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本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

カラスの教科書 松原始

2016-07-31 | 評論

 

  Q: ・・・カラスと目を合わせると襲われそうで怖いです。

 A: 大丈夫です。向こうもそう思ってますから。

カラスの教科書 (講談社文庫)
松原 始
講談社

 

 著者の松原始氏は、動物行動学の専門家で、長年カラスの研究をされている方で、本書には著者のカラスへの愛が溢れていて、かわいいなんて思った事の無かったカラスがちょっとかわいく思えてくること間違いないです。

 この本の魅力はだから、カラスそのものではなくて、たとえカラスという世間の嫌われ者でも、カラスの気持ちになって理解しようとする著者の人間性にあることは間違いないです。

 そして、その魅力を増幅しているのが、編集者による素敵なカラスのイラストです。

 もう、このカラスのキャラクタグッズがあったら、絶対買いますよ~。

  ところで、この本を手にしたのは、やっぱり私が、カラスって賢い鳥だと思っていたからなんだと思います。以前カラスは賢くて、攻撃されたら相手の顔を覚えていて仕返しするからと、駆除業者が顔を隠して作業をしている様子をテレビで見たこともあるので、このことは定説だと思っていたのですね。

 でも、著者がいうには、人間にとって「賢く見える」事が「賢い」の定義。でも本当に異なった生き物の賢さを計るのは無理があるんだと

 例えば、正解のボタンを押し続ければいればそのうち餌がでるよ、という装置を使ってハトに課題を解かせると、ハトは餌が出るまで何千回でもボタンをつつく。あきらめるという事を知らないのだ。例えて言えば、自販機にコインを入れてボタンを押したのにジュースが出ない時、「出ないよ?出ないよ?出ないよ?」と何千回も押し続けるのがドバト流である。(中略)。

 だがここで、ハトの視線で考えてみよう。ドバトのエサは果実や種子で地面にめり込んだような種子でも、つついていればそのうち口に入るらしい。(中略)つまり「諦めることを知らない」「何も考えない」というのはドバト的には全く正しい、最も賢いやり方だと言える。

 

 一般の人が陥りがちな単純な判断に、違った視点を与えてくれるというのが、私の読書の一番の楽しみで、こういう文章を読むとワクワクしてしまいます。

 今までは「カァ~」という声が聞こえても見向きもしなかったのに、今は、どこで鳴いているんだろうと探してしまうし、ゴミ置き場のカラスをみると、ハシブトかしら、ハシボソかしらと見つめてしまいます。

 余談ですが、この本の中に、「カラスの絵本図書館」というコーナーがあって、何冊かの絵本が紹介されております。そこには紹介されていなかったのですが、私は子供の頃に読んだ、「カラス旦那のお嫁取り」というアラスカエスキモー(イヌイットって今は言うんですよね)の昔話集を思い出しました。

 この本ににある「てばたき山」というのは、鳥が渡りをするときに通らなければならない山なんだけど、トロトロ飛んでいると、その山が両側から手をたたくみたいに迫ってきて挟まれてしまうというような話だったと思うのです。子供の頃にそれが恐ろしくて強烈なイメージが焼き付いているのか、今でも時々そのイメージが浮かんでくることがあるんですよねぇ。

 この本を読んで、ワタリガラスという種類のカラスはその名の通り、渡り鳥。この本の主人公はワタリガラスだったんですね、きっと。

 


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ネット時代の図書館戦略 ジョン・ポールフリー

2016-07-18 | 評論

 世界中の都市や町で、予算を審議する時期が来るたびに同じ論争が盛んになる。デジタル時代における図書館の存在意義とはなんなのか。


ネット時代の図書館戦略
ジョン ポールフリー
原書房

 前回の記事をかいてから2年近くも放置していたこの読書ブログですが、またゆっくり再開しようかなと思います。

 放置はしているものの、毎日数十件ですが確実にアクセスをしていただいているのは励みになるし、やっぱり本は読みっぱなしより、一冊読んだら少し振り返り、感想をまとめる努力をすることが、自分のためになるなあとつくづく感じる今日この頃なので・・・。

