本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

夜は短し歩けよ乙女

2008-08-26 | 小説
夜は短し歩けよ乙女
森見 登美彦
角川書店

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 私が見た書評では、誉めていたけれど、その書き方から、かなりリアリティのなさそうな小説で、私の好みではないなと思っていましたが、読んでみたら結構おもしろかったです。

 

 

 理由の一つは、物語の舞台である京都で主人公たちと同じく学生生活を送ったことにあると思われます。ウン十年前の記憶は、この小説と同じくらいリアリティがなくなっているためか、すんなり物語の世界に入っていけたのかもしれません。

 

 

 これは、青春ラブストーリーです。ストーリー的には、大学生が後輩の女の子に一目ぼれし、彼女の気をひこうと、彼なりの涙ぐましい、しかしかなり回りくどい努力をするというもので、非常に漫画的な、ややありふれたものです。

 

 

 彼女の姿を追って、木屋町、下鴨古本市、そして京大の大学祭と彷徨いながら、とても奇妙な世界に巻き込まれるのですが、それは、若冲か、芳年の世界のように、カラフルなのだけれどどこか暗い。

 

 

 

 読みながら、なぜこんな展開を楽しんでいるのかなぁ・・・と自分で不思議に思いましたが、学生時代にちょくちょく行った小劇場の芝居の世界とも通じるのかなぁと思ったり、自分の学生時代も楽しかったけれど、まだまだやりたい事が見つからないし、その後の人生に不安も一杯だったあの頃の自分の気持ちと通じるものがあるのか・・・最後までわかりませんでした。

 

 

 でも、そうやって思い出してみると、私の場合、二度とあの頃には戻りたくないなぁという気持ちが改めてするのです。

 

 

 

 27歳頃まで、私は自分に対する、不安と期待を抱いていました。ネクラという言葉がはやっていましたが、確かに自分の内面は底なし沼みたいだと思っていたのです。でも、底なし沼で足を取られていると思っていたある日、突然気づいたのです。この沼は浅い・・・。そしてそれから毎日を楽しんで生きることができるようになりました。

 

 

 だから、私にとって京都での4年間は、楽しかったのだけれど、どこか暗い色で覆われていて、この本の奇妙な世界が妙に懐かしかったのかもしれません。


ブンブン堂のグレちゃん-大阪古本屋バイト日記

2008-08-16 | その他
ブンブン堂のグレちゃん―大阪古本屋バイト日記
グレゴリ青山
イースト・プレス

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 古本屋ものの本が大好きなので、噂を聞いて図書館で借りました。家に帰って開いてみたら漫画だったのでびっくり。 でもやっぱり古本屋をめぐる話は面白かったです。

 

 

 18歳で専門学校生になったばかりの頃から約2年間、大阪の古書店”ブンブン堂”(仮名)でバイトしたときのエピソードがとてもユーモラスに描かれています。

 

 

 絵が”ヘタウマ”風なので、グレちゃん本人の顔は、お世辞にもかわいくは無いのですが、18歳の女の子が古書店街の人たちに可愛がられていた様子がとてもほほえましいです。

 

 

 きっと、彼女の人柄でしょうねぇ。この頃は、”えぇっ、外国って一人でもいけるもんなん?”という具合で、後々アジアを放浪するようになるような兆しは全く無いのですが、きっと古本屋に集ってくる、ちょっと風変わりな人たちの世界よりもっと広くて、風変わりな世界に呼ばれたのでしょうね。

 

 

 おもしろい人が古本を呼ぶのか古本がおもしろい人を呼ぶのか

 

 

 と最後に書いているけれど、やはり人生は縁。本も縁。すべて繋がっているんだと私は思います。やりたい事がなかったときは、今目の前にある生活、自分に与えられた役割を、たとえ地味でも、たとえ光り輝く将来に続いた道には見えなくてもコツコツ一生懸命やることで、人から愛され、縁をもらい、次の人生が開けてくるんだよなぁと思いました。

