本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

ぼくと1ルピーの神様 ヴィカス・スワラップ

2011-12-29 | 小説

 「つまりこういうこと? あなたが答えを知っていたわけを理解するためには、あなたの人生全部を知らなければならない」

ぼくと1ルピーの神様
ヴィカス・スワラップ
ランダムハウス講談社

 これって、アカデミー賞をとった「スラムドッグ$ミリオネア」の原作ですよね・・・。(って誰に聞いているんだか)

 こんな話だったんだ・・・。

 というか、どんな話か具体的に想像してみたことがあったわけじゃないのですが、どちらにしてもとっても予想外な展開でした。

 クイズで12問すべてに応えて、十億ルピーと言う大金を手にした青年は、スラム育ちで学校へも行っていないしがないウェイター。その彼が、今まで誰もできなかった全問正解を成し遂げた理由は・・・。それは、信じられない偶然で、彼の知っている問題が連続で出題されたからだったのです。

 彼がクイズの答えを彼が知っていた理由を、1問づつ弁護士の女性に語るのですが、インドのスラムで過酷な状況を生き抜いてきた青年の人生そのものだということで、冒頭に引用した言葉となるわけです。

 孤児だったラム・ムハマンド・トーマスは、8歳の時に育ての親であったイギリス人神父が亡くなった後、孤児院へ送られるが、その後連れて行かれた健康な孤児を障害者にして、詩や歌を教え込みカネを稼がせる組織から逃げ出すと、子供ながら工場で働いたり、外交官や女優のハウスボーイをしながら自力で生きてきた。その生活はたとえ彼自身が望まなくても、犯罪といつも隣り合わせだったのです。

 一人の貧しい青年の半生記を、クイズ番組と結びつけるなんて、とってもぶっ飛んだ設定で、そこだけを見ると、リアリティに欠けるのですが、語られるインドの生活の方には、十分にリアリティがあるためか、許せてしまいます。

 この本を読んで思ったのですが、一億総中流と言われた高度成長時代に育った私をはじめとして、多くの日本人はまだ、格差社会の現実というものを甘く見ているのかもしれません。

 そして同時に、暗く見すぎているのかもしれません。

 子供たちが、虐げられながらもどれほど強いか・・・。

 太刀打ちできないですよ、日本の子供では。

 とにかく、面白い小説でした。

 インドと言う現実が背景になければ、なかなか描けない世界ですが、それでもユーモラスな作風で、とても読みやすかったです。

 映画を少し前にTVでやっていたから、録画してたんだけど、なんか見る気になれなくて、結局ついこの間消したところで、それが残念。

 とにかく、ありきたりでない構成がとっても新鮮で、主人公のキャラクターがとてもよくて、楽しい読書タイムでした。 

人気ブログランキングへ 2012まで後、約2日。1年が速すぎてめまいがする。


ツリーハウス 角田光代

2011-12-23 | 小説

 「そこにいるのがしんどいと思ったら逃げろ、逃げるのは悪いことじゃない。逃げたことを自分でわかっていれば、そう悪いことじゃない。闘うばっかりがえらいんじゃない」

 

ツリーハウス
角田 光代
文藝春秋

 新宿で翡翠飯店という中華料理屋を営む実家に住む藤代良嗣は、その朝、祖父の泰三が椅子に座ったまま息をしていないことに気づく。葬式の夜、祖母つぶやいた「帰りたいよ」と言う言葉に、初めて殆ど親族のいない自分の家族の姿に疑問を持ち始める。

 満州で自分の土地を手に入れられるという言葉につられて大陸に渡った泰三。カフェで馴染みの客の誘われたのがきっかけで新京ににたどり着いたヤエ。二人を夫婦と思った占い師に「子供は六人。でも半分に減るよ」と言われる。結局、終戦後の混乱の中夫婦として生きることになった二人と、六人の子供たちの誕生と三人の子供の死が、徐々に明らかになります。

