本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

地上の飯 皿めぐり航海記  中村和恵

2012-06-19 | エッセイ

やってみると食べ物という主題はまさに国境をやすやすと越え、

自在に、それでいて頑固に保守的に、同時に驚くほど柔軟に、

文化というあいまいなことばそのもののように、

ひとびとの異なる暮らしの細部に入り込んでいくのでした。

地上の飯―皿めぐり航海記
中村 和恵
平凡社

 東大大学院で「比較文学比較文化専攻」という著者は、研究のため世界中あちこちに行かれるようで、その先で出会ったおいしいものを通じて文化を語り、文学を通じて食を語るというような内容。

 「心残りの一皿」という一篇、

 父親の仕事の関係でモスクワで暮らし、日本人学校に通っていた著者は、「修学旅行」でエストニアに行き、モスクワではついぞお目にかかれないようなおいしい料理とサービスに感激したが、デザートのケーキが出たときはもう満腹でとても食べられなかった。サクランボとクリームで飾られたそのケーキをそのまま手つかずにするのが残念で、みんなでそのケーキにお茶をかけてダメにして、クスクス笑っていた子供たち。

 このケーキ皿を思い出すと、今でも心が痛いという著者は、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』とういう本に反応してしまいます。

 ナチスの強制収容所から解放されたばかりのひとがわざわざ畑を横切り麦の新芽を踏みつぶして歩く場面に、あの皿を思い出してしまった。これはたしかに考えすぎだ。でも、わたしにとってタリンのケーキ皿はいわば、解放された人間の狼藉のシンボルみたいになってしまったのだ。

 このエピソードが、とっても心に残りました。

 どこがいいの?と言われたら難しいんですけど。

 食べ物に関して私に同じような思い出があるわけでないですが、子供の頃の自分の行いの中で思い出すと今でも心がチクチクするようなことを、今でも自分の心の中にきちんと場所を作って置いているというところに、あぁ、わかるわかるって思ってしまったんですかね。

 チクチクだけじゃなくて、赤面してしまうような著者の思い出も自分のことのように感じてしまいました。好きな男の子に好きな食べ物は何と訊かれて、あまり子供っぽいことを言ってはつまらないと考えて「きくらげ」と答えてしまった後悔とか。

 うーんわかります。

 ただ、とっても軽妙なタッチで書かれたエッセイなのに、読み終わるった時にちょっと哀しい感じがしてしまったのは私が変なのかしら・・・。

 それは、著者が

 自分でもこれはわかりにくい珍妙ないきものであることよともてあましている。しかしいまさら自分をなにかもともらしいものにせねばと考えているとしたら、これは愚かであろう

と書いておられるように、自分の存在自体を100%受け入れられないというところに、私の何かが反応してしまったのか、

 それとも各地の特有の文化が

断片化され、デジタル情報になり商品化され、もとの歴史的文化的文脈と切り離されて、しばしば意味不明のスタイルや気分だけがコピー&ペーストで伝搬していく。

と指摘されたその気分に自分もグラグラしていることに気づかされたためなのか。よくわからないのですが、もしかしたら本書とは関係なく、単に更年期の落ち込みかもしれませんが。

 

    台風4号・・・。予報より東にそれてこの辺は既にピークを越えたかも
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時が滲む朝 楊逸

2012-06-16 | 小説

「民主化って、今日言って明日なるって話じゃないだろう。中国もいずれだよ、このまま経済さえ発展すればな」

時が滲む朝 (文春文庫)
楊 逸(ヤン・イー)
文藝春秋

 平成20年の芥川賞受賞作品で、その時から気にはなっていたのですが、この度、図書館で見つけて読むことができました。

 読み始めてすぐ、なんとなくごつごつした感じの文章に何とも言えない落ち着かなさを感じ、それは、最後まで変わりませんでした。

 1989年の天安門事件の前夜、浩遠と志強は、大学生になる。田舎の高校では秀才だった二人は、夢と希望に満ちてスタートした大学生活だが、知らず知らずの間に民主化運動に巻き込まれ、退学になってしまう。実家に戻った後、浩遠は、中国残留孤児の二世の梅と結婚し日本で暮らすようになる。日本でも、中国の民主化を願い、同志会に熱心に参加するが、年を経るにつれ参加者の人数も減り、自分の家族を含め周囲の同胞たちは日本での生活に馴染み、民主化という理想は遠くなっていく。

 理想に燃えて運動に参加していたときは、はっきりと見えていると信じていた自分や国の将来。自分の中では何も変わっていないと思っていたのに、10年後のある朝、気が付いたらぼんやりとして見えたという感じが、タイトルの”時の滲む朝”という言葉に集約されていて、そのタイトルに座布団一枚!という感じです。