 

 あー、また古本屋に行きたくなってきました。

 


心臓外科医-僕が医療現場をあえて世間にさらけ出す理由

2008-08-15 | その他
心臓外科医―僕が医療現場をあえて世間にさらけ出す理由
南淵 明宏
講談社

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 この前に読んだインド伝承医療(アユール・ヴェーダ)について書かれた”生命礼賛”では、西洋医学の限界について考えさせられた後、西洋医学的な方法の最先端の現場である心臓外科手術や医師をめぐる状況を読んで、またまた、うーんと考えさせられてしまいました。

 

 

 著者は、奈良県立医大卒業の医師。大学病院や国立循環器病センターを経て、このままでは心臓外科医としての十分な手術経験が詰めないと、自ら日本を飛び出してオーストラリア、シンガポールでトレーニングを積んだ後、日本に戻られて、現在神奈川県の大和成和病院心臓病センター長として、日々患者に向き合ってガンガン手術をされているようです。

 

 

 世界に向けても、患者に向けても開かれていない医師の世界を本当に辛口でテンポよく書かれていてあっという間に読めてしまいます。

 

 

 心筋梗塞や狭心症はとてもよく聞く言葉なのに、臨床外科手術の十分な経験を積んだ医師が不足している?産婦人科や小児科では医師が足りないのに、心臓外科では医師余り? と、信じられないような現実。そして、臨床をガンガンやる医師より、論文を沢山書いた人が教授になる?

 

 

 大学病院改革があって、日本の医療現場も少しは変わったかもしれませんが、これは患者もよくよく勉強しないといけないなぁ・・・と思いました。

 

 

 私自身昨年、初期の子宮ガン手術を受けましたが、その時には、インターネットで病気や経験者の情報を調べまくりました。しかし病院や医師個人の成績や評判などはほとんど得られませんでした。私が最初に診察してもらったのは地域の中規模病院で、担当医自身がインターネットでホームページを個人的に開設し、情報を開示されていたのでそれを信用することにしましたが、いくら珍しくない手術でも決心するまでにいろいろ悩みました。知り合いからは大きな病院に行けと何度も言われましたが、本書を読んでみると、やはり大病院は怖い。

 

 この本を読んで、もし自分が心臓外科手術をうけることになったら南淵先生に執刀してもらいたいなぁという気持ちにはなりましたね。ただ、本書の中で先生は、オーストラリアの医療現場をとてもすばらしいものと評価されておりましたが、旦那(オーストラリア人)の知り合いで、病院で事務方として長く働いておられた方は、”もしも、この国の病院の現実をしったら、恐ろしくて病院に行けなくなるよ”と言っておられたようで、そういう意味では、どんな国にも問題はあり、逆に日本の医療の現場でもすばらしいと評価されることもあるんじゃないかな・・・という希望的観測ではありますが、感想ももちました。

 


生命礼賛  蓮村奮

2008-08-10 | その他
生命礼賛―アーユルヴェーダから「ヴェーダ医療」へ
蓮村 奮
総合法令出版

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 アユール・ヴェーダに興味があったわけでなく、たまたま図書館の「新しく入った本」の棚で、手にとってパラパラと見たとき、私の嫌いな"スピリチュアル”系か?っと思って一度棚に戻したのですが、なんだか気になってもう一度取って借りてしまいました。

 

 

 ということで、アユール・ヴェーダについても、マハリシ・ヴェーダ科学と言う言葉もこの本で始めて知った程度なので、ここに書く私の理解が間違っていてもそれはそれで許してください。

 

 

 アユール・ヴェーダとはインドの伝承医学。マハリシさんという方が中心になって、インドの伝承科学、-いわば自然の法則そのもの- を -再編成した知識体系- だということ。

 

 

  私たちの心も体も、そして全ての物質の源は、”純粋意識”であり、それが揺らいで、自らを認識し心が始まり、それが外界を認識する。つまり心がなければ、体も客観的な物質もなく、純粋意識がなければその”心”もない。

