本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

使命と魂のリミット

2008-09-17 | 小説
使命と魂のリミット
東野 圭吾
新潮社

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 さすが、東野さん!巧いです。 でも、渾身の作品というわけでなく、技術で書いた作品。敢えて言えば、「生活のために書いた作品」ですね。

 

 医療過誤の話しかなぁと思わせながら、東野さんのお得意のエンジニアリング系の話を絡ませ、そして一人の女性の医師として、そして人間としての葛藤と成長を描く! 退屈するわけないです。

 

 東野さんのファンですからこういう作品もOKです。

 

 でも、また、うーんと唸らせてくれる作品、待ってまーす。


ぼくには数字が風景に見える

2008-09-15 | エッセイ
ぼくには数字が風景に見える
D. タメット
講談社

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 これは、サヴァン症候群の青年、ダニエル・タメット氏の自伝です。

 

 彼は自閉症で、そして、サヴァンの青年です。サヴァン症候群とは、映画「レインマン」で有名になった、すごい記憶力など限られてた分野で特異な能力をもつ人をいうのだそうです。

 

 タイトルにあるとおり、彼は数字に特別な感覚を持っているのだけれど、それはまるで、音楽を聞いたり絵を見て優しいとか暖かいとかの感情が沸くのと同じように見えます。 この前に読んだ、「妻を帽子と間違えた男」の作者オリバーサックスが、彼らのことを「数字は友達」と想像して呼んでいたけれど、そういう風にも見えます。

 

 

 彼はまた、特殊な言語感覚を持っており、何ヶ国語も理解し、話すことができる。彼が1週間でまったく未知の言語であるアイスランド語を習得するというチャレンジをした話も書かれているが、まったくすごいの一言です。

 

 

 しかし、この本を読んで感動するのは、彼のそういう特異な才能に対してではなく、寧ろ、一人の青年の成長記としてなのです。

 

 

 彼は、自閉症児でしたので、両親にとってはとてつもなく難しい子供だったと思うのです。ご両親の苦悩は、もしかしたら彼には理解できないことだったのかもしれませんが、それでも彼の視点から語られる両親は、とても忍耐強く、そしてあるがままの彼を受け入れて見守ってきたようで、その親子関係にとても感動します。

 

 彼は、人とのコミュニケーションの難しさをこう表現しています。

 

 子供の本などに、点と点を順番につなげていくとある形が現れてくるものがあるが、それと同じで、点のひとつひとつは見えるが、それをつなげて形にできない。だから「行間を読む」ことができないのだと思う。

 

 

 一人一人の脳は違うんだ・・・と、あまりにも当たり前のことに気づかされました。

 

 人間は一人一人個性をもっている。彼の場合はその個性が強烈だということ。しかし、成長の過程で、自分と人との違いに気づき、それに対処する方法を学んで、自分にできること、できないことを自覚した上で、自分のできる範囲で努力をして、自立して生きて行っている。

 

 障害って、病気ってなんだろう。

 

 頭がいいって、どういうことなんだろう・・・。

 

 幸せってなんだろう・・・。

 

 相手を尊重するということはどういうことなのか。

 

 そんなことを、深く訴えて、心に残る一冊でした。

 

 


妻を帽子と間違えた男  オリバーサックス

2008-09-01 | ノンフィクション
妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション)
オリバー サックス
晶文社

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 で面白かったです。

 

 もともと脳の話には興味があったのですが、昨年、自分の記憶力に不安を感じて池谷裕二さんの本を読んで以来、けっこう何冊か脳関連の本をよみましたが、どれもみんな面白くて、興味はつきません。

 

 著者は、神経学を学び、多くの脳に障害のある人たちの治療にあたったお医者さんです。本書はその経験から、24人の非常に興味深い症例を紹介したもの。

 

 タイトルにある「妻を帽子と間違えた男」は、決して比喩ではなく、本当に妻と帽子の区別がつかなくなった男(P氏)の話。精神異常は全く無いが、視覚から得た情報を正しく認識する能力が損なわれてしまった。見えないのではなく、その視覚が捕らえた映像のもつ意味を理解できない。

 

 

 われわれは物に接したとき、それが他者との関係においてどうあるかということを、直感的に「見る」のである。

 

  

 と著者は定義している。そうなんだ・・・。目は判断しない。情報を取捨選択し、解釈するのは、脳なんだ。

 

 

 P氏は、三角形とか円錐のモデルや図は理解できる。その形は抽象的なものであり、それ自身に意味は無いから。でも、花とか顔とか風景などについては、その視覚的な情報から感情を喚起することができないので、理解できないのだ。

 

 

 1+1=2なら分かるのに、帽子をみても、それは布でできた丸みを帯びた筒状の形のものとかいうようにしか理解できず、何に使うものかわからないのだ。 

 

 

 ”視覚”は、インプットで、脳がそれをプロセスすることで、何らかのアウトプットがあるが、視覚からメモリに記録されている”記憶”を呼び出すことができないと、見えているものに意味を持たせて何かをアウトプットすることはできない。

 

 

 考えてみたら当たり前。同じ時間に同じ場所で同じものをみても、その解釈は人によって違う。脳に障害のある人たちの話を読んで、そんな当たり前の日常の中になんと深遠な脳のプロセスがあることかと気づかされた。

 

 

 そして、ある種オカルト的な現象も結局は、脳のなせる業。十分説明がつくなぁという症例もいくつか紹介されている。スピリチュアルなんか読むんだったらほんと、この本を読んだほうがずっとためになります。

 

 

 ほかにも、本書では、さまざまな症例が紹介されており、それらの一つ一つと向き合った著者の真摯な姿がとても印象的。決してやさしいだけではなく、あるときはとても残酷に患者をあつかってしまったことも、正直に告白されている。実際、本で読む分には、おもしろいですむが、実際に付き合うには、”かなわん”とか”つかえん”人たちだと思う。

 

 

 でも、この本を読んで思うのは、そういう”かなわん人たち”と、いわゆる病気ではない人たちの間に、はっきりとした境界はないということ。彼らを社会から締め出すことは自分自身の首を絞めることなんだなぁ・・・ということです。

 

 

 

 ところで、本書で”トゥレット病(症)”が紹介されている。感情や本能をつかさどる場所である視床、視床下部、辺縁系及び偏桃核の障害。よって、感情や欲情が暴走する。しかし、音楽性豊かであったり、敏捷であったりと言う面もあるそうだ。多動になるせいなのか、”チック”が起こったりするそうだ。

 

 この本を読んでから、インターネットで、トゥレット病で検索してみて、たまたまこの障害を持つ男の子の親御さんが主催のページを見つけた。男の子はチックが出ていたが、トゥレットと診断されるまでに随分時間がかかったそうだ。

 

 本書は1985年に出版(日本では1992年)されている。私程度の読書量でもその存在を知ることができたのになぜプロのお医者さんが診断できないのかと不思議に思った。しかし、精神的(というより神経的)な病気については、さきにかいたとおり、病気でない状態との境界があいまいで、まだまだ診断が難しいんだろうなぁとは思う。でも、こういう”よくわからん”症状の”かなわん”患者を診る医師の、人間力が欠けていたのが、原因ではなかったのかと思えてならない。