本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

数学的にありえない(上)(下)

2009-11-13 | 小説
数学的にありえない〈上〉
アダム ファウアー
文藝春秋

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数学的にありえない〈下〉
アダム ファウアー
文藝春秋

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 数学ができないけれど、数学に憧れのあるミーハーな私が、飛びついてしまうタイトルです。

 

 数学的には天才なのだけれど、癲癇の発作に頻繁に見舞われるため大学講師の職を続けられなくなったケインは、その能力をギャンブルにのみ向けて生活していた。ポーカー中、大きなチャンスでその発作に見舞われ正常な判断ができなくなった彼は大きな借金を背負ってしまう。その借金を返すためにある脳研究者の実験台となり投与された物質の影響で、彼が持っていた将来起こることが見えてしまうという能力が開花してしまう。そのため、彼を使って自分の利益にしようとするいくつかの組織や個人に追われることになる。

 

 数学と、脳神経学、それと量子力学などのエッセンスと、ハリウッドアクションの要素が加わり、”ノンストップ・サスペンス”と帯に銘打たれているように、スピーディーに話は進んでいきます。きっとこの手の小説を書く人は、きっと子供のころからハリウッド映画を見て育ったんでしょう、スクリーンの絵面が目に浮かぶようです。

 

 いろんなどんでん返しを含め、最後の最後までどういう結末にするのか想像がつかず、読み終わった時には、もちろん単純に面白かったと思うのですが、それ以上に、“過去”と”未来”って何だろうと考えさせてくれるストーリーでした。

 

 もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。(By ウィキペディア

 

 と、フランスの物理学者が主張した決定論。”ラプラスの魔”と呼ばれるそうですが、つまり未来は、完全に予言可能であるが、ただ、ある瞬間におけるすべての物質の力学的状態と力を知ることができないので、現時点で人間は未来が見えないということなんですが、ケインはこのラプラスの魔を見る力を得てしまったのです。

 

 でも、ケインが見たのは、確定した未来ではなく、様々な可能性。だから、彼は予言するのではなく、選択するんです。

 

 だけど、未来を選ぶなんて、そんなこと、一人の人間が担えるような責任ではないともちろんケインもビビるのですが、そこには良い選択も悪い選択もないという事が、うまくは言えませんがなんとなく納得させられるように描かれています。

 

 でも、でも何となく納得できないような気もするんです。 

 

 それは多分私が、数学や物理が全く駄目だからなんでしょうね


インテリジェンス読書術 中島孝

2009-11-05 | 評論
インテリジェンス読書術―年3000冊読破する私の方法 (講談社プラスアルファ新書)
中島 孝志
講談社

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 ハウツー本は、結局読んでも大したことが書いていないことが多いので、選ばないのですが、読書関連だとどうしても手にとってしまいます。

 

 この人年間3000冊読むということは、平均一日8冊は読むということ。すごい・・・。

 

 とはいえ、本文中に、

 

 ”全部を読む本でも三時間でざっと一冊読みきってしまいます”

 

 とあるので、実は殆どの本は全部は読まないということになります。それでも、3000冊を読んだと言い切れる程度には、きちんとその本のエッセンスを理解しているということなんでしょうね。

 

 とにかく、面白かったです。このノウハウをすべて自分のものにするのは無理だし、そこまでやりたいと思いませんが、覚えておきたいポイントは満載でした。書かれていたのは、

 

 *目を慣らす

 *脳を慣らす

 

 という、フィジカルなものから、

 

 *たくさん読め、速く読め、何でも読め

 *まえがき、あとがきから先に読む

 *ラストから読む

 *面白くなければやめる

 *寝る前に読む

 

などの典型的なハウツーの数々。

 

 そして、結局のところ、読書で得たものをどれだけ活かすかというところに価値を置いておられて、エンターテイメントなどは、読んで楽しかったで終わる”知的消費”であり、それはそれでよいが、しかし重点は、”知的生産”になる読書をしろということを主張されています。

 

