本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

その日をつかめ ソウル・ベロー

2011-07-31 | 小説
この日をつかめ (新潮文庫)
ソウル ベロー
新潮社

 

 アメリカ人の知り合いに、おすすめのアメリカ人作家を聞いたら、「ソウル・ベロー」という名前を教えてくれたので、図書館にあった本書を読んでみました。

 なんとも、説明しづらい内容で、ちょっとズルして、裏表紙から引用させてもらいます。

 

 妻子と別れ職を失い、俳優にもなりそこねたウィルヘルムは、巨大で非常なアメリカ社会の中ですべてを失い不運のどん底におちていく。それでも現在のこの瞬間をつかんで生きようとするが・・・・。頼るものもない一人の男の危機的な一日に、断代における自己救済のテーマを追求したノーベル賞作家の代表作。

 

 1956年に発表された作品なので、現在とはずいぶん違うのでしょうが、改めて、この文章を読み返してみても、どうもしっくりこない。

 ウィルヘルムは確かに、失業し、妻子にも愛想をつかされているが、今住んでいるのはニューヨーク。リタイアしたミドルクラスの人たちが住んでるようなホテルで、有名な医学博士である父親も同じホテルで一人暮らしをしているんです。

 日本人からすると、『ニューヨークでホテル暮らし』をする人が、すべてを失ったと言われてもねぇ。

 同じホテルに住んでいる、タムキンという名前からしていかがわしい心理学者を名乗る男に誘われて、なけなしの財産を先物取引に投資したが、それもどうも大損になりそうな様子で、今月のホテル代を払うこともできないが、父親からは冷たくあしらわれている。

 ウィルヘルム自身は、決して無能なわけでもなく、そこそこの教養もあるし、一時は俳優を目指すほど見てくれも悪くはなかったのに、中年を迎えた今、何物にもなれなかったことに、あきらめもつかず、かといって裸一貫でやり直すという決心もつかない。

 『アメリカ人』というのを一括りには言えませんが、所謂WASPの人たちのメンタリティというのはこういうものなのかもしれないなぁとは思いました、

 50年前といえば、冷戦時代に入っていて、もちろん『アメリカ』は、西側のリーダーで、豊かさというものを見せつけないといけない時代だったのかもしれません。

 貧しい移民の家庭に生まれたというのでなければ、スタート地点で出遅れているわけではないので、何らかの形で成功しなければならないというある種の、社会としての強迫観念があり、人々はそこそこ安定した生活を手に入れれば、あとは、それを得た自分がどれほど有能な人間かということを一生懸命喋らなければならなかったように見えます。

 であれば、ウィルヘルムの境遇では、その地位に甘んじることは恥であり、やはり人には取り繕う言葉を吐き続けなければならないし、人生を逆転させる何らかの行動にでなければならないと思い続けている。

 タムキンは、そんな先のことや過去にとらわれるのではなく、≪ここで、いま≫の自分を見つめろと言うのだが、ウィルヘルムには通じず、絶望の涙にくれてしまう。

 本書で著者が言いたかったことはよくわかりませんが、アメリカの国債がデフォルトに陥るのではないかと懸念される今日、アメリカ自身がウィルヘルムになってしまったのではないだろうかと、ふっと思いました。 

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苦悩するドイツ 川口マーン惠実

2011-07-29 | 評論
ドイツは苦悩する―日本とあまりにも似通った問題点についての考察
 川口マーン惠実
 草思社

 

 著者は、1956年生まれで、ドイツのシュツットガルト国立音楽大学大学院に留学し、その後ドイツ人と結婚して、本書出版当時はドイツ在住のようです。

 

 このプロフィールからは想像できない社会評論で、怖ろしく頭のいい人なんだろうなぁと思います。写真を見ても切れ長の目が、キツそうな感じで、お友達にはなれそうもないタイプかも・・・。

 

 とはいえ、本書は2004年出版ですから、少し前にはなりますが、ドイツの現状を知るにはとっても手ごろで読みやすい本でした。

 

 戦後の政治の移り変わりに始まり、経済、福祉や教育、環境対策、家族や移民の問題など、現代ドイツのエッセンスがきっちりまとめられています。

 

 ただ、えっと思ったのは、

 

 つまり戦後の日本人の心中では、アメリカの影響もあいまって諸々の価値観の入れ替えは起こったが、外部からの徹底的な精神的粛清を強いられることはなかった。

 

