、真実はそれを語る人の数だけあるものなのだ。笑ってしまうほど想像力にとんだ著者自身のゴッホの自殺の理由、-テオとヨーの幸せのために自分は身を引くため- もご本人の中では揺るぎのない真実なのだろうが、それが、わずかに残された手紙と作品などからから100年以上たって、文化的な背景も全く違う1人の外国人が想像(創造)したものでしかないということを認識される必要があるのではないかと思った。

 

 

 しかし、ゴッホの作品は、すごい・・・