本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

一九八四年 ジョージ・オーウェル

2010-02-21 | 小説
一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
ジョージ・オーウェル
早川書房

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 何かで、ジョージ・オーウェルの名前が引用されていたので、調べたらこの本がヒットしたので、どんな内容か全然知らずに買って読んでみました。村上春樹を読まない私には、「1Q84」との関係は全然わかりません。

 

 実は一度、ギブアップしかけたのを、半年ほどたって再挑戦し、今度は読み切ることができました。けど、2週間くらいかかったなぁ・・・。

 

 1949年に発表された、近未来小説で、こういうのをSFと呼ぶのかよくわかりませんが、当時のソ連や中国の共産主義国家の存在に対する危機感であふれていますが、冷戦終結から20年たった今では、当時の人と同じ気持ちで読むことができないのが少し残念です。

 

 ”ビッグブラザー”というリーダにより完全に統制された時代に生きるウィンストンの仕事は、歴史の改ざん。過去に、党が発表したことと、現実が合わなくなった場合に、すべての記録を書き換えていくという仕事を、党員として勤勉にこなしています。

 

 疑問をもってはいけないその仕事に疑問をもちはじめた彼は、少しづつ自分の思いに正直に行動するようになる。しかし、その行きつく先は破滅しかない。

 

 戦争は平和なり

 自由は隷従なり

 無知は力なり

 

 というスローガンが繰り返される。どう考えても、支配する側の論理なのに、支配される方にとってもいつの間にか、真理になっている。セックスは子供を作るためだけにあり、それを楽しむことは許されない。人々は、お互いを監視し、子供は親を監視する。

 

 ソビエトが崩壊し、中国も資本主義に舵を切って大きく成長した現代、こんな人間性を無視した支配は成功しなかったのだと知っているので、ある意味安心して読めるのだけれど、本書が発表された当時、これを読んだ人たちの恐怖がどれほどだったか。想像に難くないほど、物語の中で、あり得ないことが、リアリティをもって迫ってくる。

 

 そして、今、ライバルを失った資本主義社会は、個人の欲望の追求を是とし、そしてそれを推し進めた結果、瀕死状態に・・・。

 

 つまり、そこにもユートピアはなかったわけです。

 

 とはいえ、経済的には残酷でも、人が人を監視しあうような社会でないだけ今の方がまだましかなぁって思うのですが、とはいえ、今の社会に溢れる監視カメラは、この物語の中で描かれていた社会と恐ろしいほどにシンクロしています。 


空気と戦争  猪瀬直樹

2010-02-13 | 評論
空気と戦争 (文春新書)
猪瀬 直樹
文藝春秋

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 実は、今結構話題になっている、「それでも日本人は戦争を選んだ」を少し前に読んだのですが、読書スランプ中の自分には、まだ整理しきれず、まだレビューを書けないでいます。とにかく、その本でも、自分がなんとなく思いこんでいた、戦前のイメージがどんどん崩れていくのを感じました。

 

 「それでも・・・」は、著者の加藤陽子氏が、栄光学園という進学校の歴史クラブのメンバーに対して行った講義ですので、高校生とはいえ、歴史好きの生徒達の博識に感心させられるばかりでしたが、本書は、理系で、歴史にさほど興味がない東工大の学生に向けての著者が行った講義をベースにしているので、かなり説明も丁寧で、噛み砕いておられて、私も何も知らないけど、今時の理系の学生は何も知らないわねぇ…と少し聴講生の立場に優越感と親しみを感じて読むことができました。

 

 この本のタイトルは、「空気と戦争」ということで、なぜ”それでも日本人は戦争を選んだ”かということを、”空気”という言葉で総括されているのですが、内容は、「石油と戦争」の方がよいような気もします。

 

 アメリカの石油輸出禁止政策で追い込まれて行った日本の政治家や軍人たちの中には、冷静に状況を判断して、アメリカとの戦争はできないという人たちが多かったこと。その中で、東京帝大を卒業し、人造石油の開発を夢見ていた若い青年が、陸軍省にスカウトされ、物資動員計画という名の、石油政策の中枢に放り込まれ、その数字の魔力と空気に呑みこまれて行ったか・・・。