 という記述。

 それに比して、ドイツでは何を始めるにしてもまず徹底的な非ナチ化が不可欠であった。

 

 とあるので、ドイツという国を見てしまった後、日本をみるとそうなるのでしょうか。うちから見ていると見えないものもあるんですねぇ。

 

 本書が読みやすい理由の一つは、著者の目線が、専門家のそれではなく、一人の女性、母親、主婦としてのものだからというのがあると思います。なかなか、男性には書けない、生活感を伴った社会批評がユニーク。

 

 離婚やイスラム系移民、教育の問題についての章には、ご自身の子供やその友達の様子を通じて理解された様子で、なかなか説得力があります。(私が女だからかもしれませんが・・・)

 

 ただ、頭が切れるからだとは思いますが、やはりどこか上から目線なんですよね。

 

 ドイツまで音楽で留学して音楽家にならずにいるということは、もともと音楽的な才能は”人並み以上”のレベルで、留学できたのは才能があったからというより経済力のある裕福な家庭で育ったからだけとも想像でき、そうやって読めば、お金にはあまり困ったことのないすごく頭のいい御嬢さんの陥りがちな、結構右寄りな考え方で、「たかじんのそこまでいって委員会」などに出れば、出演者とそこそこ話が合いそうな感じです。田嶋陽子先生とは話は合わなさそうですが、かといって櫻井よしことは、ライバル意識でやっぱりうまくいきそうもない・・・そんなことを勝手に想像しながら読みました。

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The Arrival (アライバル) ショーン・タン

2011-07-19 | 絵本
The Arrival
Shaun Tan
Arthur a Levine

 

 今、話題になっている絵本です。

 絵だけで構成されていますが、話は伝わってきます。

 妻子を置いて、故郷を離れた男性が、様々な困難を経験しながらも、仕事を見つけ、友人を作り、家族を呼び寄せる。

 著者のShaun Tanは、オーストラリア人ですが、両親は、マレーシアからの移民ということで、両親を含む、多くの移民の人たちの人生が背景にあるのは間違いありません。

 記号のようなおかしな文字は、異文化へ足を踏み入れた時の不安を、とてもよく象徴していて、

 おかしな食べ物や、動物も、遠くの物や情報が簡単に手に入る今では想像しづらいけれど、

 戦前の日本人が、ニューヨークやロンドンに行けば、きっとそんな風に見えたに違いない。

 主人公がたどり着いた町は、まるで異星のような都市だけれど、ニューヨークにしか見えない。

 この本には、文章がない代わりに、本当にたくさんの人の表情が丁寧に描かれています。

 文章がない分、何度も何度も読み返してしまうので、

 子供のころは、こんな風に絵本を読んでいたのかなと思ったりします。

 ところでこの本、新聞でも、テレビでも紹介されていましたので、興味が湧き、近くの本屋2軒で聞いてみましたが、どちらも売り切れ。

 基本、それほど本は買わないのですが(買えよ!)、手に入らないと思うと欲しくなり、Amazonで見てみたら、2625円 

 高い。

 でも、さすがアマゾン、洋書だと、1497円。

 迷わず洋書の方を買いました。

 英語は苦手でも、この本は絵だけなので、絶対こちらがお得です!

 

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デパートへ行こう 真保 裕一

2011-07-17 | 小説
デパートへ行こう! (100周年書き下ろし)
真保 裕一
講談社

 

 いい悪いでなく、私には真保裕一作品はどうも、合わないようです・・・。

 『ホワイトアウト』を含めて今まで何冊か読んだんですけど、なんだか楽しめないんですよねぇ・・・。

 でも、こんなに人気があるし、しかもこの作品はちょっと異色と言う話も聞いたので、今度こそなにか感じるものがあるかなと思って期待していたのですが、残念・・・。

 勤めていた会社が倒産し、妻子からも見捨てられた男が、子供のころから大好きだったデパートへやってくる。

 そこを死に場所にしようと思い、閉店後のデパートに残っていたが、誰もいないはずのトイレで、大けがをした男を見つけ開放することになったり、自分の娘と同じ年頃の男女に励まされたり・・・。