 天安門事件後、民主化の波は押さえこまれたけれども、経済的には目覚ましく発展した中国。

 なんだかんだとニュースで話題にならない日はないくらい、日本にとってのみならず、世界の中で存在感を増している隣国。

 コンビニのレジで店員さんが”王〇△”という名札を付けていても、驚くこともなくなりました。

 日常的には身近な存在になった中国人ですが、やはり国という単位で見た場合には、まだまだよくわからない国というイメージが強く、その国の人もイメージとしては、何を考えているかよくわからないというネガティブなものが先行してしまっているように思います。

 そんな中で、民主化運動は今の彼らにとってどんな意味を持つのかということを、小説という形で体験できたのがよかったです。

 ただ、芥川賞作品は、難解なイメージがあるのですが、この作品は、ストーリーや登場人物の気持ちはとてもわかりやすくて、こういう作品も選ばれるんだなぁというのがちょっと意外な感じ。

 難解なものだけが、新しいわけじゃないし、読み終わってみれば、文章のゴツゴツ感もそれはそれで新鮮でいい感じ。

 是非、この著者のほかの作品も読んでみたいと思いました。

 

 何のイラストかと思ったら「びわゼリー」だって。
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リビアの小さな赤い実  ヒシャーム・マタール

2012-06-10 | 小説

 心配、気づかい。それこそ、ぼくが求めてやまないものだったと思う。温かくて揺るぎなく、変わることのない気づかい。リビアでは血と涙が流され、痣だらけの、ズボンに小便のしみをつけた男があふれ、人々は貧困に苦しみ安らぎを求めているというのに、ぼくという子供はばかみたいに、気づかってもらうことを切望していた。そして、当時はそういう言葉では考えていなかったが、ぼくの自己憐憫は腐敗して自己嫌悪に変わっていた。

リビアの小さな赤い実

ヒシャーム・マタール 著

金原瑞人/野沢佳織 訳

ポプラ社

 1979年、リビアの首都トリポリの通称クワの木通りに住む、少年スライマーンは9才。パパは仕事でしょっちゅう外国に行くため家を空け、ママはそのたびに心が不安定になり、「薬」を飲んでいる。そんなある日、外国に行っているはずのパパを町で見かける。その一週間前に、隣人のラシードさんが反逆者として逮捕される。そして、彼の家にもパパを探しに男たちがやってきて、父は姿を消す。

 物語は大人になったスライマーンが当時を語る形式になっています。

 14歳の時、親の決めた結婚に反発しながらも従うしかなく、すぐに離縁されるよう、それを飲めば子供が出来なくなるという薬を飲んだのだが、効かずにスライマーンを妊娠した母は、彼を愛しながらも、父に対して心を開いていない。

 思い出の中の風景は美しいのに、そこでは日常に暴力が存在している。

 少年は両親が大好きなのに、パパは不在で、ママは心を病んでいる。

 自分がいない間、ママを守れと父に言われ、大人の男になろうともがくが、その方向はどこかゆがんでいる。

 「アラブの春」の前のリビア・トリポリの日常生活が描かれていてとても興味深かったものの、少年の気持ちや行動に、共感できるところがなく、なかかな入り込めないところがありました。

 けれど、ふと原題が、「IN THE COUNTRY OF MEN」ということに気づいて、ちょっと本への向き合い方がわかった気がしました。

 とはいえ、読み終わっても消化不良のままですが・・・。

 スライマーンの素直な9歳の少年としての姿と、時々垣間見せる残虐性というのを結びつけるものが何なのか、理解できないのです。

 ただ、著者のプロフィールを読むと、スライマーンが彼の分身であることは確実で、ある意味で、本書は”私小説”なのかもしれません。

 私小説と言えば、少し前に、車谷長吉の”塩壷の匙”を再読したのですが、主人公の残虐性が常に内面から(=主観的に)描かれているところが、本書と似ているかも・・・。戦前や戦後の社会の状況について私なりの理解があるので、主人公の気持ちをまだ自分の内面に照らし合わせながら少しは消化することができましたが、それでも違和感が残りました。

 リビアについても、イスラム世界についても何も知らない私が、スライマーンを理解することが出来なくても仕方ないかもしれません。でも、分からないものは分からないまま、とりあえず飲み込んでおくことで、例えば中東で繰り返される紛争、暴力のニュースを見る目が少し変わったと思います。

 だから、わかりやすい作品より、この後、自分の中で発酵してくれそうで、やっぱり読んでよかったと思った一冊でした。

 

