本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

ツレがうつになりまして 細川貂々

2007-07-30 | 小説
ツレがうつになりまして。
細川 貂々
幻冬舎

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 うつ病が気になります。

 

 仕事場では、だいたいいつも”うつ”と診断されて長期休暇している人が一人はいて、会社も”メンタルヘルス”については、いろいろ情報を流してますが、それは、うつにならいためのもの。うつって何なのかとか、なってしまったらどんな感じなのか、なってしまったひとにどう接すればよいのか全然わからない。”がんばれ”って言ってはいけないと言われても・・・・。

 

 それでも、思いました。そんなノウハウを教えてもらうより、なってしまった人や、家族の体験を読むのが一番だなぁって。

 

 この本では、うつになった”ツレ”さんとのほほ~んと接する貂々さんが描かれていますが、でも読めば読むほど、ほんとうはすごく辛い。あ~、同僚のXXさんも家でこんな風にすごしてたのかぁとか思うと、その人が復帰できたこと自体がよかったなぁって思えますねぇ。

 

 いくら家族だからって、家にうつの人がいればストレスがたまる。友人の同僚の旦那もずっとうつで仕事に行ってなくて、おくさんが、”いっそ死んでくれたら・・・”と言っていたとびっくりしてました。決して本気ではないが、そんな気持ちになるのも、嘘じゃないんでしょうね。

 

 わたしだって、仕事で辛いこともある。それにいづれは更年期になり、ひどいうつに悩まされることも十分ありえる。そんなとき、すこしでもこんな一冊がわたしの心の助けになるんじゃないかなぁと思いました。


チーム・バチスタの栄光 海堂 尊

2007-07-23 | 小説
チーム・バチスタの栄光
海堂 尊
宝島社

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 少し前に話題になっていたので、結構気になっていましたが、気がつけば図書館で予約をしなくてもゲットできるようになってました。

 

 現役医師が書いた医学ミステリーで、医療関係者でなければ思いつかない殺人方法ですよね、きっと。ただ、それが専門的過ぎて読んだときにえ~そうだったのぉってすぐに理解できないところが、ちょっと残念ではありますが、でも、この人の本はまた見つけたら絶対に読みます!!

 

 巻末に掲載されている「このミス大賞」の選評では、みな異口同音に”キャラクターがよい”ということをあげています。私も、登場人物たちにすっかり魅せられました。ファンレターを書きたいくらいです。

 

 あらずじをまとめるのは下手なので、公式ホームページをを読んでください。かなり面白いページになっています。

 

 それにしても、海堂尊氏は、見た目はかなり”アキバ系”です。この作品の登場人物設定も、かなりギャグ漫画読んできたなぁというのがひしひしと伝わってきます。漫画世代の小説って私はあまり好きになれないのですが、今回は不思議に全く気になりませんでした。

 

 とくに、病院でおこった術死をめぐる調査にやってきた厚生労働省白鳥圭輔は、関係者一人一人にインタビューしていくのですが、そこは”経験”ではなく、”理論”に基づいて、相手を怒らせたり、のせたりして真実を見極めていきます。その手際が本当に鮮やかで、思わずです。ヒューヒューです。

 

 登場人物の名前がまた・・・・。愚直な医師は、”田口公平”、気障で嫌味だが、むちゃくちゃキレる”白鳥圭輔”。病院の花形医師は、”桐生恭一”。本当に、エースを狙えもびっくりの漫画的ネーミング。でもこれがよりいっそう人物のイメージを際立たせます。

 

 映画化、ドラマ化のオファーが来ているというももわかります。読んだだけでシーンが浮かびますもん。誰が演じるのか本当に楽しみです。

 


沖で待つ 絲山秋子

2007-07-15 | 小説
沖で待つ

文藝春秋

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 芥川賞のイメージではなかったです。私にとっての芥川賞は、手強い、さっぱりわからない、最後まで読めないなんですが、本作品は、会社の行き帰りの1時間ちょいで、あっという間に読めてしまいました。