 さてこの本、「ネット時代の図書館戦略」は、本好きな人ならやっぱり手に取らずにはいれないタイトルではないでしょうか。

 著者は、もともと法学の教授という立場で図書館にかかわっておられたとのこと。ハーバード・ロースクールの学長となり、「世界最大の図書館を運営してみないか」と言われて飛びつき、もともと「デジタル技術の利用が民主主義制度をどう変えるかについて教えたり書いたりしていた。」という経歴などもあり、今はアメリカ・デジタル公共図書館(DPLA)の設立委員長として、尽力されているという、さすがアメリカだなぁというマルチな方のようです。

 私にとっての図書館は、タダで本を貸してくれる場所というものだったのですが、本書によると

 ・情報を提供をする場

 ・学習の場所

 ・ローカルコミュニティへのサービス提供をする場所

 などの役割を果たしており、そこには司書という専門家がいて相談もできるし、それら全体が公共のサービスとして誰にでも無料で提供されているということが重要だということです。

 しかし、紙やDVDといった実態をもった出版物だけが記録された情報ではなく、インターネット上に日々蓄積されていく情報も含めて、体系的に保管して提供するということはすでに個々の図書館の努力ではどうにもならない。よってそれぞれの図書館は、自分たちの特徴あるコレクションのアーカイブを行い、それぞれのできるサービスを提供し、それをDPLAといった全国組織で連携する。個々の図書館は、来館者(家にいながらでもいいのでしょうが)に対してそのネットワークを提供する基盤としての役目を果たし、司書は水先案内人となる・・・といったイメージが粗っぽくまとめると著者の描く未来像のようでした。

 日本でも最近、公共図書館の運営を民間企業に丸投げしたというニュースが流れました。著者は図書館が果たすべき役目は、国や自治体がやらなければ、多分企業がやるだろうが、それで本当に良いのか?ということを何度も述べられています。現代のビジネスの世界は先を見ると言ってもせいぜい数年単位。少なくとも何百年も先の人たちの為の情報アーカイブという役目は公共が果たさないと、企業に任せていたのではできませんよね。

 そして、この本を読んでいちばんハッとしたのは、メールやブログなどの情報も歴史的に残すべきものであっても手が付けられない状況にあるということです。

 確かに、図書館や博物館に保存されている偉人達の日記や書簡が歴史的に重要なのは言うまでもなく、ごく普通の人が書き残した日記なども、時代を経ると当時の世情や風俗を知る貴重な手掛かりになっていることは、疑問の余地がありません。

 今や、意図的に情報発信しなくても、検索や買い物した履歴、そして電気やガス、テレビなどの家庭での利用状況などもビッグデータとしてどこかに集められていく時代。

 それらを管理し、未来に残していく役割を担うのは、図書館というネットワークがいちばんいいのかもしれません。この先、図書館がどんな変化を遂げていくか楽しみになってきました。

 


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フランクル 夜と霧

2013-12-14 | 評論

フランクの心理学では、

「あなたの内側に何かを探し求めないでください」

「あなたの心の内側をのぞき込まにでください」と言います。

そして、次のように問うていくように促すのです。

「この人生から、あなたは何をすることを求められているのでしょうか。」

「この人生で、あなたに与えられている意味、使命はなんでしょうか」

「あなたのことを必要としている誰か、あなたのことを必要としている何かが、この世界にはあるはずです。その誰かや何かに目をむけましょう」

「その誰かや何かのために、あなたができることには何があるでしょうか」

 

フランクル『夜と霧』 2013年3月 (100分 de 名著)
諸富 祥彦
NHK出版

 

  少し前にアマゾンのページで、死ぬまでに読むべき本100冊

 (だったかどうか全く自身がないのですが)というような特集があり、

 自分が読んだ本が何冊くらいあるかなぁと思いながらつらつら見ておりますと、

 「夜と霧」という(恥ずかしながら)全く聞いたことのなかった作品名があり、

 ホロコーストを経験したユダヤ人心理学者の著作だということで、

 さっそく図書館に申し込んだところ、届いたのが本書でした。

 「夜と霧」ではなくて、その解説本で、なんだ・・・・とすこしがっかりしましたが、

 とりあえず読みやすそうなので、読み始めると

 1時間ほどで一気に読めてしまいました。

 そして、「夜と霧」を読む前に、こちらを読んでよかったと思っております。

 (といっても、「夜と霧」はまだ読んでないのですが)

