一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫) ジョージ・オーウェル 早川書房 このアイテムの詳細を見る |
何かで、ジョージ・オーウェルの名前が引用されていたので、調べたらこの本がヒットしたので、どんな内容か全然知らずに買って読んでみました。村上春樹を読まない私には、「1Q84」との関係は全然わかりません。
実は一度、ギブアップしかけたのを、半年ほどたって再挑戦し、今度は読み切ることができました。けど、2週間くらいかかったなぁ・・・。
1949年に発表された、近未来小説で、こういうのをSFと呼ぶのかよくわかりませんが、当時のソ連や中国の共産主義国家の存在に対する危機感であふれていますが、冷戦終結から20年たった今では、当時の人と同じ気持ちで読むことができないのが少し残念です。
”ビッグブラザー”というリーダにより完全に統制された時代に生きるウィンストンの仕事は、歴史の改ざん。過去に、党が発表したことと、現実が合わなくなった場合に、すべての記録を書き換えていくという仕事を、党員として勤勉にこなしています。
疑問をもってはいけないその仕事に疑問をもちはじめた彼は、少しづつ自分の思いに正直に行動するようになる。しかし、その行きつく先は破滅しかない。
戦争は平和なり
自由は隷従なり
無知は力なり
というスローガンが繰り返される。どう考えても、支配する側の論理なのに、支配される方にとってもいつの間にか、真理になっている。セックスは子供を作るためだけにあり、それを楽しむことは許されない。人々は、お互いを監視し、子供は親を監視する。
ソビエトが崩壊し、中国も資本主義に舵を切って大きく成長した現代、こんな人間性を無視した支配は成功しなかったのだと知っているので、ある意味安心して読めるのだけれど、本書が発表された当時、これを読んだ人たちの恐怖がどれほどだったか。想像に難くないほど、物語の中で、あり得ないことが、リアリティをもって迫ってくる。
そして、今、ライバルを失った資本主義社会は、個人の欲望の追求を是とし、そしてそれを推し進めた結果、瀕死状態に・・・。
つまり、そこにもユートピアはなかったわけです。
とはいえ、経済的には残酷でも、人が人を監視しあうような社会でないだけ今の方がまだましかなぁって思うのですが、とはいえ、今の社会に溢れる監視カメラは、この物語の中で描かれていた社会と恐ろしいほどにシンクロしています。