 デパートという存在は、一定以上の年齢の日本人にとっては、時代の象徴であり、あこがれであったのだけれど、今は、その地位を失い、若者からは見向きもされない存在へと落ちてきている・・・ということをベースに作られた作品です。

 以前も思ったのですが、著者はこういうシチュエーションがあってそこから物語を作る人ですね。

 ですから、いくつか読んだ作品のすべてで、設定はとてもユニークで面白いと感じたのですが、人物がどうも嘘っぽい・・・。

 そうすると、私はどうしても物語にのめり込めないのです。

 少しマンガっぽいところがあり、場面が絵になりやすいので、映像化されやすいというのもあるのかなと思います。

 マンガを読みなれていないと、どうもそのリズムに乗れなくて・・・、結局のところ感性が、あわないということなんでしょうね。

 合わないものはしょうがないなと、あきらめがついた一冊でした。 

 

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ムンバイなう。 インドで僕はつぶやいた   U-Zhaan

2011-07-16 | エッセイ
ムンバイなう。 インドで僕はつぶやいた (P-Vine Books)
U-zhaan
ブルース・インターアクションズ

 

 ちょっと、ズルして、Amazonの紹介をコピペします。


「ツイッター本って聞いてだめかなー、と思ったけど、むちゃくちゃおもしろくて、吹きっぱなし!インド文明論だし。(笑)」
(坂本龍一)

twitterで話題騒然! 坂本龍一さんも笑った!
全ページ笑える、まったく新しいインド紀行。
twitterでリアルタイムのインド滞在記録を発表し、またたく間に大人気となったつぶやきが待望の書籍化!

巻末スペシャル対談:永積 崇(ハナレグミ)、七尾旅人

【ちょっと立ち読み】

「インドの洗剤は、日本のものの3倍泡立ちがいいけれど汚れが落ちずに色落ちします。」

「ムンバイで一番おいしいものはコカ・コーラです。」

「【街で使えるベンガル語】マシ、アミ バナッチ シェイ キチュリケ、アマケ ナーボレ モシャラ デベンナ(おばさん、私が作ってるおかゆに勝手にカレー粉を入れないでください)。」

…ほかにも絶妙なツイートと味わい深い写真を、無駄に満載。
じわじわと笑いがこみあげ、なんとなくタメになった気がして、最後にホロリとさせます。


 

 ほんと、ツイッターはとても面白いメディアだと再認識しました。

 長々と書くのではなく、限られた文字数だからこその、おかしみが活き活きと伝わってくる。

 著者のU-zhaanさんは、インドの打楽器「タブラ」奏者で、毎年インドに行くのだけれど、

 

 新しい石鹸を箱から出した瞬間に便器に落としてしまったのも、インドのせいにしたくなる。

 

 と、つぶやいちゃうくらいコリゴリだと思いながら、帰ってくる。 

 それなのに、成田に着いた瞬間、

 

 早くも少し、インドが恋しい

 

 といわずにおれない・・・。

 日本人の価値観からは、アンビリーバブル~と言いたくなるようなインド人。

 世界は広い。

 見ないと損。

 と、今日は、ツイッター風に、感想も短めにしてみました。

 

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イグアナの嫁 細川貂々

2011-07-16 | エッセイ
イグアナの嫁
細川貂々   
幻冬舎

 

 2006年3年に『ツレがうつになりまして』を発表されて、その9か月ごの12月に出版された作品です。

 今回の主人公はツレさんではなく、イグアナの『イグ』。

 1999年にお二人のもとにやってきた、イグは、売れない漫画家だった貂々さんが、落ち込んだときも、

 ツレさんがうつになったときも、

 励ますこともなく、 しかることも、あきれることもなく、

 ただ、ずーっと自分のペースで生活を共にしてきた。

 爬虫類をペットにする人の気持ちが全然わからない!って思ってきたけれど、

 なんとなく、少しわかった気がします。

 (とはいえ、自分で飼うことはないとおもいますが・・)