 フランクルの作品に大きな影響を受けたたという著者のプロフィールをみますと

 明治大学文学部教授にして、教育学博士、臨床心理士、

 「時代の精神と戦うカウンセラー」とありました。

 私は、本の中の人物の心の弱さには寛容でいられても、

 現実の世界で、自分の周囲の苦しんでいる人に対しては、

 ”自分のようなものには理解できない”といつも距離を置いているし、

 どこかで、弱虫って思っているような、卑怯者です。

 その裏返しで、自分が悩んだ時も人に相談するという発想がなくて、

 カウンセラーという職業にも酷く懐疑的だったのですが、認識が変わりました。

 若いころは、結構自分自身の事で、ウジウジ悩んだりしてましたが、

 年を重ねるにつけ、悩みを抱えるのが面倒になってきて、

 できるだけ悩まない、苦しまない道を選ぶことが、スマートな生き方だと

 思っていた節があります。

 そして、50歳を超えた今振り返ってみると、 随分薄っぺらら人生だったと

 気づいたのですが、若いころに、この本(「夜と霧」のほうですが)に出合っていたら、

 悩みから逃げるのではなく、もう一つ上のレベルに引き上げて、

 人のために悩むということができていただろうに・・・。

 そういう意味で、もし悩みの多かった高校生の頃に戻って、

 著者のようなカウンセラーの人にあっていたとすれば、

 人生変わっていたかもしれないのだなぁと思いました。

 ちなみに、私の旦那は、悩むことが趣味じゃないのと思うほど、

 悩みの多い人ですが、一緒に悩むという訓練ができていない私の

 ある意味、突き放した、冷たいアドバイスでも、ありがたいと言ってくれる人です。

 そして、そのことでまた自分は、別に救いが必要だと思っていたわけではないのに、

 救われているのだと思います。

 「人生は決してあなたには絶望しない」

 というフランクルの言葉通り、わたしにも人生はこんな役目を与えてくれたんだなぁ

 なんて思ったりして・・・。

 ”愛”ってやっぱり地球を救いますね。

 (「夜と霧」はその悩み多き旦那(日本語が読めない豪州人)と一緒に読めたらいいな

 ということで、英語版を入手したのですが、さてさて読み切ることができるでしょうか)

 


分断されるアメリカ サミュエル・ハンチントン著

2013-11-03 | 評論

 分厚い本で、とりあえず読み終えることを目標に読み始めました。

分断されるアメリカ ナショナル・アイデンティティの危機
サミュエル・ハンチントン著 鈴木主税訳
集英社

 過去三世紀半にわたってあらゆる人種、民族、宗教のアメリカ人によって受け入れられてきたアングロ-プロテスタントの文化と伝統および価値観に、アメリカ人はもう一度立ち返るべきなのだ。これらのものこそ、自由、統一、繁栄の根源だったのであり、そして世界における持続した勢力として道徳的なリーダーシップを発揮してきたもとだったのである。

 子供の頃、「外国」の代表がアメリカでした。

 私の夫は白人ですが、知らない人から、「アメリカ人ですか?」と聞かれることはあっても、それ以外の白人の国の人ですかと言われたことはありませんから、実は今でも、そういう感覚の人、多いのではないでしょうか。

 ここ20年、私自身のアメリカに対する印象はずいぶん変わりました。 どちらかというと、悪い方に・・・。

 そして、上に引用したような言葉を読めば、最近の私なら、「何様!?」って思っていたかもしれません。

 しかし

 アメリカ人は移民と同化について論ずるさい、移民を差別せずに一般化する傾向にあった。こうして彼らは、ヒスパニック移民-なかでもメキシコ移民-が突きつける特殊性や難題、あるいは課題に目をつぶってきたのだ。少なくとも2004年までは、メキシコ移民に関する論争を避け、この隣国との総合的な関係という幅広い問題を、それが他国との問題と変わらないかのように扱うことによって、アメリカ人はアメリカという国が今後も、一つの国語とアングロ-プロテスタントという共通の主流文化を持つ国であり続けるのかという問題も避けているのだ。だが。その問題を無視することは、それに答えてもいるのであり、アメリカがいずれ二つの民族と二つの言語と二つの文化をもつ国に変貌することを黙認しているのである。