 ということで、後半は読書からえた知識を情報として活かすためのノウハウになっています。本書の中でも、1冊の本の後半部分に、作者がいいたいことのエッセンスが詰まっているので最後から読めというようなことも書かれていたので、きっと、そこが本書のテーマなのだと思われます。

 

 多分、この本を書くにあたっての想定読者は、「速読についてある程度知識や技術があるが、その次を狙っている人」、「ビジネスマンで情報力を高めて、ビジネスに活かしたいと思っている人たち」だったのでそういうまとめ方になったのだと思いますが、その辺を求めているわけではなく、速読についての知識も無い私にとって興味深かったのは、フィジカルな面でした。

 

 目が活字に慣れると、一行ずつではなく、3,4行まとめて読めるようになるとか、テーマを決めて読むと、斜め読みでも欲しい情報があれば脳が反応するとかいった部分です。

 

 目の方はよくわからないけれど、脳の方は本当だなと経験的に納得できることがあります。例えば私の場合、新聞は毎日ひと通り全ページをめくりますが、実際に読む記事はごく一部。どの記事に目が止まるかというのは、やはり自分の脳が、最近”おもしろ!”って感じたものや普段から気になっていることなんですよね。

 

 だから、知識は増えれば増えるほど、もっと脳も活性化されて反応が良くなり、情報がどんどん入ってくるのだというのはよくわかります。

 

 また、食べ物と一緒で、偏らずになんでも読むのが脳には一番よいというのも納得。

 

 私自身が本当に読書が好きになり、とりあえず比較的いろんなものを読むようになったのは、ここ15年くらいですが、最近になってようやく、全然関係ないと思って読んだ本から得た知識が、自然に反応しあってはっと新しいことに気づくという体験を時々するようなりました。そんなとき、自分では忘れたと思っていても、脳は忘れていなかったんだなぁと気づき、読書の効能を実感しますから。

 

 そろそろ老眼で、小さな字を見ると目がキューっとなってしまうこの年になってようやくですから、もう少し早く、読書に目覚めていたらなぁ・・・と改めて自分の年を感じたりした一冊でした。

  


ツチヤの口車

2009-11-01 | エッセイ
ツチヤの口車 (文春文庫)
土屋 賢二
文藝春秋

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実家の本棚を物色し見つけたこの本、手にとって

 

 ”これって、たしか週間文春で、連載している・・・?”

 

と父に聞こうとしたところ、終わりまで言わせずに、

 

 ”お前読むならやるわ。ワシは大嫌いや!”

 

と、吐き捨てるように言ったので、ありがたく頂戴しました。ま、確かに昭和ヒト桁。まじめに生きてきた父にはちょっときつかったかも。

 

 私も、文春はたまにしか読まないので、このヒトのエッセイを読んだときは、いつもキツネにつままれたような気持ちになっていました。

 

 一応、ユーモアエッセイというジャンルらしいです。が、ユーモアというよりナンセンスエッセイの方がいいのではないかしら・・・。

 

 どこまでが冗談でどこまでが本気かよくわからないのですが、どっちにしても、どうでもいいようなことばかりです。

 

 かなり辛口で、一昔前の漫才のおきまりのネタのように、妻をはじめとする家族や、助手、同僚、学生など、まあありとあらゆるヒトをこけおろす。

 

 このヒトが哲学の先生だというから、ユーモア、ナンセンスにみせかけた中に、なにか深遠な世界が・・・とも思うのですが、そんな風に深読みすると、土屋先生にバカにされそうで、ナンセンスはナンセンスとして、軽く読み流すのがよいと思います。

 

 私は別に読んでいて、腹は立たないし、面白いとさえ思うのだけれど、通勤電車で20分読み続けると、少し飽きてくるのも事実です。飽きるというより、”食傷”という言葉がぴったり。

 

 ま、今後、このヒトの本を新刊本として買う気はありませんが、古本屋で100円で売っていたら間違いなく購入します。そして、トイレに置いておき、毎朝1つづつ読むというのが一番いい読み方ような気がします。