 発情期を除けば、活発に動き回るわけでもなく、

 豊かな表情で、感情をあらわすわけでもないけれど、

 でも、やっぱり家族で、

 お互いの存在はちゃんと認識している。

 とくに、マイナス思考だった貂々さんや、うつになったツレさんにとっては、

 本当に、最高の家族だったんだなって思います。

 勝間和代と対局にいるような人・・・・。

 ななまけ姫とツレさんから呼ばれたり、自分でも自分のことを「マイナス思考クィーン」と読んでみたり、

 私はマイナス思考じゃないけど、なままけ姫(姫はちょっと厚かましいか・・・)っぷりは、貂々さん以上。

 なんか、ほっとさせてくれた1冊でした。

 追記

 今知ったんだけれど、ツレがうつになりましては、映画になってたんですね。

 イグも登場しているみたいです。

 NHKのドラマは藤原紀香が主演で、ミスキャストの感が否めなかったけど、映画は、宮崎あおいが主演だということで、

  イメージ的には、こちらの方が近いかな・・・。

 

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知事抹殺 つくられた福島県汚職事件 佐藤栄佐久

2011-07-09 | ノンフィクション
知事抹殺 つくられた福島県汚職事件
佐藤栄佐久(前福島県知事) 著
平凡社

 著者の佐藤栄佐久氏は前福島県知事。

 5期目の任期途中、2006年9月、汚職疑惑が持ち上がり辞職、その後、逮捕され、2008年8月1審で有罪判決を受けました。

 2009年出版の本書は、もちろん今回の福島第一原発の事故を批判したものではなく、前半は知事としての自伝的な内容で、後半は汚職事件で逮捕され有罪判決を受けるに至る経緯で何があったかということをご自身で書かれたものです。

 佐藤氏の実弟が経営する会社の土地の売買をめぐっての事件で逮捕されたのち、やってもいない収賄を認めた裏にあった検察特捜の取り調べについての記述は、読んでいるこちらが苦しくなるような迫力です。

 もちろん、この本を読んだだけで、司法は有罪と認めたものを、冤罪であると言い切れるものではありませんし、実弟については、経営する会社の資金繰りが厳しいとはいえ、何故、このような事件に巻き込まれてしまったのかがはっきりとは書かれていませんし、どちらにしても脇が甘かったという点では落ち度があったのだと思います。

 とはいえ、特捜といえば、昨年無罪になった厚労省の村木厚子氏の事件があり、そのやり方のあざとさがいろいろ報道されていましたから、本書の佐藤氏の記述も、より真実味があります。

 そして、今回の福島第一原発の事故。

 佐藤氏は、福島県の原発の安全性を巡って、国とはかなり対立してこられた知事だったようです。

 国と保安院、そして事業者である東電がいかに信用できないかを身をもって経験されており、確かに、今読むからこそ、非常に説得力があります。

 今、様々に報道されている問題点と、何も違いません。

 少し違うのは、東電の姿勢はある程度(全面的ではないです)評価されている点で、真の問題は国にあると考えておられる点くらいです。

 やはりこの本は、今回の事故が無ければ、それほど話題にならなかったかもしれません。

 少なくとも、政治に興味のない私が、手にすることはなかったでしょう。

 しかし、特捜のでっちあげにしても、原発事故にしても、大きな話題になった時に初めておこったものではなく、おこるべくしておこっている。

 そして、どちらも国という権力をバックにするが故に、メジャーなマスコミはきっちりと批判せずにきたのだということがわかります。

 もちろん、著者の表現をかりれば、私たち国民が、「自分にかかわり合いがでてきて、はじめて関心をもつひとたち」だったことが、マスコミの姿勢にも現れているだけなのかもしれません。

 この本のカテゴリーを私はノンフィクションとしましたが、別の言い方をすれば政治家の自伝ですので、やはりどれだけのことをやってきたかということをアピールしたいという自己顕示欲を感じないこともありません。

 ですから、著者が巻き込まれた収賄容疑に関わっているのが、小沢一郎氏の疑惑でも名前のあがった水谷建設ということもありますし、できればこの話は、誰かジャーナリストがきちんと取材して書いてほしいと思いました。

 そして、関西在住者としてちょっと、気になったのは、

 「安全軽視は関西電力の企業文化」のようだ。

 という言葉、これ、怖い。

 九電のやらせメール事件もあり、日本の電力会社はいったいどうなっているのでしょうか。

 競争がないからこと、安全性などに十分お金をかけられるということではないんでしょうか・・・。

 それから、

 「安心は科学ではない。事業者と県民の信頼によって作られるものだ」

 原発は巨大技術であり、その細部までわれわれはうかがい知ることはできない。ならば、原発の何を信用すればよいのか。外部から見れば「原発を動かす人、組織、そして仕組」が信頼に足ると思われるものであることが必要なのだ。

