本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

心にナイフをしのばせて

2009-04-30 | ノンフィクション
心にナイフをしのばせて
奥野 修司
文藝春秋

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 1969年におきた少年による凄惨な殺人事件。その被害者の家族のインタビューから構成されたノンフィクションです。

  

 

 あとがきによると、本書を書くきっかけになったのは、1997年春に神戸でおきた連続児童殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇」事件だということです。これだけの事件をおこしても”未成年”だということで、保護され、数年で戻ってくる加害者。それは、すべての非行少年は保護と教育によって十分に矯正できるという理想主義に基いている。しかし、被害者の遺族の立場になったとき、矯正した犯人が、過去を切り捨てて生きていけるという事実を受け入れることができるのだろうか・・・。そもそも、矯正(更生)ってなんだんだろうという割り切れない思いの答えは、過去の事件を調べることで見えるのではという気持ちからということで、理解できるような気がします。

 

   

 その事件の被害者は、高校1年生、加賀美洋君。加害者少年Aは同級生。日ごろからいじめられていたため、決着をつけてやろうと洋君を呼び出したが、肝心の話を切り出せないでいるうちに、侮辱するようなことを言われたため、カッとなって洋君をメッタ刺しにした上、息を吹き返すのを恐れて首を切って殺害したというのが、Aの供述である。

 

 

 自分の家族が意味の分からない理由で、殺害され首を切られたという状況を想像してみた。

 

 

 酷すぎる。

 

 

 抵抗できなくなった状態の体をそれ以上傷つけるなんて・・・。お棺に入っている姿が、ミイラのような状態なんて。

 

 

 

 被害者の母親は、事件直後、思考を停止することで自分を守った。父親は、家族がバラバラにならないよう気遣いながらも、パチンコや釣りに熱中することで必死でバランスをとった。そして妹は、親に甘えることができないで反発しながらも、両親を支えて生きてきた。

 

 

 そんな3人は決して、洋君の事件のことをお互い口にしなかった・・・。犯人のことも憎まなかった。というより、口にすることや犯人を憎むことでこれ以上、傷つくことを恐れたのかもしれない。

 

 

 加賀美家の遺族が、典型的な犯罪被害者の例だとは思えない。一人一人の事情が違うから典型的な例などないのだと思う。だとすれば、この本の意義は何だろうか。

 

 

 

 加賀美君の父親は取材を開始した1997年当時すでに亡くなっていたが、母親と妹を中心にインタビューし、被害者家族がその後辿った人生を掘り起こしては見たが、結局、30年後、家族や友人がずっと事件を引きずっていたという事実と、加害者が、数年で少年院を出て、大学に進み、弁護士として事務所を構えていたということが、分かっただけでした。

 

 社会人としてまっとうな職業についていることが、更生?

 

 

 著者を通じて加害者の存在をしった、被害者の母親は、一言謝ってもらいたいと、彼に連絡を取る。しかし、誠意のある言葉は聞けなかった。しかし、誠意のある言葉が聞ければ何かが変わるのだろうか・・・。

 

  

 加賀美家では、一番弱かった母親に父親と妹が振り回されたようにも見えるが、この母が強かったとしたら、父親が壊れていたかも知れず、結局はこの形以外にはなかったのかもしれない。

 

 

 親は、悲しい・・・。

 

 世は無常だけれど、無常を受け入れるのは易しいことではない・・・。


消えたカラバッジョ

2009-04-21 | ノンフィクション
消えたカラヴァッジョ
ジョナサン・ハー
岩波書店

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 レンブラントについては、展覧会にも行ったことがありましたが、恥ずかしながらカラバッジョについては、殆ど何も知りませんでした。

 

 

 実は、この本を読み始めたときも、カバーに書かれていたあらすじも読んでいなかったので、途中までフィクションだと思っていて、フィクションについてはところどころぎこちないし、”衝撃的発見”が、ちょっと中途半端だし、どういう話なんだろう・・・とちょっと退屈していました。

 

 

 内容は、1990年バロック絵画を代表する、カラバッジョの「キリストの捕縛」がアイルランドで発見されたという事実を軸に、それにまつわる研究者達の姿や、カラバッジョ自身の生涯を描いたものです。

 

 

 フランチェスカと、ラウラという二人の若い研究者は、マッティ家の古文書庫の1602年から1603年の会計記録からカラバッジョの「エマオの晩餐」、「洗礼者ヨハネ」そして、「キリストの捕縛」と思われる3点が購入された記録を発見する。その中の「キリストの捕縛」については、イギリス人美術史家ロベルト・ロンギが1930年に書いた論文の中で、1802年にスコットランドのニスベットという金満家が購入したのではという仮説を立てていたが、作品は不明のままだった。