 

 

 そして、 純粋意識の認識間のプロセスが何かの理由によって途切れた状態が、”病気"という状態。このプロセスを元に戻すのが、アユール・ヴェータ医療の治療ということのようです。

 

 

 読みながら、唯識でいう、”阿頼耶識”というものと通じるところがあるような気がしましたが、これも、”やさしい唯識”という文庫本さえ読み通せていない私の思い違いかもしれません。

 

 

 

 中国の伝統医療もそうですが、このアユール・ヴェータも、病気の症状に注目せず、その原因に注目し、根本を治療しようとするという点はすごくよいなぁと思いました。

 

 

 たとえばアユールヴェーダでは、脈診を重視していて、脈をみれば体のどこに問題があるか分かるそうです。そういえば、昔はお医者さんは、脈を診てましたよね。あれは、単に脈拍を数えていただけなんでしょうか。脈診で全てが分かるというのを鵜呑みにはできませんが、患者の肌に触ったその”感覚”って本当は大切なんではないでしょうか。

 

 

 会社の近くの総合病院の耳鼻科では、”どこからどうみても風邪です”という症状でも、必ず血液検査をされるので、ばかばかしくて行くのを止めたのですが、こういう患者を診ずに数字を見ると言う医者は、少し真剣に東洋医学を勉強されたらどうでしょうか。随分、医療費の削減に寄与すると思います。

 

 

 それに、人間の脳のプロセスをシミュレートした、ニューロンコンピュータなるものでは、複雑な問題の最適解を探すのは、通常のコンピュータより、ずっと速いというではありませんか。いろんな検査をしたあげく、自律神経失調症の一言でかたづけられて、長い間辛い思いをしている人たちの救いは、こういったアナログ情報を解き明かす東洋の伝統的な医療のなかにあるのかなぁ・・・なんて思いました。

 

 

 私はもちろん西洋医学にも科学にも疎いので、そういう側からの反論があれば、それもまた”ふんふん”と納得してしまうかもしれません。でも、決してそれらと真っ向から相容れないものでもないような気がするし、5000年の歴史は侮れないという、尊敬の念を持って、日本の医療者の方々の一人でも多くが、よいところは取り入れてほしいなぁと願わざるをえません。

 


治療島 セバスチャン・フィツェック

2008-08-08 | 小説
治療島
セバスチャン・フィツェック
柏書房

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 読み終わった瞬間、

 

 うーーーん

 

 でした。

 

 いや、面白かったのですよ。ホントデス。

 

 帯には、

 

ある日突然、精神科医の愛娘が消えた。その4年後に始まる不気味な《治療》

スピード感がゾクゾクする

心の時代の新型サイコスリラー

 

 

 とあり、”ダン・ブラウンより面白い!"というようなドイツメディアの評を見れば、怖い話は嫌いでも、”脳”や”精神”の話が大好きな私ですから思わず手にしてしまいました。

 

 

 確かに、スピード感があり、どうなってるんだろう・・・という興味でページをめくる手を止められません。でもそうやってストーリー展開に引っ張られて読んでしまう私のような軽率な読者は、読み終わったとき

 

 うーーーん とか へっ 

 

 となってしまうかも知れません。

 そして、もう一度、物語の最初に戻って読み直してみざる得ず、すると、こんな風に真実を散りばめてあったのかと愕然とするのです。

 

 

 「人は自分の見たいものを見る」

 

 

 と言うことを、わが身のこととして実感しました。 なんと沢山のものを見落としていたことか。

 

  

 娘を見失った瞬間のパニック状態から一転、現在(数年後)、主人公のヴィクトルは、精神病院のベッドに拘束された状態で話し始める。事件から4年後、パルクムという小さな島にある別荘で引きこもっていた彼のところに、統合失調症で、彼に治療してほしいと、アンナと名乗る女性が訪ねてくる。気乗りしないまま、彼女の治療を始めたとき、彼とは無関係であるはずなのに、その告白は、娘の失踪と妙に符合し、そして彼は事実を知ることになる。