 というような文章を読めば、見方も変わります。

 日本とはそもそも国の成り立ちが違うわけで、単純に比較はできませんが、もしも日本で同じように、例えば隣国から大量の移民が合法、非合法になだれこんできて、日本語が通じないような町が出てくるというようなことになれば、かなりの”ヘイト”リアクションが巻き起こると思います。

 礼儀正しい日本人でいられるかどうか・・・。

 そう考えると、オバマケアに多くのアメリカ人が反対するのをみて、あまりにも非寛容と思っていましたが、日本人には考えられないくらい、寛容なのかなとか・・・。

 ただ、もしかして、そういう国内の軋轢を、”テロとの戦い”に目を反らせることで、国としての一体感を維持しようとしているということも言えるのでしょうか。

 とにかく読み終えるという目標だけはなんとか達成しました。

 私程度の読み手にはとても総括はできませんが、アメリカという国のあり方を通じて、自分の国である日本を見る新しい視点を得ることができて、読んでよかったと思える一冊でした。

 


コーヒー・ハウス 18世紀ロンドン、都市の生活史 小林章夫

2013-02-20 | 評論

 「講談社学術文庫」というところからわかるように、本書は学術書なんですが、とても読みやすく、面白かったぁ・・・と言える一冊でした。

コーヒー・ハウス (講談社学術文庫)
小林章夫
講談社

 この本の前に読んだ立花隆氏と佐藤優氏の対談集「ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊」の中で、佐藤優氏が選んでいられた本でした。

 佐藤氏によると、ソ連時代のモスクワにはほとんど喫茶店がなかった。理由は陰謀の場になるからなのですが、佐藤氏によると、

 コーヒー・ハウスというのは喫茶店の原型になった場所なんです。ロンドンといえば紅茶ではないかと思われるかもしれませんが、イギリスに紅茶が浸透するのはインドを植民地化して以降なんですね。その前はコーヒー文化があったんです。それで、コーヒーハウスに入ると、身分や職業に関係なくみんな平等に議論する。そこから政治的な空間(公共圏)ができてきた。

 とのことで、ちょっと興味をそそられて読んでみました。

 17世紀半ばに初めてのコーヒー・ハウスが開店し、ピューリタン革命から王政復古へ至る時代の中で、佐藤氏が指摘したような、政論の場として発達し、その後は、新興ブルジョワジーにとって「情報センター」となり、そこからジャーナリズムが生まれてくる。また18世紀に入ると、コーヒー・ハウスごとに趣味を同じくする人たちが集まるようになり、「クラブ」が発達し、また文学論などを交わす場となり、「小説」といった新しい文学作品の形態の萌芽もこの空間と決して無縁ではない。

 議会制民主主義やジャーナリズム、そして保険会社ロイドもコーヒー・ハウスが起源だったのかと感慨深いというか、歴史のダイナミズムを感じて、読みながらワクワクしてしまいました。

 歴史って、本当に面白いですねぇ・・・。

 21世紀のコーヒー・ハウスは、インターネット、FaceBookだったりするんでしょうか。

 前記の「僕らの頭脳の鍛え方」には、サブタイトルの通り、400冊もの本の紹介があったので、また何冊か読んでみたいと思います。


中国赤い資本主義は平和な帝国を目指す 副島隆彦

2013-01-23 | 評論

 「これから先の20年、30年先のことなど何も心配しない」という。これは中国人の本心であろう。

 日本人はそれと比較して、これからの10年、20年、30年先の心配ばかりしている。毎日生活の不安に襲われながら生きている。中国人たちは私にはっきりと言った。

 「日本人はみな神経症で、うつ病なのだ」と。彼らは私たちの真実をはっきりと見抜いているのである。それでは、日本の良い点は何か、と私が聞いたら、やはりはっきりと「日本はきれいで生活だ。中国人は見習いたい」と言った。