 

 同期入社の太っちゃんとの友情と思い出です。私小説かな?著者のプロフィールと主人公の女性とはぴったり重なっています。女性総合職として住宅設備機器メーカに就職した主人公は、太っちゃんと2人九州の営業所配属になります。仕事は大変だけれど、周囲に恵まれ仕事を覚えていく主人公の姿は、よくマスコミでとりあげられる、悲劇のヒロインでもなく、肩肘はって男と張り合っているということもなくとても自然で共感がもてます。

 

 でも、まあそれだけかな?

 

 もう一編収められていた、勤労感謝の日も面白かったですが、強烈なイメージとなって私の中に残ったというほどでもなく、さらっと読んでしまいました。どちらも私小説っぽので、この先どんな風に物語の幅を広げていかれれるのか・・・。請うご期待といったところでしょうか。


くっすん大黒  町田康

2007-07-15 | 小説
くっすん大黒

文藝春秋

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 町田康の作品を読むのは”告白”に続いて2作目です。告白には本当に衝撃をうけたのでとても気にはなっていたのですが、オーソドックスなスタイルでないために、もしかしたら私の手に負えないかもしれないと思って、1年以上他の作品に手がでませんでした。本作品は、やはり”変わった”作風ですが、リズム感のある文体にすぐに引き込まれました。

 

 売れないミュージシャン家業に見切りをつけたというか、働くのがいやになって3年も家でごろごろしていたために、妻にも見放された男、楠木正行が、同じく家に転がっている大黒像を捨てようとして、うまく捨てられずに迷走してしまう話です。もう1作収められている”河原のアバラ”もほぼ同年代(若者と中年のちょうど中間あたりの年齢)の男が主人公です。どちらの主人公もまったくどうしようもない奴のくせに、妙なところで常識的で、世間に腹をたてたり、戸惑ったりしているすがたに妙に共感してしまうのです。

 パンクの精神を理解していない私がコメントするのも何ですが、ロックの一種でありやはり社会や体制に対する怒りや反発というものがベースになっているとすれば、やはり彼の小説はパンクなんでしょうね。(ありきたりの表現ですが・・・・)

 

 カラマーゾフの兄弟では、こんな極端な人物像の行動のどこかにロシア人なら共感できるところがあるのかなと不思議に思ったのですが、町田康の小説に登場する極端な人物像に結構共感できるのは、自分が同じ日本人で、且つ同世代だからななのか、どこか普遍的なものがあるのか・・・・。興味があります。翻訳とかされているのでしょうかねぇ。


さまよう刃 東野圭吾

2007-07-14 | 小説

 少年法の問題に正面から取り組んだ作品ということで、少し前に話題になっていた作品ですね。未成年の凶悪犯罪者を社会はどう扱うかという問題は、結局のところ誰もが納得する答えのない問題なのではないかと思いますが、そういう意味で、東野さんもこの作品では、明確な結論を提示できずに終わってしまったようです。

 

 長峰は妻を亡くした後、大切に育ててきた娘を強姦し死に至らしめた未成年の少年の一人を殺害し、残りの一人を追います。世間は圧倒的に父親に同情的。かといって、結局は他人事。

 

 私自身は、正当防衛は別として、もし人を殺してしまったら、年齢や精神状態にかかわらず、それは”命”でしか償えないのではないかと思っています。ただ、殺人者の命をもって償ったとしても被害者が生き返るわけではないので、結局のところは”意味のある償い”といっても、結局は残された家族などに対するものになるのでしょうか。それとも社会に対するものになるのでしょうか?