 この物語はひとつの名もない家族の戦前、戦後から現代にいたる歴史なのですが、歴史書に名を残すような、時代と闘った人が作ったものだけ、歴史として受け継がれるものではないのだなとつくづく思った1冊でした。

 満州での生活や、引き揚げ者の苦労などを描いた小説は沢山あるし、映画やノンフィクションも沢山あります。

 そんな中で、この物語がとてもユニークなのは、成功者でもなく失敗者でもなく、戦後本当に平凡に生きてきただけの家族の中にある歴史に焦点を当てていることだと思います。

 新宿に店を構えて、外から見ればしっかりと根を下ろして生きていたように見える藤代家でも、戦後のどさくさに紛れて手に入れた土地の上に住み、実はツリーハウスのように、いつ壊れても、朽ちてもおかしくない状況を、とりあえず生き延びてきただけだったのかもしれない。

 子供たちは誰も成功せず、孫もまともに仕事をしていると言えるものは誰もいないのだけれど、なんとなく翡翠飯店は祖父亡き後も、続いて行きそうな気配で終わります。そこがなんとなくホッとするところです。

 この国にリーダーが育たないのは、確かに嘆かわしいことではあるかもしれないけれど、でもそうやって実はこれまでもやってきたのだし、日本はこれからもこんな風に生き残っていくのかもしれないななとど思うのは、楽観的すぎるのかもしれませんが・・・。

 祖母ヤエの言葉、

 広場の木、あのおっきな広場を縁取るように気が植わっていて、それを見て、私思ったんですよ、逃げてよかったんだって、あなた方に助けてもらってよかったんだって、こんなに長く生きて、はじめて思ったんです。何をした人生でもない、人の役にもたたなかった、それでも死なないでいた、生かされたんです。

 生かされた人生を生きる圧倒的多数の庶民の歴史は、学術書には刻まれないから、やはりこうやって小説家が物語にするということがとても大切なんだなぁと思いました。 

 

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ダイイング・アイ  東野圭吾

2011-12-18 | 小説

 許さない、恨みぬいてやる、たとえ肉体が滅びても-。

 憎しみの最後の炎を燃やし、美菜絵は相手をにらみ続けた。

ダイイング・アイ
東野 圭吾
光文社

 バーテンダーの雨村慎介は、ある夜客として現れた一人の男に、閉店後のエレベータで襲われ重傷を負う。その男が自分が1年前に起こした交通事故で亡くなった女性の夫であったことを知るが、事件の衝撃のせいか、その事故の記憶がすっぽりなくなっていた。なんとなく気持ち悪さを感じた、慎介は、その事故の事を調べ始めるが、納得できないことばかり。様々な横やりのはいるなか、それでも調べた慎介が知った事実とは・・・。

 というような内容のミステリーでした。

 東野圭吾は、新刊を追っかけたりはしませんが、図書館で見つけると大体読んでいます。

 すごく多筆なので、次々新刊がでていて、とてもついていけないというのもありますが、最近は「技」で書いているという状況のものが多くて、以前ほどは感動させていただけるものは少なくなりました。

 本書も、そういう技で書いた一冊ではありますが、彼の作品としてはちょっとハードボイルド風で、新鮮でした。

 小説として、からくりに、「リアリティ」があると感じさせるかどうかは微妙ですが・・・、映像化すれば、許容範囲に入るような感じがします。だから、そっちを意識して作ったものかもしれません。

  そういう訳で、感動の1冊ではありませんが。時間つぶしにはそこそこ楽しめる作品です。

 

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困っているひと 大野更紗

2011-12-11 | ノンフィクション

 昨今、巷で大流行している「絶望」というのは、身体的苦痛のみがもたらすものでは、決してない。

 私と言う存在を取り巻くすべて、自分の体、家族、友人、居住、カネ、仕事、学校、愛情、行政、国家。「社会」との壮絶な蟻地獄、泥沼劇、アメイジングが、「絶望」「希望」を表裏一体でつくりだす。