中国 赤い資本主義は平和な帝国を目指す 

 ー日本はどのように立ち向かうべきか

副島隆彦 著
ビジネス社

 尖閣諸島の問題から中国内の反日のデモがおこり、多くの日系企業が被害を受けたというニュースが流れ、それ以降当然ではあるのだけれど、日本の国内でも”反中国”の言論が力を得てきているように感じます。

 私が10代の頃は、”自虐的歴史観”が主流で、ナショナリズム的な言動が、公にはできない雰囲気があったのが、今は逆転しているように感じるのですが、どうでしょうか。

 本書は、図書館で、「今日反ってきた本」の棚にあったので、何気なく借りて読んでみたのですが、なかなかマスコミを通じては聞こえない意見で面白かったです。

 ただ、紋切り型の文章で、政府の主要人物についても、単純に善人、悪人という2つのカテゴリーにどんどん分けてしまっているし、わからないこともわからないと注釈しながら想像で書いているところが、ちょっとこの人の話を信用してもいいのかな・・・と不安にさせます。それに小沢一郎を善人としているところなんかも、ちょとね・・・。

 「中国人が、国家基本原則として絶対に譲らない2つのこと。それ以外のことだったら、これまでの自分たちの固執を全て投げ捨てて、世界基準に従う」という中国人の行動基準(頭のしくみでもある)を私たちがわかってあげることが必要だ。そうすることで「中国人は汚い、気持ちが悪い、恐ろしい、嘘つき」問題が半分は解決するだろう。

 しかし、それでも日本人は(1)(2)の点でも、中国人に譲歩して「理解を示す」必要はない。(1)の中国民主政治の前進(普通選挙制と複数政党政治)と、(2)台湾・チベット等に対して強硬なことはするな、と彼らを説得し、主張し続けるべきだ。どうせ向こうは「あなたの主張を拒否します」という態度をとるだろう。が、そんなことは構わない。

 向こうの大きな弱点は弱点としてはっきりと知った上で、しつこくいいつづければいいのだ。何も遠慮する必要はない。どうせ向こうは「遠慮」などというコトバが通用するような”甘ちゃん”の国民ではない。その一方で、どうせ日本人は政治(政治思想の勉強)オンチ民族だから、政治問題になるとからきし弱くなる。ここが今の日本人の弱点だ。

 1945年の敗戦の後の62年間で、アメリカ(グローバリスト、ニューディーラー)から日本人はきれいさっぱりと計画的に「国民洗脳」されたからだ。

 だから同じく過去の戦争中の日本の中国侵略については、中国が要求するのであれば、いくらでも謝罪すべきだ。ここで居直ると見苦しい。(1)(2)の原則で居直っている中国人とちっとも変らなくなって見苦しい。自分の弱点はさっさとさらけだして、その上で自分の立場を強化すべきだ。そうすれば日本は中国と対等になれる。

 こういう明確なきっぱりとした態度の取り方では中国人はきわめて合理的な判断をする。

 

 太字は、オリジナルの文章の中でも太字でしたが、下線部分は私がつけました。

 というのは、以前、中国人に最も人気のある政治家は小泉純一郎だという話を聞いたことがあります。 首相として堂々と靖国神社参拝しちゃったのに、何故?と思っていましたが、タカ派の安倍首相の就任の際も、意外に中国が変に反応しなかったことも合わせて、この文章を読んだらちょっと納得したからです。

 私の世代なんかは典型的にアメリカに”洗脳”されてるんですかね・・・。

 とはいえ、アベノミクスの公共事業への巨額の財政支出は、学校で習った「ニューディール政策」と何ら変わらないのでは・・・?と不思議に思っていましたが、私より一世代上の安倍さんも、すっかり洗脳された口なんだろうかと思ったり…。

 そのアメリカが、力を失ってきたからと言って、次のパワーである中国に洗脳されては、何の発展もないし、相手の事をよく知り、対等な付き合いができたらいいのになぁと思ったのでした。