 

 東野さんの”手紙”という作品は、結局殺人者は、いくら反省しても、更正しても”許される”ことはないのだということがテーマになっていました。遺族には、殺された人の代わりに加害者を許すことはできないのだということが最後に提示されて愕然としましたが、この作品ではそこまで衝撃的な結末にはもっていけなかったので、ミステリーとして少し”えっ!”と驚かせるオチがサービスで入っていました。

 

 結局のところ、長峰を最後まで走らせ続けたのは、この事件を犯人の逮捕で終わらせたくないという切実な思いだった。少年や自分が自首したのでは、そのうち世間はこの事件を忘れ、そのころ少年は何食わぬ顔で社会に戻ってくる。そのことが許せなかった。

 

 山口県光市の母子殺害事件の被害者の夫は、そういう意味ではとてもつらい何年かを自分を世に晒しながら、世間の関心を集め続けています。あの殺された母子の幸せそうな写真が出るたびに何の関係もないけれど、犯人を憎まずにはおられないですよね。人権擁護となかんとかいって、妙な法廷戦術を使って少年を死刑から逃れさせようとする弁護士さえ、憎たらしく思える。でも、それでももし少年が死刑になったとして、世の中は変わるんだろうか??少年たちに何か変化が起こるのだろうか?

 

 救いが必要なのは、遺族なんですね。だから意味のある償いのできるのは犯人ではなく、実は”世間”なのではないかと思った作品でした。


さよなら、サイレントネイビー 伊東 乾

2007-07-07 | ノンフィクション

 地下鉄サリン事件実行犯の豊田亨被告の東大での同級生である伊東乾氏による、ノンフィクションです。

 

 つい先日も、ロンドンでテロ未遂事件とスコットランドの空港に炎上車が突っ込んだ自爆テロ事件の実行犯たちの多くが、医者であったことに世界中は大変な衝撃を受けましたが、12年前のサリン事件の時に、私たち日本人も、なぜ一流大学出身のエリートたちがあんな事件に関与したのかと、大きな衝撃を受けましたよね。でも、もしこの本をちょうど読んでいなかったら、今回のテロ事件からオウムを思い出したりしなかったでしょう。 そのことが、まさしく本書で作者が訴えたかったことなんだとつくづく思いました。

 

 あれほど衝撃をうけたサリン事件なのに、教団の主だった面々が逮捕され教団が解体してしまうと、私たちの興奮はすっかり冷めてしまって、そして飽きてしまった。実は何もわかっていないのに・・・。

 

 テロリストは、私たちとは別世界の人ではない。自分もいつそうなるかわからないのだ。著者は、たまたま実行犯の豊田被告と同級生だったから、二人の運命を分けたのはほんの小さなことに過ぎないのだということに気づく。 衝撃的な出来事は、”事件”として歴史になり、都合よく解釈されていく。そしてまた、同じ間違いを人間は犯す。 だからこそ著者は、豊田被告に、そして松本被告にすべてを語ってほしいと心から願っている。われわれに、彼らの失敗から学ばせてほしいと。

 

 この本はノンフィクションとして、まとまっているとは思えない。もっともっとうまい書き手はいるでしょう。でも、著者の情熱に勝る書き手はいないでしょう。

 

 だから、もう少し著者にはこの問題に取り組んでもらいたいですね。知ることは”マインドコントロール”から身を守ることなのだから。


MISSING 本多孝好

2007-07-05 | 小説

  本多孝好という作家の作品は初めてでした。これが処女作とのことですので、完成度は高いとはいえないですが、キラッとするものがあるような気がします。なんて偉そうに書いてますが、すでに直木賞にもノミネートされており、すでに、期待の新人の域はとうに過ぎて、”今のりにのっている中堅作家”のようですね。全然知りませんでした。

 

 本書は短編5作品が収められています。どれも、ファンタジックで、心温まる作品ですね。通勤電車に乗っている約30分で、ほとんど1作品読めるのですが、あとちょっとというところで降車駅に着いてしまい、やめられずに、階段を上りながら続きを読まずにはいられなかったことが2度ありました。