 

 実は、猪瀬氏の本は、20年以上前に”ミカドの肖像”を買って、読み切れずに(というか、当時は今ほど本も読まなかったのでほとんど読まずに)放置して以来で、実質初めてといってもよいのですが、意外に読みやすくてびっくりしました。

 

 そういう訳で、著者の立ち位置とか全然わかっていないのですが、本書を読む限り、”戦前と戦後で本当に日本は変わったのか”、”あの無意味な戦争に踏み切った失敗から日本人は本当に学んだのか・・・”ということをずーっと問い続けていらっしゃるのだということを感じて、その答えを是非私も知りたいと思いました。 

 

 戦後の社会が、戦前の社会と分断されていないことは、私も社会人としてここまで生きてくれば多少は、実感することもあり、理解していたつもりなのですが、”玉音放送を境に生まれ変わった日本”というイメージがしっかり擦り込まれていたことにはっきりと気がつきました。

 

 結局、都合の悪いことは封印してしまって、本当に大切な失敗について、正直に話してこなかったのかもしれない。それは、恥を理解するあまり、他人の恥をあげつらわない”武士道”の影響もあるのかもしれません。

 

 しかし、主人には絶対服従のその美しい武士道が、批判精神や自分の意見をはっきり持つことが近代国家の国民としての責任だという意識を育てられなかったということは認識しないといけない。どんな国も、”空気”は存在するし、それに影響される国民が大多数だということが事実なのだろうけれど、たとえ少数でもきちんと自分が正しいと思う事を主張できる人をきちんと評価できる精神が、いまでも日本人には決定的に欠けているように思えてなりません。

 

 特に、官僚の世界は酷いということです。それについては官僚社会と接点のない私には、猪瀬さんの偏見か事実かを判定できませんが、大企業の関連会社で働く私には、かなり説得力がある主張です。上の人に対して、会議などで、正しいことを言っても、上の反応が悪ければ、いかに周囲が知らんぷりをするか・・・・。

 

 とにかく、明治維新以降の歴史をほとんど学校で習わなかった私ですが、今の時代を理解するために、坂の上の雲以降の歴史について書かれた本をもっと読みたいと思わせてくれた1冊でした。 

 

 


逃避行 篠田節子

2010-02-13 | 小説
逃避行
篠田 節子
光文社

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 あまりに忙しくて、ブログを書く暇がないだけじゃなくて、本を読むペースもガタ落ち。そうすると、通勤電車で本を開いても、すぐ集中力が無くなって、さらにペースが落ちるという悪循環に陥ってます。

 

 で、そのリハビリになるかと図書館で、借りた1冊。

 

 もともと、篠田節子は大好きで、短編以外は見つけたら読んでいて、そこそこハズレがないんで、借りてみたら、あっという間に読めてしまいました。ちょっと軽すぎたかも・・・。

 

 飼い犬のゴールデンレトリバーのポポが、隣家の子供を襲って死亡させてしまったため、処分されそうになる。その家の主婦、妙子は、唯一自分を頼りにしてくれるその犬を処分するに忍びず、犬と、家を出る。車もなく、大型犬を連れて逃げるのは簡単ではなかったが、何とか兵庫県の田舎に隠れ家を見つける。そこで、サバイバル生活を始めるのだが・・・。

 

 著者は、決して主人公の妙子に全く肩入れしていなくて、家族に顧みられないという不満を、ペットを人間扱いして、愛することで解消しようとする彼女をちょっと突き放して見ている。そしてそれが、妙子の孤独をまた浮き上がらせる、おもしろい効果がでているように思います。

 

 多分2時間もあれば十分に読み切ってしまうような話で、ちょっと物足りない感じはしますが、でも1冊すっと読み終えるというのは、なんとなく気持ちがよくて、リハビリにはぴったりの一冊でした。