 

 

 語られるエピソードはどこもかしこも現実感がなく、最後にこれは「妄想」だったんだとどんでん返しをするんだろう・・・これじゃ、丸分かりじゃないとちょっとバカにしながら読んでいて、最後にまあそれも外れてはいなかったことが明らかにはなるのですが、しかし、ちっとも丸分かりしていなかったことが分かります。

 

 

 人は、見たいものを見る。そして、それはいつも自分の内側にある・・・。

 

 

 ダン・ブラウンと比較しても面白さの”質”が少し違うというのが感想でした。

 

 


お家さん 玉岡かおる

2008-08-07 | 小説
お家さん 上巻
玉岡 かおる
新潮社

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お家さん 下巻
玉岡 かおる
新潮社

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これは神戸の「鈴木商店」の物語です。

そしてお家さんと呼ばれた、一人の女の物語でもあります。

 

と言うフレーズで始まるこの小説、はっきりいって面白かったです。なんといってもわが故郷神戸の近代史を彩った、鈴木商店の物語ですから。

 

 偉そうなことを言ってますが、実は、鈴木商店のことは、ほとんど知りませんでした。知っていたことと言えば、神戸製鋼所の始まりは、おばあさんが牛耳っていたらしい・・・というなんともあいまいなことくらいで・・・。 

 

 とはいえ、本書はそのおばあさん、鈴木よねさんの物語です。

 

 鈴木商店は、単に、神戸製鋼所の前身だと思っていたのですが、実は全然そんなスケールではなく、”大財閥”だったんですねぇ・・・。それも、国策で作られた大工場の払い下げから大きくなった三井、三菱と異なり、砂糖と樟脳を扱っていた個人商店が、”金子直吉”という時代の申し子のようなスーパー番頭の裁量で、自ら様々な産業を興して成長し、一時は、年商日本一、ヨーロッパでもっとも知られた巨大商社だったというのですから驚きです。

 

 

  日露戦争から第一次世界大戦の頃まで、活気を呈した神戸の様子が、とてもいきいきと描かれていて、それにもびっくり。またその後の不況で、失業者が溢れ、大企業であった鈴木商店が焼き討ちにあったという米騒動の話も、ほとんど知りませんでした。両親は、祖母からよく聞いたそうですが・・・。ほんと、知らないことだらけだなぁ・・・。

 

 

 鈴木商店というのは、前述の金子直吉が作ったと言っても過言ではなく、およねさんは、彼の才能を信じて、奥から会社や社会を見ていた女性のようです。物語はおよねさんの視点で描かれているため、たとえば司馬遼太郎的な、歴史小説とか、経済小説を期待していると、少し期待はずれかもしれません。

 

  

 彼女や、前夫の遺児である珠喜、再婚した夫が結婚する前にある女性との間にもうけた千など、多くの女性の人生については、およねさん自身の見聞きした話として、とても活き活きしているのですが、歴史大好きの父なんかは、こういうところで退屈してしまうみたいです。

 

 

 

 そうはいっても、十分歴史の流れが描かれているのですが、国を治める側の視点ではなく、一民間企業の視点で描かれているので私には新鮮でした。ビジネスマンが当時の世界情勢をよねさんに説明する形で描かれているため、読者である自分自身も一緒になって聞いているような感じで、とてもわかりやすく、臨場感を感じて読むことができました。

 

 

 

 神戸に住んでいる人には、絶対お勧めです。

 

 

 この本を読んだ後、栄町や旧居留地後を歩けば、当事の活気を肌で感じることができること請け合いです。

 

 

 地元だから結構話題になっている本ですが、全国的にはどうなんでしょうか。物語はドラマ向き。NHKで頑張ってドラマ化してほしいなぁ。(そうなったらお家さんの役は、誰がよいかしらん。私の好みは名取裕子かなぁ・・・)