 巻頭の”眠りの海”で、新人賞をとったとのことですが、これより私は、”蝉の証”が好きでしたね。人間年をとると、一人で死ぬ覚悟は出来ていても、死んだ後、誰も自分のことを思い出してくれないかもしれないという事実に対する覚悟はまた別のものだ”というテーマに、まだ死ぬ覚悟が出来ていない私としては、はっとさせられました。

 

 最近の作品でどんな風に成長されているのか、ちょっと読んで見たい気もします。


中途失聴者と難聴者の世界  山口利勝

2007-07-03 | 評論

 この本に出会ってよかったです。

 

 実は、私のダーリンは難聴です。だからこそ図書館でこの本が目に留まり、手に取ったのですが、そうでなければ絶対に読まなかったと思います。

 

 「見かけは健常者、気づかれない障害者」とサブタイトルにありますが、彼と出会ったときに最初に自分の障害の困難について語られたのもほぼ同じ意味のことでした。彼との生活の中で耳が悪いと言う事実には慣れてきているのですが、その困難の内容について深く考えたことはなく、この本はパートナーを理解するために大変プラスになりました。

 

中失、難聴者はコミュニケーションの障害者なのに、コミュニケーションがうまく行かない時、つまり意思疎通が難しい時に、耳の障害そのものが責められるのである。

 

 

 そうなんですね。我が家の場合、ダーリンが外国人で英語でのコミュニケーションのため、私が話した内容が彼に理解できなかった場合100%自分の英語表現の問題だと思っていたので、苛立つのは自分の英語力に対してでした。でも今思えば、彼の国に行ってあちらの健聴者の方も交えて話をしたときは、彼以外の人は分かってくれて、彼だけが分からないということが確かにありましたねぇ。

 

 また家族の中でさえも孤立してしまうというのも、彼の家族が集まったときに感じましたが、それを彼の耳と結び付けて考えてみたこともありませんでした。でも、今思えば、そうか・・・と思うシーンがいくつも目に浮かびます。

 

 興味深かったのは、和田秀樹氏の「異国体験と精神病体験」という論文からの引用です。論文は、氏が異国生活で直面したコミュニケーション不全の体験が精神分裂のメカニズムと似ていると言うような内容ですが、それはまた聴覚障害者の困難ととてもよく通じるというものなのです。実はこれも私自身も体験があります。

 

 ダーリンの国へ行ったときは、彼の家族や友人と食事をする機会などがよくあります。私は一応英語は話せるものの、ネーティブの会話に遅れずについていけるほどの英語力ではないため、どうしても話しに加われないのです。気の利いたコメントでもできたらと思うのですが、自分が話す表現を考えているうちに話がどんどん進んでしまい、タイミングが全くつかめず、ただニコニコ笑って聞いているだけになりがち。日本人同士ならそれでもよいのでしょうが、寡黙が美徳ではないあちらの社会ではやはりそれでは、ちょっとバカっぽい。だんだん落ち込んでいった私に、ダーリンは”自分も耳が悪いから、いつもそう思ってきた。気持ちはよくわかる”と言ったのです。あぁ、この人となら文化の違いを乗り越えてやっていけると思った瞬間でした。

 

 この本の書き方や様々な事例、分析の内容が、聴覚障害者と全く接点のない人たちの興味をどのくらい引くか私にはわかりません。が、もっともっと多くの人に知って欲しい。なぜなら、健聴者でもかなりの割合で年をとれば耳が遠くなる。その時に人とのコミュニケーションを恐れてひきこもったりしたくないはずですから。

 

 ひとつダーリンからのお願い。歩道を自転車で走る人は、人の横をすり抜けるときはスピードを十分に落としてください。耳が悪いと、気配はわからないし、ベルを鳴らされても気がつかないので、すぐ横をすり抜けられたとき、心臓が止まるかと思うほどびっくりするんだそうです。夜なら必ずライトをつけてください。