 いよいよ梅雨入り
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ノモンハンの夏 半藤一利

2012-06-03 | ノンフィクション

 これを第二十三師団にかぎっていえば、師団軍医部の調査によると事件の全期間をとおして、出動人員1万5975人中の損耗(戦死傷病)は1万2230人、実に76パーセントに達したという、実質の損耗率はもっと大きいともいわれる。ちなみに日露戦争の遼陽会戦の師匠率が17パーセント、太平洋戦争中もっとも悲惨といわれるガダルカナル会戦の死傷率が34パーセント。この草原での戦闘の過酷さがこれによってもよく偲ばれる。

ノモンハンの夏 (文春文庫)
半藤 一利
文藝春秋

 以前、自分では注文した(記録はあるが)記憶がないのに、Amazonから届いた一冊で、間違って押しちゃったかなぁとそのまま放置して忘れていたました。先月、図書館通いがちょっと途切れてしまい読む本がなくなったときに、本棚をゴソゴソ探していて見つけて読みました。

 半藤一利氏の「昭和史」は以前読みましたが、記憶力の悪い私には、はっきりいって「ノモンハン」ってなんだっけ???というレベル。

 とりあえず、ノモンハン事件とは、(Wikipediaから抜粋です)

1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した日ソ両軍の国境紛争事件。

 私が内容を知らないのも当然、と胸を張れる訳ではないのですが、土門修周平の解説によると、戦中から戦後にかけて、きちんと研究されたものは少ないとのこと。

 司馬遼太郎氏が書こうとされていたものの、急逝により果たせず、当時文芸春秋の編集者であった半藤氏が一緒に調査されたという経緯もあって、引き継いだということのようです。

 本書中、陸軍は参謀本部も、関東軍もまぁボロクソに書かれております。

 当時は、天津事件のあと国民の対英感情は悪化の一途、ドイツとの同盟に向けて陸軍は賛成、海軍は反対の立場で、政治家は決断できずおろおろするばかり。しびれをきらしたドイツはソ連と不可侵条約を成立させたため、スターリンは極東に力を入れ始める。

 というような世界の情勢があるにもかかわらず、現地の関東軍は、そういった情報に驚くほど無頓着で、目の前の何もない草原にあるようなないような国境線をめぐって暴走を始める。東京の参謀本部では紛争を起こすな、拡げるなと指示は出すものの、結局は止められず、起こってしまったことを、追認するような格好で、ずるずると日本軍だけでも一万人近い戦死者をだしてしまったのです。

 軍人はだれしも、将兵が血を流した地をむざむざ敵には渡せない、という論理の前にはひたすら頭を下げざるを得ない。理非曲直は抜きで、その言葉は直截に彼らの精神にせまってくるからである。これに反対することはできない。

 ということなんですね。

 しかし、著者があまりにもボロクソに書くもので、もしかしてかなり偏ってる???と心配になりますが、上記の通り自分には知識がありませんのでなんとも言えません。

 ただ、本書を読みながら感じたのは、日本人って実はちっとも変っていないんだなってこと。

 首相は調整役でしかなく、政治家は何も決められない・・・。

 国民はメディアがつくる世論の一翼を担わされるだけ。

 自分たちが国を背負って立っているんだという軍人の危機感が、良い方に働けばいいんでしょうが、真のリーダが不在で、暴走したら止められない。

 そして、”情報戦”に弱い。

 軍人を官僚に置き換えれば、または、ある種の”経済人”に置き換えて見れば現代と何も変わらないような。

 本書の中で、本当に興味深い一節がありました。

日露戦争後、参謀本部で戦死が編纂されることになったとき、高級指揮官の少なからぬものがあるまじき指摘をしたという。

「日本兵は戦争においてあまり精神力が強くない特性を持っている。しかし、このことを戦死に書き残すことは弊害がある。ゆえに戦史はきれい事のみを書きしるし、精神力の強かった面を強調し、その事を将来軍隊教育にあって強く要求することが肝心である。」

 なんということか。日露戦史には、こうして真実は記載されなかった。つまり戦争をなんとか勝利で終えたとき、日本人は不思議なくらいリアリズムをうしなってしまったのである。そして夢想した。それからはいらざる精神主義の謳歌と強要となる。

 私はこれを読んで、やっぱりフクシマのことを思い出してしまいました。(連日で申し訳ありません。)

 フクシマは、これまでの原子力ムラの、そしてそれを信じてついてきた日本国民の敗戦だったのではなかったのでしょうか。戦後、それまで信じていた軍隊への信頼を失った日本国民は、技術や科学に希望と信頼を寄せるようになった。確かにそれらは日本に平和と経済的繁栄をもたらした。

 けれど、70年後その戦にも負けたのでは・・・。緒戦かもしれませんが、象徴的であったと、将来振り返ることになるような気がします。

 だからこそ、ここから学ばないといけないのに、”原子力ムラ”のエリートたちは、自分たちの価値観を変えず、これまでに得た地をむざむざと敵(って誰?)に明け渡せないと必死になっているように見えるのです。

