本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

アンネの日記(完全版)

2012-07-12 | その他

 それでも、どんな信仰であれ、なにか信仰を持つひとは、正しい道を踏みあやまることはないでしょう。問題は神を恐れることではなく、自らの名誉と良心を保つことなんです。

 アンネの日記

アンネの日記 (文春文庫)

アンネ・フランク  深町眞理子 訳

文藝春秋

 ナチスによるユダヤ人迫害について、一番最初に知ったのは、「アンネの日記」だったような気がします。

 とはいえ、ウン十年前のことで、その時どんなことを感じたかなんて、何も覚えていません。

 覚えているのは、隠れ家の写真。本棚の奥に隠れ家の入口があるなんて・・・とナチスによる迫害というより、”隠れ家”生活への興味の方が大きかったようにも思います。

 この秋、オランダ旅行をすることになり、この機会にと読み直してみました。

 子供の頃に読んだものは、アンネの日記をもとに父のオットー・フランクが、父親という立場や、彼自身直接知っていた人たちの名誉を傷つけまいとする意図もあり、編集を加えていたものですが、今回読んだこの完全版は、アンネ自身が、戦後この日記をもとに本を出版したいと考えて、それまでの日記を清書し、内容にも手を加えて文章を書きなおしたものをベースにしたものだそうです。

 以前のバージョンの内容を覚えていないので、想像にすぎませんが、確かにこの文章をティーンエイジャーだった私が読んだら、アンネに対して随分違うイメージを持っていたかもしれません。

 隠れ家で住み始めた13歳の頃のアンネは、まだまだどこにでもいる、生意気な少女。

 本が好きで物知りだったのもあるのでしょうが、周囲に対してかなりの上から目線で、とても友達に慣れそうもないタイプ。

 ですが、両親と姉、そして全くの他人4名との2年に亘る特異な共同生活を通じて彼女の内面がどれだけ成長したか、これはもう驚くばかりで、大人としてちょっと恥ずかしくなるほどです。

 冒頭の文章は決して、誰かの言葉をそのままコピーしたものではなく、自分自身や同居人達への深い洞察をベースに彼女自身の信念として書かれたものです。

 しかし、大人に対する容赦ない批判は、同じ年頃の読者にとっては、そうだそうだ!と同感するところが多いでしょうが、大人目線で読むと痛い・・・。

 こんなスマートな少女と2年間も狭いスペースで一緒に生活するってちょっとイヤかも・・・。

 それにしても彼女のこの洞察力は、15歳以上生きられないという運命の中で天が与えたものに違いないと宗教心のない私でも思わざるをえません。

 もし彼女が生き残ったとしたら、”アンネの日記”がこれほどまでに読み継がれることはなかったでしょうから。

 そして今回本書を通じて、自分たちの危険を承知で、ユダヤ人たちを支援した多くの”普通”のオランダ人の存在にも深く感動しました。

 自分が同じ立場になったら、とても同じことができるとは思いません。”オランダ紀行”で司馬遼太郎がオランダ人のことほめ過ぎじゃないって思いましたが、やはり尊敬すべき人たちだと思いました。

 人間として、正しく生きなくちゃいけないなぁ・・・なんて思った一冊でした。


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街道をゆく35 オランダ紀行

2012-07-07 | エッセイ

将来を樹てないと、民族はなくなる。

将来。つねに将来を。いま私どもが立っている現在も、かつてのひとびとが将来を思って営んでくれたおかげなのである。

街道をゆく 35 オランダ紀行 (朝日文庫)
司馬 遼太郎
朝日新聞出版

 9月末に永年勤続休暇(オランダ・ベルギー旅行計画中)をとりますということを先日、会社の帰りに電車で上司と一緒になったときに、話しました。

  自分で仕事の段取りさえしておけば、そういうことをダメと言われるような事はないのですが、やっぱり、1週間以上休暇するので、やっぱり上司には言っておかないとね。


 で、その人に、”オランダに旅行する前に、読んでおいたらよい本はないですか?”って聞いたら、「あります!」と強くお答えいただき、本書を紹介いただきました。

 おー、そんな本があったとは、灯台下暗し・・・。


 ”街道をゆく”シリーズは、父がちょこちょこ買っていたので、何冊か読みましたが、いざ自分が行こうと思っているところだと、読んでて面白さがちがいました。

 アムステルダム周辺から、南部の国境近くのマースリヒトから、ベルギーに入りアントワープ、そして、ゴッホゆかりのニューネンという村などを訪ねておられます。

 3月に岡崎久彦著の「繁栄と衰退と」という本を読んで、少しだけオランダ史について知ることができましたが、司馬さんの目を通して、オランダ史を見るというのはまた違った意味で興味が湧きました。

 オランダには、空想がない。

 従って、海をへだてて隣りあう英国の様に、歴史にのこるような詩人や劇作家、作家を出していないのである。その代り、オランダは小さな国に不相応なほどに多くの絵画の巨匠たちを出した。

 ふーん、確かにオランダ絵画のジャンルで有名なのは、写真か思っちゃうほどの”精密画”ですもんね。それに、肖像画なども多く、それ以前のギリシャ神話や歴史に題材をとった大作のイメージはないかも・・・。

 しかし、司馬さんは、

 オランダ史に、文学の巨匠がすくないとはいえ、文学を虚構に限定せず、定義をひろげ、”文章という知的な道具によって描かれた感性の体系”ということにすれば、ゴッホの書簡集がオランダ文学の最大の収穫になる。

 と書いておられて、びっくり。これはゴッホの書簡集を読んでみなくては。

 そして本書の1/4近くはゴッホのついての文章。

 かれは自分の精神を、絵画で表現しようとした、自己の皮膚を剥ぎ、自己そのものを画面に広げてみせたのである。

 ゴッホのような絵画は当然ながら個人の精神史が付属せざるをえず、かれの場合に限って、絵と文学は不離と言わざるを得ない。ゴッホにセザンヌの”定理”を当てはめるのは無理がある。

 という文章に深く納得。

 ヨーロッパの歴史や文化を共有しない日本人にもここまで受け入れられたのはそういうことだったんですね。ほんとうに、ゴッホの絵を見たときに、胸が苦くなるほど、彼自身の魂が直球で迫ってきます。

 ところで、冒頭に引用した文章は、司馬さんが、デン・オエファーというところで大堤防で区切られた海を見ての言葉です。

 紀元前から国土そのものを自分自身でつくってきたオランダにとって、将来を想定して現在を営むというのは、詩ではなく、土工の一鍬一鍬の現実であったし、今もそうありつづけている。

 サッカー以外であまりオランダの名前をニュースで聞くこともありませんから、良くわかりませんがこの文章が書かれてからすでに20年以上たち、”今もそうありつづけている”かあどうか、ますます旅行が楽しみになってきました。


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