人間は人間の環世界、すなわち、人間が作り出した概念世界に生きている。人間にはその概念的世界、つまりイリュージョンという色眼鏡を通してしか物が見えない。
世界を、こんなふうに見てごらん (集英社文庫) | |
日高 敏隆 | |
集英社 |
以前、著者の作品を読んだ時の感想に、”頑固おやじ的な文章”と書いておりましたが、今回、このエッセイ集を読んで見て、確かに頑固な人だけれど、それは凝り固まった頭の人に、批判されながらも、自分なりの考えを捨てなかったという頑固さなんだと感じました。
日本はドイツ哲学の流れが強いのか、しばしば、人間は真実を追求するといわれるが、むしろ真実ではないこと、つまりある種のまぼろしを真実だと思い込む存在だという方があたっているのではないか。
人間は理屈にしたがってものを考えるので、理屈が通ると実証されなくても信じてしまう。
こういうことを言うのは、物書きとしては問題なくても、国立大学に勤める学者、科学者としてはタブーなんだろうと思う、
(それでも、こういうことを言う人を、理学部長にした京大は、やはり東大に比べればいい学問をしているんだなと、関西人としては思いたいですが・・)
今は少しは変わっている部分もあるのだろうけれど、”フクシマ”をめぐる原子力に対する多くの学者たちの態度を見ていても、あまり変わっていないことは明白ですよね。
2009年に亡くなった著者が知る由もなかったフクシマですが、まさにそういう科学者、人間の愚かさを感じておられたのだなと改めて感じました。
自然現象は幅広い、
人間が調べたひとつやふたつの要素でできあがっているのではないということをちゃんと認識することがいちばん重要で、おおげさにいえば、それは我々が自然とはどういうものかを基本的にどのように認識するかということに関係してくるだろう。
人間には自然を破壊することはできてもコントロールすることはできない。ぼくはそう思っている。
そして、コントロールできないのは、人間社会そのもの。
人間社会が作り出した経済という大きな流れが、自然の破壊を支持し、理屈を支配してしまう。
「人間は理屈にしたがってものを考えるので、理屈が通ると実証されなくても信じてしまう。」
そう、そして、理屈が通っていると判断するかどうかは信じたいか信じたくないかに大きく影響されるのだから・・・。
と私は思いました。
理屈ばっかりの人が多すぎるので、すごくスッキリしました♪
「色眼鏡を通してしか物が見えない」というのは、カント哲学を思い浮かべます。
謙虚さが大切ですよね。人間、傲慢になってはいけないってことでしょうか。
私もけっこう色眼鏡で見ていて、イケメン俳優がCMしてると、それだけでその缶ビールまで美味しそうに見えちゃうことがあります。
悲しいかな人間って、目先のことに惑わされやすいんですよね。
注意しないと。
いつの間にかイケメンCMでなくてもビールがいちばんおいしい季節になりましたね。
私は特定の神様にたいする信心はありませんが、ホークさんの言われるように「傲慢になってはいけない」という意味で、神様は必要なのかもと思いました。
洋書を読んで英語の上達と読書の楽しみを二ついっぺんに楽しもうという野望で、洋書を入れるともともと多くない読書のペースはすごく落ちてしまいましたが、ボチボチ続けていきたいと思います。