暇と退屈の倫理学 國分功一郎

2012-08-26 | 評論

 消費社会は満たされなさという退屈を戦略的に作り出し、人々をその中に投げ込むことで生き延びていると言えるかもしれない。

暇と退屈の倫理学
國分功一郎
朝日出版社

 タイトルからして、もう少しお気楽な読み物かなと思ったのですが、とんでもない勘違いでした。

 とはいえ、読んでいて”退屈する”ような堅苦しい書き方もされておらず、私のような根性のない読者でも最後まで楽しんで読めました。

 暇と退屈をめぐる問題認識と、その歴史的、哲学的な考察、私たちが、暇と退屈を抱えながらどういきるかという方向性を示すという構成になっています。

 私にとって非常に興味深かったのは、やはり自分をも含む現代人の問題としての、消費と退屈の関係です。

 著者は、浪費と消費は違うといいます。

 浪費は、「もの」を受け取るのでどこかで満足する。けれど消費によって人が受け取るのは、「観念」なので、満足が得られない。だから人は、「ものを受け取る訓練」をし、「贅沢をとりもどす」必要があるというのです。

 最近流行りの、『断捨離』は、自分の周りに溢れるものを捨てて自由になろうということと理解していますが、その逆に見えるけれど、通じるところもありますね。

 確かに、食物を「消費」している国の人たちの怖ろしいほどの肥満は、食に対する退屈の象徴のようにも見えます。

 そして結論の中で著者は言います。

 <暇と退屈の倫理学>が向かう二つの方向性を結論として提示する。ただし、それらの二つの結論は、本書を通読するという過程を経てはじめて意味を持つ。

 論述を追っていく、つまり本を読むとは、その論述との付き合い方をそれぞれの読者が発見していく過程である。

 読者はここまで読み進めてきたなかで、自分なりの本書との付き合い方を発見したはずだ。それが何よりも大切なのである。

 

 人が人である限り何かに退屈させられたり、何をやっても退屈と言う気分になってしまうことは避けられない。それを解決する手立てが自分の外あると期待して探すだけでは何も見つからない。外部から来る「もの」を受け止める土台を自分の中にしっかり作ってこそ、奴隷にならずにそれを愉しむことができる。

 私が得た結論をまとめてみると、なにか至極当たり前で、以前からわかっていたことの様にも思えますが、上記に引用した通り、この本を読むという過程を経たということが大きいと思いたい。(笑)

 そして、50才という大台を迎えた今、これからの人生について、退屈を怖れるため、消費に走り、さらなる退屈に見舞われないよう、自分の周りの”もの”との付き合い方から見直していきたいと思ったのでした、


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奇跡の教室

2012-05-05 | 評論

 薄い文庫本に3年を費やす。

 生徒の興味で脱線していく授業、「わからないことは全くない」領域まで、1冊を徹底的に味わい尽くす、崇高な「遅読」「味読」(スロウリーディング)---。

 教師の願いどおり、『銀の匙』の世界は、”幸運な6分の1”の灘校生の、その後の人生の背骨になっていった。

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち
伊藤氏貴 著
小学館

 すごい、さすが灘校。

 父から読んでみるか?と渡されましたが、自分が興味を持って入手した本じゃないので、ずっと放置していたうえ、本好きの友人に貸して、その友人の妹経由で返ってきた後に読みました。

 でも、読んでよかった。

 エチ先生と呼ばれた橋本武先生は、昭和9年に東京高等師範学校を卒業し、当時開校6年の灘中学に赴任。当時、私立は公立の格下と思われていた時代、公立で口が見つかるまで数年の腰掛けと思って行ったその学校で、結局71歳までの50年間教壇に立ち続けたという方です。

 灘校は中高一貫教育で、教師は6年間持ち上がり。エチ先生は国語の教師として、昭和25年から担当した生徒に対し、最初の3年間で『銀の匙』という文庫本1冊をじっくり読むという授業をしてこられました。

 3年で1冊の本を読む授業なんて想像もつかないし、不安に思った生徒も多かったようですが、

 エチ先生の話は文庫本のなかの言葉一つから横道にそれていき、日本の伝奇伝承からアラビアンナイトまで、詩の宇宙から中国の兵法の話まで、『銀の匙』から自由に行き来する世界を、彼らは楽しいと感じ始めていた。

