黙って行かせて ヘルガ・シュナイダー 新潮社 このアイテムの詳細を見る |
もし、自分の母親が、ナチの親衛隊で、アウシュビッツでのユダヤ人虐殺に加担していたとしたら、どんな親子関係になるんだろうか。
読み終わった時、そんなシチュエーションを想像してみましたが、私にはとても考えが及ぶ仮定ではありませんでした。
本書は著者のヘルガ・シュタイナーが5歳のときに別れ、殆ど会う事もなかった母親の死を前にし、最後に”何か”を期待して会いに行った時の様子を、本人の言によると”3%のフィクションを混ぜて”、小説としてまとめたものということです。
母は言う、
強制収容所の仕事にあたしは自由意思で参加したの。どうしてだかわかる。あたしはそのことを信じていたからよ。そう、ドイツ人の任務を。ヨーロッパをあの・・・あのけがらわしい人種から解放するという任務を固く信じていたからよ
その言葉は、本当だろう。著者自身も母が、ナチのSSに入っていたことを戦後一度も公開しなかったという言葉に、
ああ、そのことは一度も疑ったことがないのよ。お母さん
と、心の中で叫ぶ。それは、母が人間として残酷だったという耐えがたい事実を疑わないだけでなく、多分戦後ドイツ人が背負った十字架というか、97%の反省とともに、共通の感情として心の底に持っている、3%の過去の自分たちの行為を全否定できないという後ろめたい気持ちなのではないだろうか。
それとも、そんな風に思うのは自分が日本人だからだろうか。
著者が少し痴呆の症状が出ている母を誘導して、過去の非道を話させたのは、ある意味、自分を愛してくれなかった母への復讐なのだろうけれど、そういう個人的な問題を利用して、人間の中にある悪魔を、物書きとして、文章にしたいという”慾”でもあったと思う。
本書のタイトルは、面会時間を終えて去ろうとする娘に、何度も取りすがる母に対して、
黙って行かせて、お母さん
と、人間としてどうしても母を受け入れることができないが、肉親のぬくもりを期待せずにもいられない娘の心の叫びです。
この本には、結論はありません。面白いかったといえる内容でもありません。
ただ、ページをめくらずにはおられない、迫力はあります。