 

 

 そして、その絵はアイルランドのイエズス会が所有していた。大変優れた作品だとは見れば分かるが、誰の作品かも忘れられたまま、教会の応接室に飾られていたのだ。その修復を依頼されたアイルランド国立美術館のイタリア人修復士が、カラバッジョマニアであったことから発見につながる。

 

 

 カラバッジョを知らない私には、この本を読み終わった後でも、それがどれほどの大発見だったのか、もうひとつ伝わりませんでした。

 

 

 ただ、現在もまだイタリアに貴族が存在し、一族の記録がきっちり残っている様子や、古い記録と新しい技術の両方から今まで分からなかった事実が少しずつ掘り起こされていく過程の面白さなどは伝わりました。

 

 

 自分の読解力を棚にあげますが、やはり少し構成が弱いような気がしす。それに翻訳の問題か原作の問題か、文章を何度か読み返しても何が言いたいのか、肯定しているのか、否定しているのか、よくからないところもいくつかありましたし、登場人物に対する評価に作者の好き嫌いがかなり反映しているようで、実際に今でも生きておられるだろうに、こんな書き方をされたらいやだろうなぁ・・・と余計な心配をしてしまいました。イタリア人は人に批判されても気にしないのでしょうか・・・。

 

 

 それに、ある学者の依頼で、資金もその学者もちで行った調査で見つけた内容を、いくらその学者の興味から少し外れた内容だったとしても、同意無しに勝手に学生ごときが別の雑誌に発表することが許されるんでしょうか・・・。私には分かりませんが、その学者が曲者のように描かれているので、ちょっと彼に同情してしまいます。

 

 

 また、発見後、アイルランド版「キリストの捕縛」が本物とほぼ固まった後でも、別の絵がこれぞカラバッジョと発表され、訴訟などのスキャンダルが相次いだ話など、この方が、フランチェスカの恋人とのエピソードよりもっと面白いだろうと思うのですが、さらっと流されて、ちょっと残念な気がしました。 

 

 

 なお、よく分からないなぁと思いながら読み終わった本書ですが、このサイトを読んで少しすっきりしました。 サイトの管理者であるTomioさんが書いておられるように、作品の写真を入れていないのが、少し不思議でもあり、不親切であるという風に私も思いました。(私が、この本がノンフィクションだと気がつかなかったひとつの理由が、普通ノンフィクションなら当然あるべき写真などが一枚もなかったことです。)

 

 

 それでも、カラバッジョという画家に対する興味がとてもいたのでネットで少し探してみたらすごいサイトを見つけてしまいました。

 

 オランダのゴッホ美術館のサイトで、 レンブラント・カラバッジョ展 が開催されたときに作られたもののようですが、二人の作品を比べながら細かいところまで見ることができます。これから読む方は、こちらで上記の3作品を確認しながら読まれるとより楽しいではないかと思います。


人とウィルスの果てしなき攻防

2009-04-11 | その他
人とウイルス 果てしなき攻防
中原 英臣,佐川 峻
NTT出版

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 またまた、解りやすく楽しい本でした。

 

 伝染病の歴史、顕微鏡の発明から、細菌の発見、ウィルスの発見、ワクチンの開発、耐性菌の出現、遺伝子組み換えなどのバイオテクノロジー、そしてウィルス進化説まで、楽しい歴史の読み物といってもよい内容です。

 

 

 ヨーロッパでのペストの大流行が、人々の神への不信感につながり、ルネサンスへの扉を開き、キリスト教から自然科学へと歴史を動かしていったということなど、物知りの方にとっては当たり前のことかもしれませんが、学校で習った世界史も殆ど頭に入っていなかった私にはとても新鮮でした。

 

 歴史は人がつくるものだなんて、思い上がりなんですねぇ。

 

 

 そして、19世紀になり有名なパスツールをはじめとして、リスター、コッホ、フレミングというような人たちのミクロの世界への執念が、世界中の多くの人を数々の伝染病の恐怖から開放したこと。そして、現代は、薬剤耐性菌が現れ、HIVなど新しいウィルスが次々と生まれていることなどが説明されます。

 

 

 また、遺伝子の運び屋として、遺伝子組み換え、遺伝子治療といった分野でウィルスが活躍しているという意外な事実の必然が良く分かりました。

 

 

 本書は1995年の出版ですので、その後、もっともっといろんなことが解ってきているに違いありません。

 

 