困ってるひと
大野更紗 著
ポプラ社

 著者は、大学で、ミャンマー難民に興味を持ち、タイやビルマを何度も訪れ、難民キャンプなどで人々実態調査を行っていたが、大学院へ進んで間もなく、免疫性の難病を発症します。掛け値なしの「壮絶」闘病記・・・というか生の記録です。

 全体を通して、これほど悲惨な状況を、ここまで軽いトーンで書けるのは、自分自身の事だからで、人の事ならとても、冗談にはできないことも、笑いにしています。

 彼女は、発症から1年、病院を転々とし、体中に炎症が広がり38度以上の熱にうなされ続けても原因がわからないため、入院さえさせてもらえず医療難民のまま「ムーミン谷」と本人が呼ぶ福島の自宅で「石化」する。

 その後、免疫疾患であろうということで、なんとか某大学病院、通称「オアシス」にたどりつき、入院、ステロイド治療を続けるが、劇的にはよくならない。9カ月の入院生活で、彼女のみならず、家族、友人、そして医者も疲れ果ててしまい、難病を抱えたまま、「オアシス」を出て自活するまでが書かれています。

 帯にある感想に、「笑える」という評もあったけれど、私には、笑えませんでした。「可笑しい」けど・・・。

 彼女に起こったことは、誰にでも起こりうることでありながらも、やはり自分に起こってみないと、本当の意味では理解なんてできない。

 毎日彼女の苦しみを見ていて、本当に献身的に診てくれている医者や看護師の人たちでさえ、やはり彼女自身の苦しみを、彼らの立場で理解しているだけなのだ。

 ましてや、「友人」、「知り合い」という人たちに、いつ終わるともしれない彼女の苦しみに寄り添ってもらうことを期待することはできない。

 そして、行政に至っては・・・。

 彼女は「障害者」に認定されたわけですが、そういう弱者であると社会に認めてもらうだけでも、どれほど大変か・・・。気が遠くなります。

 そんなことが、冒頭に引用したような表現になるのだと思います。

 みなそれぞれの立場でしか、相手を理解できないから、「困っている人」はいつか困っていない人にとっては重荷になっていく。

 ほんとうに彼女が、「もういい」とあきらめてしまえば、彼女の命は今なかったかもしれないのだけれど、それほどの病気と向き合いながらも、様々なことを学び、這いずり回りながらも、泣きながらも、前を見て、そして、「困っている人」の実情を伝えようとするところはほんと凄いです。

 とにかく、医療関係者と行政、福祉関係の人は必読と思いますが、難病とは縁のない私のような、「特に困っていない人」も一度読んで損はない本です。

 たとえ、自分が本当に「困った人」になるまで、本当の意味で理解することはできないとしても。

 先ほど笑えなかったとは書きましたが、しかし本書は「笑い」力をユニークな形で示した本だともいえます。

 彼女の文章に笑いがあるから、多くの人はこの本を手に取るんですよね。

 (しかしこれだけ大変な彼女の本を図書館で借りて読んだことに、罪悪感・・・。できれば1冊買って誰かにプレゼントしようと思います。)

 

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ハチはなぜ大量死したのか ローワン・ジェイコブセン

2011-12-03 | ノンフィクション

 

だが、もうこれ以上何かを足すのはやめる時期にきているのかもしれない。

ハチはなぜ大量死したのか
クリエーター情報なし
文藝春秋

 少し前から、ミツバチの数が減っているということについて話題になっていて、本書についても読んでみたいと思ってはいたのですが、何となく時間がたって忘れていのですが、図書館で見つけた時はうれしかった。

 2006年、アメリカのある養蜂家が自分の飛び回っているハチの数が異様に少ないことに気付いたところから始まる本書は、「ハチはなぜ大量死したのか」という日本語タイトルもあって、ミステリー仕立てのように見えるのですが、小説と違って、読者が納得できるような明快な犯人はわからずじまいです。

