思想なんてガラではないのですが、すっごく面白かったです。それに、なんか得した気分です。
なんで得した気分になったかというと、大江健三郎、吉本隆明(&小林よしのり)、上野千鶴子など、オリジナルでは私には、歯が立たないような(実際、なんどか試みたが、跳ね返されている)人の著作や思想について、少~し理解できたからです。もちろん、この人の考えが正しいかどは限りませんが・・・。
それに、まあ、自分をいじめる人に自力で立ち向かえないけど、誰が別の頭のよさそうな人が、批判をしていたりすると、なんかすっきりするでしょう(しないか?)。そんな気分です。
著者の小浜氏については、全く何の予備知識もなかったのですが、インターネットで調べて見ると”保守、革新といった旧来のイデオロギーとは一線を画した、生活人の実感を尊重した議論で支持を得る一方で、小市民主義といった批判もある。”という批判もあるとあり、そこは納得です。生活人の実感を尊重したら、どうしても小市民主義と言われてしまうんですよね。いいじゃないですか。
沢山メモしておきたい文章はありましたが、その中の一つ
だが、私どもの世代は、戦争そのものを知識としてしか知っていず、したがって自分が「あの戦争」に対して、あたかもある感情的思い入れを持ってるかのように装うことはできないし、そうすべきでもない。戦争経験者達の、戦争解釈を巡る暑い議論に自らも見てきたような顔をして加わるわけにはいかないのだ。自分の生にとって必然性のないところで、、ある解釈にナイーブに加担することは、結局あるイデオロギーの安易な選択に走る事にほかならない。
ちなみに小浜氏は、1947年生まれ。団塊の世代です。
先日読んだ、ぼくのキャノンの著者(1970年生まれ)は、登場人物の小学生の男の子にこう言わせます。
「歴史を忘れないことと怒り続けることは同じじゃない。オバァたちのように怒ることなんて僕には出来ない。戦争体験がないことを恥ずかしく思わせるのはやめてくれ。」
ちょっと、似たようなところがあるなと思いました。ただ、このぼくのキャノンでは結局の所、”怒り”を伝えてしまったようで、争いは続くんですよね。
小浜氏のいうように、 やはり戦中、戦後派が進歩派と保守派にわかれて、イデオロギー(多分この場合、偏りがあるというニュアンス)論争に終始してしまったために、多くの人の納得の出来る戦争総括ができていなかったことが、今私達が、隣国から責められてはオロオロし、遠い国から無責任と言われてはまたオロオロしてしまう、その原因だったのでしょうか。
また教科書問題にも言及しており、日本が細かい事実の次元でどんな悪いことをしたかしなかったかを決することにエネルギーを集中させるより、人間は一般に何をするかわからない存在だという文学的想像力を育てる素材として戦争を取り上げるべきと述べておられます。
今は、中国や韓国に言われっぱなしで、ひたすら平身低頭してきた反動からか、「日本は何も悪いことしてない!」といいはる人たちの意見も取り上げられるようになりました。とはいえ自分の親の子供の頃の経験を聞けば、まあ今から考えたらかなり酷いこともしてきたんだろうなと信じざるをえません。しかし、だからといって、歴史を勧善懲悪ドラマのように白か黒で総括することもできませんよね。少し前にブログに書いた、”貝になった男”など、文学的想像力を育てる素材としては、よいのではないかと思いました。
とにかくもっと、この人のものを読んで見たいと図書館で、もう一冊ゲットしました。
人間アカデミー (小浜逸郎氏主催) <== ここでも、この人の評論が読めます