 という言葉。

 原発を動かしたいと思っている人たちは、このことをもう一度考え直してほしいと思います。

 脱原発に国民の気持ちがながれていることを、推進派の人は、わかっていない素人が何をいっているんだという目線で見ているようですが、

 失ったのは信頼。

 それは、科学や技術では修復できない。

 この人が知事を続けていればどうなっていたか・・・などと考えても意味のないことですが、私たちがこの国の将来を考えるとき、もう少し地方の発する声に、真摯に慎重に耳を傾ける必要があるのだとつくづく思いました。

 

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ヘタな人生論より良寛の生き方 松本市壽

2011-07-09 | 評論
ヘタな人生論より良寛の生きかた―不安や迷いを断ち切り、心穏やかに生きるヒント (河出文庫)
松本市壽(全国良寛会常任理事)
河出書房新社

 

 良寛といえば、「手毬唄」の人で、子どもたちと遊んだという一面ばかりが思い浮かぶ人も多いかもしれない。

 

 という文章で始まるこの本ですが、・・・ はい、私もその一人です。

 どんな人かなんて考えてみようとも思いませんでした。

 江戸時代の後期の人で、曹洞宗のお寺で10年修行したのち、寺の住職になる道を選ばず、小さな庵に住み、托鉢をして生きる道を選んだとのこと。

 つまりは乞食(こつじき)坊主です。

 芭蕉も、また特に現代人もあこがれる、組織に所属せず、何も持たず生きるという乞食生活。

 本当の自由は、そこにしかないのかもしれません。

 とはいえ、厳しい生活。外見は、ただの浮浪者となんら変わらない・・・。

 こんな人が、村をうろうろしたら人々は警戒します。 だから、最初は里の人からも敬遠され、子供たちからもいじめられていたのに、いつのまにか、良寛さんのファンを作ってしまった。

 これはすごい。

 やはり良寛さんがただの逃避者ではなく、確固とした信念をもって生きた人であり、また、お金ではなく、知識、知恵といったものをより敬う気持ちを持っていた庶民との間に生まれた幸せな関係だったのかもしれません。

 本書は良寛さんや彼のことを書いた文章を通じて、著者自身が現代人に生きる知恵を学んでほしいとまとめられたものです。

 「草堂集」 や歌集などからたくさんの言葉をわかりやすい現代語に翻訳して引用されています。

 実は私はこういう本は苦手で、読み終わっても全体としてとらえることができていませんので、この本がどうだったかという評価をすることはできません。

 でも、いくつか心に残った文章があるので、自分のために書き留めておきたいと思います。

 

 盗人に取り残されし窓の月

 

 貧しい良寛の庵に泥棒が入り、なにもないので良寛が寝ていた敷布団を剥いで持って行った。もともと何もない庵に残ったのは窓の月だけだという句。

 今、流行の「断捨離」本にも良く書かれていますが、何ももたないというのは、これほど人の心を穏やかにするものなのかと思いました。

 

 物事に疎い者は琴柱(ことじ)をにわかで固めたように融通がきかないであくせくし、物事にさとい者は、その根源を知りぬいたと誇り、行ったり来たりでむだな時間を過ごしている。こうしたふたつのやり方を捨てて、とらわれることなき者を、はじめて悟った人というのである。(草堂集)

 

 私には遠い、悟りへの道・・・。

 

 さびしさに草の庵を出てみれば 稲葉押しなみ秋風ぞ吹く

                             (良寛全歌集)

悟りも迷いも同じことだという言葉も紹介されていましたが、悟っていても、人里離れた庵で一人で暮らすのはさびしい。素直にそのことを表現している句が美しいと思いました。

 

 すでにその人の考えを理解したならば、そこで静かに判断してみなさい。どちらが劣っているか、どちらが優れているか。また誰が正しくないか、誰が正しいかを。劣っている点を取り去り、優れている点について、誤りを捨て、正しきに従い、次第にそのようにしてゆくと 、やがては仏の知恵にきっと合うであろう。(草堂集)

 

 この文章よりも実はこの後に著者が書かれている怒りについての言葉を、自分の戒めにしようと思いました。

 