 フクシマを敗戦ととらえると、国民には、二度と戦争をしないため軍隊を持たないという選択肢もある一方、反省の上に立って、もう一度一から立て直すという選択肢ももちろんあります。

 でも、真実から目を背けて、反省という視点に立たず、過去の勝利の栄光を忘れられずに(安全という)神話を信じ続けて、敵(?)の変容から目を背けているとしか思えない状況・・・。

 とにかく、歴史から、そして目の前で繰り広げられている歴史から学ばないと、手遅れになる・・・そんなことを思った一冊でした。


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洟をたらした神 吉野せい作品集

2012-06-02 | エッセイ

 この空の下で、この雲の変化する風景の中で、朽ち果てる今日まで私はあまり迷いもなかった。それは、さんらんたる王者の椅子の豪華さにほこり高くもたれるよりも、地辺でなし終えたやすらぎだけを、畑に、雲に、風に、すり切れた野良着の袖口から突き出たかたい皺だらけの自分の黒い手に、衒いなくしかと感じているか知れない。

洟をたらした神―吉野せい作品集
吉野せい
弥生書房

 ホークさんのブログで紹介されていて、なんとなく素敵!と感じたので、図書館に予約していました。

 とはいえ、実際に本書を手にしたときには、どんな本というイメージがなく、小説なのか、エッセイなのか、また吉野せいという人がどんな人なのかなどの予備知識がほぼゼロの状態で読み始めたので、かなり戸惑いました。

 前書きで串田孫一氏が

この文章は濾紙などをかけて体裁を整えたものではない。刃毀れなどどこにもない斧で、一度ですぱっと気を割ったような狂いのない切れ味に圧倒された。

 と表現されていましたが、読み進んで、その言葉に納得。

 吉野せい氏(女性です)は、1899年生まれ。福島県小名浜というところで生まれ、小学校教師を経て、文学をこころざすが、1921年阿武隈山系菊竹山麓の荒地一町六反歩の開墾に従事していた小作農民で詩人の三野混沌氏と結婚し、その後なくなられるまで”百姓”として生きた人とのこと。1970年に夫を亡くした後夫を亡くしたあと、かつてのことを思い筆をとった作品が本書におさめられています。

 とにかく、とても不思議な作品集でした。

 そこには、大正から昭和初期の小作農民としての掛け値なしの貧しさがあるのですが、土とともに生きる清々しさも感じられます。とはいえ、生まれながらの”百姓”ではなく、貧しさのなかで荒んでゆく気持ちを、冷静に見つめてしまい、それを書かずにはおられない好くも悪くも”インテリ”としての「業」を感じました。

 前半の作品を読んでいる間は、貧しいけれども正しく美しく生きる賢い明治の女性という印象に少し、引き気味だった私ですが、中盤以降、戦後のエピソードなどが語られるようになり、夫との関係も少し見え始めて、ぐっと文章に入り込んで読めるようになりました、

 誰かがそこで救われる謙虚な仕事に彼が酔うていることを、私は決して否みはしなかった。が、これだけはどうにもならぬおいかぶさる自分の肩の労苦に耐えて耐えて耐えぬくうちに、いつしか家族のためには役に立たぬ彼。これからさきもこの家を支えるものは自分の力だけを頼るしかないという自負心、その驕慢の思い上がりが、蛇の口からちらちら吐き出す毒気を含んだ赤い舌のように、私の心をじわじわと冷たく頑なにしこらせてしまった。

 この部分を読んだときに、やっぱり社会主義の理想と現実の中で自身の世界に籠ってしまう夫との生活で、彼女は常に優しく、忍耐強く彼を支えたわけではなかったんだと、正直ほっとしてしまったのは、私も業の多い人間だからでしょうか。

 
 彼女の故郷が、”フクシマ”として世界中に知られることになろうとは、彼女自身想像だにしなかったと思いますが、本書の中で、開墾地に近い炭鉱で働く炭鉱夫のことが何度か出てきましたが、確かに「フクシマ論」という本に、戦前、この地区で鉱山開発を行い賑わったが、その後廃れはじめたこの地域の活性化対策として、「原発」があったというような歴史が書かれていたことを思い出しました。

 戦前から首都圏へのエネルギー供給地であり、今があるということを考えてみたときに、そのすぐ傍で、農地を開墾し極貧に喘いでいた”百姓”の姿があったのだと再認識できたこと、当時の社会主義者たちの純粋ながらも孤独な生き様などが伺えていろんな意味で、手にすることができてよかったなぁと思える一冊でした。

 


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