 けれど、最後まで読めば、著者が犯人像としてぼんやりと浮かび上がらせたそのシルエットが指し示すのが、読者である自分自身のライフスタイルにあることに気づき、とてもショックを受けました。

 受粉媒介者としてのミツバチは、いつしかある種の農業にとっては無くてはならない、「家畜」になっていた。その効率の良さのために、より多くのミツバチが求められ、養蜂家は、さまざまな技術を開発して、ミツバチの大量生産を実現し、それを農家に「レンタル」するのが一般的になっていたのです。

 一方、農場では、害虫を駆除するために多くの抗生物質がばらまく。

 けれど、より多くの収穫を得るためにミツバチなどの特定の益虫だけは残しておきたい。

 だけど、それがいかに都合の良いことを言っているか明らかです。

 とはいえ、それであきらめてしまうのでは、現代社会で生き残ることはできないから、様々な工夫をして、短期的には影響がないように見えていたのですが、人間とは違ってミツバチの世代交代が速いため、直接その個体への影響がなかったように見えたとしても、生態としてはあきらかに影響を受けていたのです。

 農薬は、害虫をその場で殺し、死ななかったミツバチの体にとりついた残留農薬は何かしらの役目を果たし、ハチの行動をおかしくする。そして、効率的に設計された大量の仲間で込み合う養蜂用の巣で生活するハチに取りついたウィルスやダニなどを殺すこともできず、瞬く間に蔓延する。

 著者が書いているように、

 問題は、農場が現代的な経済システムに吸収されてしまったことにある。

 ということだと思います。

 その結果、農業経営者は今、会社経営者のように物事を考え行動するように迫られている。農業経営者がビジネスに聡くなるのは何も悪いことではないが、農場(少なくとも環境に気遣う農場)は、ほかの事業の様に運営することはできない。事業は無限に成長することを前提としている。

 けれども、生物システムの世界では、癌を除けば、無限の成長を続けるものなど存在しない。健康的な農場は自然のサイクルの中にある。つまり、順調な成長と順調な腐朽という、うまく維持されたバランスがとれているのだ。

 と、本書はミツバチの減少という現象を通じた、現代社会の矛盾と、危うさに対する警告書でもあります。

 

 「集団としての知性」と名付けられた章で、紹介されていたミツバチの習性は、本当に魅力的。

 女王蜂、育児蜂、内勤蜂(貯蜜蜂)、外勤蜂(採餌蜂)といった役割分担も、エサを見つけて巣に持ち帰った後、ダンスを踊って、その場所を仲間に知らせる方法など・・・・、これらはまさしく「知性」そのものです。

 集団にこれほどまでに美しいと感じさせる知性があるとしたら、私たち人間だって社会を作って生きる種なのだから、「集団としての知性」を持っていたはず。「個」を尊重することは、なんら間違いではないけれど、けれど、集団を軽視することで、失う「知性」があったということをじっくり考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 誤解を恐れずに言うと、本書を読みながら「生まれてくる子供たちが、みんな寿命をまっとうする社会」が理想の社会なんだろうかと、ずっと問い続けていました。

 私たちは本当はもっと、「病気」や「死」を受け入れるべきものなのではないのでしょうか。

 そんな風に考えては見るものの、インフルエンザにかかりたくないから、毎年受ける予防接種をやめることさえできない私・・・。

 つい先日70億を突破したという地球上の人口、これだけの爆発が「順調な成長」であったとすれば、それは「順調な腐朽」がどこかで来るに違いない・・・。

 それは、たぶん多くの人が認識していながら、明日の事でないからなかなか、「経済性を無視」してまで、現状を変えることはできない・・・。

 ミツバチの世界を見ながら、現代社会の行く末を考えさせられました。

 読み終わって2日、まだまだ自分の中で考えがまとめられないで沸々としているところです。

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