 怒りのもとは、他への過剰な期待と「こうあるのが当然だ」という思い込みである。それが感情的に詰まった状態で放出されるのが「怒気」である。

 相手の立場と状況について、温かい理解と同情の気持ちを失うと、怒りが噴出する。それは怒る側のジコチュー(自己中心)の「きめつけ」「おもいこみ」が一方的に空転するだけで、怒ったからといって何の進展もなく解決には結びつかない。むしろ、怒りをぶつけることにより、予想以上の取り返しのつかない悪い事態となる。

 

 気の短い私は、気をつけなければ・・・。

 この間、大臣になって9日目で自分の言葉により辞任することになったあの人にも聞かせたい。

 

 よいとかよくないとかの判断は、はじめから自分自身においているが、真理の道はもともとそのようなものではない。たとえるなら自分の持つ短い竿で深い海の底を測るようなもので、ただその場逃れの愚かな行いだと思う。(草堂集)

 

 

 知識を得るということは、ほかの人より少し長い竿を持つだけのことなのかもしれません。どちらにしても海の底にははるかに届かない。原発を巡る今の状況で、多くの専門家や知識人が出てきているが、お互いに面と向かって議論ができないのだという。このことが一番の不幸かもしれない。双方が自分の竿こそ長いと思っているから。

 

 いかなるが苦しき者と問うならば 人をへだつる心と答えよ

       (良寛全歌集)

 

 へだたれるものではなくへだつるものの心が苦しいんですね・・・。

 

 もう少し、良寛さんのこと知りたくなってきました。

 

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愉しい非電化 エコライフ&スローライフのための 藤村靖之

2011-07-02 | その他
愉しい非電化―エコライフ&スローライフのための
藤村靖之(工学博士、非電化工房主宰) 著
洋泉社

 

 この本、ほんと愉しいです。

 もちろん、この本を手にしたきっかけは、福島第一原発の事故に端を発する、電力不足があったからで、自分なりにちょっと深刻な気持ちで読み始めたのですが、とにかく、科学音痴で、仕組みについては良くわからない私も、なんだかワクワクしてしまいました。

 高度成長期を境に、「便利さ」、「快適さ」が求められるようになった電化製品は、現在ではマイコン制御で、自動化が進んでいる。この先にある(あった)のは、オール電化で、人間が何も考えなくても、安心で安全な生活環境を提供してくれるという世界・・・。

 だけど、少し考えてみれば、矛盾だらけ。

 軽いホコリを吸うだけなのに、1000Wの掃除機。(1秒間に1gのホコリなら、100、000m 運んじゃう仕事率の道具です)

 リモコンで操作するために、使ってなくても待機電力を使うテレビをはじめとする製品。待機電力だけで年間家庭消費電力の10%。(一応、関電のホームページによると、夏ではエアコンのために電気使用量が多く分母が大きくなるためか、4%となっています)

 昔に比べてスーパーの営業時間は伸びているのに、増大する家庭用冷蔵庫。

 などなど・・・。

 著者は、発明家なので、こういう矛盾を解決するために、いろんな非電化製品を考案されています。

 非電化冷蔵庫、非電化空調住宅、非電化除湿機に、ソーラークッカーなど・・・。

 自然の力できちんと動く。

 だから、きっと自然科学や、物理が生活実感として感じられるようになるから、自然への親しみ度が高まりそうな気がします。

 しかも読んでいていいなぁって思うのは、誰でも作れるから、壊れても直せるっていうところです。

 もちろん、誰でもと言ったって、不器用な私には難しい気もしますが、それでも、教えてもらえばできそう。

 今の、電気製品、特に電子制御のものは、故障して修理に出しても、買った方が安いですよって言われるものが多いし、新しく買いなおしたら新しい機能がついてたりで性能が良くなってるし、、物を大切に使うという気持ちが育たないですよね。

 それでも、『エコ』という言葉には、どこか胡散臭いものを感じて反発する人も多い。

 だから、著者の藤村氏がおっしゃるように、電気に代表される今の快適・便利を否定するのではなく、『愉しい方を選ぶ』、っていうことは、とても素敵なコンセプトだと思います。

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核がなくならない7つの理由 春原 剛

2011-07-02 | 評論
核がなくならない7つの理由 (新潮新書)
春原 剛 著
新潮社

 