 この前、更年期障害の症状で病院の先生と話をしたときに、ホルモン補充用の新しい薬について少し紹介されました。そのとき先生は、”今までの薬は、馬のエストロゲンなどを使っていたけれど、これは人のものです”と言われて、そのときは何も思いませんでしたが、本書で、大腸菌を使ってインシュリンの大量生産が可能になったということが書かれていたのを読んで、あの薬もそういう遺伝子組み換え技術を使っていたのではと思います。

 

 ほんと、実はとっても身近な話だったのですねぇ・・・。

 

 この手の本を読んでも、基礎のない私には体系的に理解できたわけではないのです。身近な出来事の裏のからくりも、知らなければ知らないで別に困りはしないし、知っていたからといってどうということでもないのですが、それでも本で読んだことが、日常の出来事に偶然結びついたとき、自分の脳のシナプスがピピッとシグナルを出して新しい回路を作ったような気がして、ささやかな幸せを感じるのです。

 

 

 そして、私の祖母のことをふっと思い出しました。彼女は、10歳の時にコレラで親兄弟をなくしたため、田舎から町へ奉公に出たのですが、そんな世代の人たちにとって、伝染病は常に身近にあったのですよね。祖母の人生や価値観を、なくなって40年近くたった今、もう一度新たな気持ちで見直してみたい気持ちになりました。

 

 ホント、読書は楽しい・・・・。

 


プリオン病の謎に挑む

2009-04-11 | その他
プリオン病の謎に挑む (岩波科学ライブラリー(93))
金子 清俊
岩波書店

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 とても分かりやすく書かれていました。

 

 ただ、私にわかりやすいということは、物知りのかたには少し物足りないのでは、と思います。

 

 

 著者は、カリフォルニア大サンフランシスコ校で、プリオン研究の第一人者であるプルシナー教授の研究室で5年間研究された方です。(どこえいっても、そう、紹介されることが著者の一番の悩みと本文中にありますが・・・・)

 

 

 細菌やウィルスによる感染は、細菌やウィルス自身のタンパク質が人の体内でつくられてしまい、それらが人の細胞に悪い影響を与える。しかし、プリオン病では人の正常なプリオンタンパク質から異常なプリオンたんぱく質が複製されるのだという。

 

 

 素材は同じ、組み合わせ方も同じ、だけれども折りたたまれ方が違う。この異常な折りたたみ方になるためには、一旦正常に折りたたまれたものがプロテインXと呼ばれているが未だ誰も確認できていない物質によりほどかれるという仮説が現在ほぼ、定説になっているようです。

 

 

 また、防御型プリオンタンパク質というのもあり、これがあると、プロテインXをつかんで離さなくなるので、感染型プリオンがあってもプリオン病にはならないということで、これは日本人に多い遺伝子タイプなのだそうです。

 

 

 前に読んだ、”眠らない一族”では日本人はプリオン病にかかりやすい遺伝子を持っている人が多いと書いてあったと思ったのだが、全く逆のことが書いてありました。私の記憶違いでしょうか・・・。

 

 

 また、”眠らない一族”では、かなり批判的に描かれていたプルジナー教授と親しかった著者は、彼のことを、別の視点から見ておられて、”人間”って本当に面白いなぁと思いました。

 

 

 ”岩波科学ライブラリー”という新書よりももう少し硬めな、教科書的な読み物シリーズなのだけれど、科学や医学の世界で生きる研究者の、本音がチラチラ見えて、その部分は読み物として楽しむことができました。

 

 

 私のように、興味津々だけど基礎がない人間に、こんなシリーズをたくさん出してほしいなぁ・・・。(でも、図書館で借りて読むタイプの本で、あまり売れそうにありませんけどねぇ)

 


さよなら渓谷  吉田修一

2009-04-04 | 小説
さよなら渓谷
吉田 修一
新潮社

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 うーん。確かに問題作なんだろうな・・・。

 

 若い頃にレイプで捕まったことがあると周囲に知られても受け入れられ、平凡に生きていけることに違和感を感じている男。

 

 レイプされたことにより、家族との関係も壊れ、学校や会社など新しい世界に入っても、そのことが周囲に知られる度に、拒否され、傷つけられ続ける女。

 

 

 この二人が十数年後に出会い、一緒に暮らすことになった必然はなんなのだろうか。

 

 こういうシチュエーションにどれだけのリアリティを持たせられるのかが、著者の挑戦だったのだろうか。それとも、”結局は強い男に女は惹かれるんだ”というような男の自分勝手な目線ではないものを男として書きたかったのか・・・。

 

 

 私には分かりません。

 

 男のファンタジーなのでは???

 

 ”薄幸な美人を強い男の自分が守る”というパターンのバラエティでは??

 

 と、思わざるをえませんでした。