 とあり、これなら確かに授業として濃いですよね。

 昭和37年5月(関係ありませんが、私が生まれた時です)それでも反発するある生徒の言葉に一度だけ授業の真意を話されたそうです。

すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなります。そういうことを私は教えようと思っていません。なんでもいい、少しでも興味をもったことから気持ちを起こしていって、どんどん自分で掘り下げてほしい。私の授業では、君たちがそのヒントを見つけてくれればいい……。だから、このプリントには正解を書いてほしいとは思っていません。自分がその時、ほんとうに思ったことや言葉を残していけばいい。そうやって自分で見つけたことは君たちの一生の財産になります。そのことは、いつかわかりますから---。」

 灘校と言えば言うまでもなく、全国で有数の進学校。受験勉強の対局にあるようなこういう授業をやっていながら、生徒も親たちもそれを受け入れたのは、エチ先生のこの信念にブレがなかったからに違いありません。

 そして、それを許した学校もすごいと思います。学校経営者も強い信念が無いとできないですよね。

 すぐ役に立つことは、すぐに役に立たなくなる・・・この言葉、これからの人生で座右の銘にしようと思いました。

 


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繁栄と衰退と  岡崎久彦

2012-03-23 | 評論

オランダにとって絶対に戦争してはいけない国は英国だった。また戦う政治的な必然はどこにもなかった。ただ自己中心の経済利益にだけ専念して、この基本的な地政学的構造を見失ったために破滅的な打撃を受けたのである。一九三〇年代の日本も、日本を取りまく基本的な地政学的構造を見失って破滅的な誤りを犯した。

繁栄と衰退と―オランダ史に日本が見える (文春文庫)
岡崎 久彦

文藝春秋

今年、オランダ、ベルギーに旅行に行くことにしたので、まずは歴史のお勉強をと思って選んだ1冊です。

16世紀のスペインとの闘い、共和国となった後の英国との2度の戦争の過程が詳しく描かれています。

 著者は、1930年生まれの、元外交官。本書の初版は1991年、その頃の世界は冷戦終結、日本はバブル崩壊直前で、日米貿易摩擦がホットな問題でした。

 冒頭に引用した文章からわかるように、日本は今こそオランダの歴史に学ぶべきだという著者の問題意識が、本書の出版のきっかけであったことは明白で、序章で、その辺りを要約して述べた後、

 したがって歴史の細かい事実などは読むのが面倒だと思われる方は、ここでやめられてもよいと思う。

 とまでかかれているところが、おもしろい。とはいえ、今の社会に対する問題提起より、オランダの歴史を読むのが目的の私は、止めずに最後まで読みました。

 本書のベースになっているのは、1906年に出版されたイギリス人エリス・バーカーの「オランダの興亡」という本で、”かつて英国より経済、技術の面ではるかに先進国だったオランダが、英蘭戦争などを通じて衰えていく過程を記述して、英国も同じ運命をたどることを憂いた警世の書”です。

 ということで、お堅い本かなぁと心配しながら、読み始めたのですが、世界史には暗い私でも、かなりワクワクするような面白さがありました。新教徒に対するスペインの弾圧に耐えかねた、オレンジ公ウィリアム(オラニエ公というのが日本では一般的な書き方のようですが)が立ち上がり、戦争で独立を勝ち取るまでの部分が、やはり国の創世記ということもあり、脚色もあるのでしょうが、いろんな英雄が登場して、読みながら興奮しました。

 また、17世紀に入ってからは、経済的繁栄を維持するため、戦争をとことん避けようとしたオランダ人と、そのオランダに材料を提供しながらも、同じ成功を手に入れられないことを妬んだ英国人との間の2度にわたる戦争で、国が疲弊し衰退へと向かう時期に、状況を見誤ったブルジョア政治家たちの見通しの甘さを著者は徹底的に批判しておられます。