 核がなくならない7つの理由として挙げられていたのは以下。

 理由1 「恐怖の均衡」は核でしか作れない

 理由2 核があれば「大物扱い」される

 理由3 「核の傘」は安くて便利な安全保障

 理由4 オバマに面従腹背する核大国

 理由5 絶対信用できない国が「隣」にあるから

 理由6 「ゆるい核」×「汚い爆弾」の危機が迫る

 理由7 クリーンエネルギーを隠れ蓑にした核拡散

 

 タイトルも章立ても、1つの結論に向かって整理されているように見えるのですが、、軍事にも国際関係にも全く疎い私にはすべては理解できず、ちょっと自分の頭の整理のために、軽く読み直してみました。

 

 理由1は、戦後の核をめぐる米ソの戦略、政略の経緯を丁寧に説明してあるが、だから、将来はなくならない理由というの論理自体はわからないことはないが、ちょっと弱い。

 理由2の、北朝鮮とミャンマーに対する、米国の対応の違いを見ればあきらかという理屈は、わからなくもない。

 理由3は、これも、日本や韓国といった国は、核保有国ではないが、アメリカの核の傘の下にいて、ヨーロッパの各国も同じということを説明されているが、「便利」はともかく、「安い」というところへの説明があまりなかったような気がする。

 理由4 もう、何が書いてあったかも思い出せない・・・。読み直す気にもなれない。(汗)

 理由5 ここはとてもわかりやすい。米ソは関係ない、紛争の種のある地域で、隣の国が持っているなら自分の国も持っておこうというわけ。隣の国が放棄しないのに、自分たちから放棄することはないということで、インドとパキスタンや、イスラエルとイランなどの事情をあげている、理由1の歴史は、米ソが東西国家の代表として核の軍拡を繰り広げたが、これの地域限定版。

 理由6 米ソの核兵器削減や、核不拡散条約などにより、戦略的な核の生産や保有数拡大は難しくなったが、旧ソ連の核兵器や技術者などが世界に拡散しているということで、ここもわかるような気がしました。

 理由7 よく言われている、原発が世界に広まるということは、核兵器を作るために必要な、プルトニウムの濃縮技術が世界に広がるということ。

 

 でも、結局、「何故なくならないのか」という理由として、ああその7つだったね!とスッキリできない。

 これは、たぶん、自分の読解力と予備知識の無さは置いておいて、やはりタイトルと、本の内容のミスマッチがあるのではないかなぁと思います。

 とてもまじめに取材されて、経緯などを丁寧に書かれているところは好感が持てるのですが、私のような素人でも飽きずに最後まで興味を持って読ませるための努力が少し足りないような気がしたのです。

 もちろんお前のような素人を相手にしていない! というのであれば、それはそれで仕方がないのですが、それにしては、「新書」というメディアを選んだことや、キャッチーなタイトル、目次のまとめ方などが、ビジネス書のようで、素人に訴えかけるような作りで、やっぱり想定読者と、本の作りがミスマッチ。

 とはいえ、得るものがなかったということは全然ありません。

 まず、最初に驚いたのが、オバマ大統領の核廃絶演説に到る背景に、キッシンジャーがいたということ。

 また、北朝鮮の核に対するアメリカの対応と、ミャンマーを比較してみるという視点。

 もちろん、理由7に挙げられている、原発という核の平和利用と核兵器の関係についても、よく原発反対派の人たちが取り上げておられるのを、「そ~んなこともないでしょう」と思っていたけれど、これが完全な「平和ボケ」だったということも改めて認識しました。

 はっとした言葉は、核テロ問題の第一人者グレアム・アリソン米ハーバード大教授の言葉です。

 

 「核テロ対策は、『おこりそうもない事態を想定する(Think Unthinkable』ことだ」

 

 思い出すのは、やはり東電や原発推進派の人々が、口にする「想定外」という言い訳。

 原子力発電所を持つということは、たとえ核爆弾を持たなくても、核テロに対しては、同じリスクをもつということ。

 アメリカという国のあり方には納得できないことがたくさんあるけれど、原発という存在が、少なくとも彼らにとっては、核テロのターゲットではあったはず。全電源喪失という事態は、自然災害としては考えられなかったとしても、想定外でもなかったはず。

 政府の責任がなかったとは言いませんが、やはり福島の現状は、平和ボケした日本を象徴するものだと、どうしても思考はそちらに向かってしまうのでした。

 

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