逃げてゆく愛 (新潮クレスト・ブックス) | |
ベルンハルト シュリンク | |
新潮社 |
『朗読者』のベルンハルト シュリンクの作で、すべて男性が主人公の7編からなる短編集でした。
朗読者が、私にとっては、ここ10年くらいで読んだ本の中での、トップ10に入る作品のくせに、
外国文学をやや敬遠してきたため、この作品の存在は全然しりませんでした。
ここ1年くらい、海外の作家の小説が面白いと思い出して、やっと私のアンテナに引っかかってきたのですが、
豊かな情感にあふれ、
長い余韻が残る七つの物語
なんて、背表紙に書いてあるから、読む前から期待が膨らんでいました。
でも、その期待はやっぱり、朗読者の延長で、社会派であり、なおかつ心の機微をきちんと表現している作品というようなところにあり、その点では間違いはありませんでした。
誤算だったのは、ちょっと可笑しかったこと・・・。
暗くなかったこと。
7編それぞれの主人公が、みんな、見事に情けないヤツなんです。
もしかして、作家本人???と思わせてくれるところが、読んでいてホント、楽しかったです。
1つめの「もう一人の男」という作品
乳がんで亡くなった妻に届いたラブレターの送り主に、元役人だった夫が会いに行きます。自分が役人としても夫としてもそれなりの責任を果たして真面目に生きてきたと信じていた男にとって、妻が昔浮気をしていた相手が、ほら吹きでどうしようもない男だったということが大変なショックだったのですが、それでもこの男が、バイオリニストであった妻の演奏がいかに素晴らしかったかを滔々とスピーチするのを聞き、自分が妻にいかに無関心であったかに気づくというお話。
この前に読んだ、「自死という生き方」の須原先生にも是非読んでみてほしかった一篇です。
”割礼”という作品では、
ニューヨークでユダヤ人の美しい女性と恋に落ちたドイツ人の青年が、彼女の親戚や友人と会うときに、自分がユダヤ人を迫害したドイツ人だということを意識して一人でギクシャクしながらも、彼女を愛し続けようと努力する姿を描いています。
この可笑しさと悲しさに、日本人だからすごく共感してしまうのでしょうか。
それとも、二人のことだからもっと素直にいろいろ話せばよいのに、一人で悶々とし、自分だけで決心して割礼までしてしまう、オトコという姿が、万国共通の様に思えて可笑しいのでしょうか。
二人でドイツを旅行し、ベルリンで青年の伯父さんの家に泊まった翌日、かつてのユダヤ人の強制収容所を見に行こうとする二人に、おじさんは、そんなところに何をしに行くのかをたずねる。
「当時はどんなふうだったのか、見てみるんです」
「どんなふうならいいというのかね?ご想像の通りだよ、でもそれは糸人がそんな想像しかしないからそうなっているんだ。二、三年前にアウシュビッツに行ってみたけれど、ほんとになに一つ見るもののないところだった。煉瓦の兵舎がいくつかあって、そのあいだに草と木が生えているだけだ。あとはすべて頭の中の想像なんだよ。」
という、そしてその後、彼女と少しだけ議論になり、実際にそこを訪ねた印象は、
オラーニエンブルグでは、おじが言った通りの印象を受けたのだが、それはとても口に出せなかった。彼が見たのは、心を揺さぶるようなものではなかった。頭で想像することの方がよほど衝撃的だった。それはこころを揺さぶるに充分だった。サラとアンディは黙って収容所内を歩きまわった。しばらくしてから手をつないだ。
という、とても深刻な歴史的な問題と個人、そして生活との不思議な距離感の表現がとても見事だと思いました。
その他の作品も、どれも面白かったです。
最近、気が付くとヨーロッパ系、中でもドイツ人の作家をいくつか続けて読んだ気がします。読めば読むほど(ってほどの数でもないのだけれど)、もっと読んでみたいという気になりました。
しばらくは、海外文学路線で行こうかなぁ・・・。