 それは、かつても、そして今も変わらない日本の政治家の姿にあまりにも似通っているから・・・というのが著者の見方ですが、私には、それは”政治家”ではなく、”ブルジョア”=”経済界”の意向の代弁者が、政治家となり国を動かそうとすることによって、衰退を招いたのではないかという気がします。

 もちろん、歴史を学ぶ意味は、今をそして将来を生きるために必要な事だというのは、頭では分かっていたのですが、物語としても本当に面白い歴史を紹介しながら、現代(といっても20年前ですが)の政治批判をされているというところが、あまり政治に興味のない私には、新鮮でした。

 また、オランダ、ベルギー観光の定番ともいえる、アムステルダム、アントワープ、ブルージュという都市の歴史上の位置づけもよくわかり、旅行前に読む一冊としては、グッドチョイス。

 オランダという国は、日本にとっては、鎖国時代にも出島で貿易を続けていた唯一のヨーロッパの国なのに、現代はそれほど強いつながりがないため、ついうっかり忘れてしまうのですが、ポルトガル、スペインについで、世界の海を貿易で制した当時の大先進国ですよね。

 この頃日本は・・・と思いながら読むのも楽しかったです。

 読み終えて、オランダのガイドブックを見なおすと、その前には目に入らなかった「アムステルダムの歴史博物館」が気になったりして。

 とはいえ、やはり、もう少しヨーロッパ全体の歴史の流れが頭に入っていたらもっと面白かったのにと残念な気持ちもあり、新聞広告で見た”世界史”という本を注文してしまいました・・・・。


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エコ論争の真贋 藤倉良

2011-10-01 | 評論
エコ論争の真贋 (新潮新書)
藤倉 良
新潮社

 

 ”はじめに”の中で、著者は、

 それぞれの問題について、現在は百家争鳴の状態です。本書はできる限り、さまざまな立場の考えをフェアに扱って解説することを心がけました。そのため「一刀両断、快刀乱麻」を期待されると、ちょっとあてが外れるかもしれません。

 と、宣言されています。

 だから、カバーの折り返しには、「何を信じたらいいか迷ったら読む本」との紹介文はありますが、、読み終わっても結局何を信じたらよいかわからないことには変わりませんでした。

 けれど、エコを考えるためのきっかけとしては、とてもよい本だと思います。

 第一章の”レジ袋はどんどん使い捨てるべきか -ゴミとリサイクルについて考える”は、基本的にテレビで人気者の武田 邦彦氏への反論かな?

 それも、”正統派科学者の矜恃”とでもいうのでしょうか、大人の態度での反論です。

 「彼の言っていることも一部正しいですが、常識的に考えれば、こうですよ・・・」みたいな感じですから、武田氏にくらべて、インパクトが弱く、面白さにも欠けてしまいます。

 第二章は、地球温暖化とCO2削減についてで、これは基本的にIPCCのレポートを正しいという立場で書かれています。

 レジ袋やリサイクルの話は自分の生活から考えることができますが、こっちは、もう科学の話で、氏の解説を読んでもさっぱりでした。

 私は、この章で紹介されていた、懐疑論者の丸山茂徳氏の主張をYOUTUBEで見て、IPCCのメンバーに環境科学者が意外に少ないことを含め、私自身がそのわかりやすい話にすっかり影響されていたこともあって、斜に構えて読んでしまいました。

 だけど、”大丈夫だ”という説に立って世の中が動いてしまって、本当の答えが目に見えるようになったときにはもう遅いという可能性も十分あるわけで、そこのところが難しい。

 そして、著者が何度も言っているように、「エコにはお金がかかる」ことが、環境問題を経済問題にしてしまって、こうなると、当然のことながら、「経済界」といわれる世界から口を挟みたい人がたくさん出て来てしまう。

 でも、「フクシマ」の事を考えてみれば、「危ない」という警告を、「経済性」という魔法の言葉で覆い隠して、この始末。

 地球温暖化も、生物多様性も、「快適」、「便利」、「経済的」とは、別の方向にあるので、科学としてはわからなくても、聞く人の耳に快い「一刀両断、快刀乱麻」は、おかしいという感覚を持たないといけないということだけは、肝に銘じました。

 

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