本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

同時代も歴史である 一九七九年問題 坪内裕三

2006-07-18 | 小説

 

一九七九年春、その時に「歴史」は動いていた。誰も気づかない間に。

 と帯にあり、その裏表紙側には、本文から抜粋があり、一九七九年が、イラン革命があり、ソビエトがアフガニスタンに進行した年ということで、とんと国際社会の出来事に弱い私も、”歴史”という名前がつけば、なぜか少し興味が沸いてくるので、買って見ました。

 

 はっきりいうと、私にはムツカシイ本でした。(>_<)  でも、頑張って最後まで読みましたよ。ムツカシイけれど決して退屈ではありませんでしたし・・・。

 

 本書は実は、一九七九年問題についてまとめられている本ではなく、2003年から2004年にかけて、雑誌『諸君!』に連載された、”毎回読みきりの単発連載”をまとめたもので、全体のテーマは絞り込まないで、ただ、”同時代の風やゆらぎが感じられる”ものにしたいという気持ちで書き継がれたものです。

 

 一九七九年と言えば、私自身は、高校生で、毎日バスケットばかりやって、ほとんど読書もしなかった時代。また、それ以降だって、世界のことにあまり興味を持たずに生きてきた身には、著者とはほぼ同世代なのに、この本に取り上げられている出来事を、同時代とも感じることもできず、ただ呆然とするばかりでした。 

 

 チェチェンのことも、中東のことも、今日始まったことではないのに、何も知らない。けれど、世界には、時代と向き合って、はっきりと自分の意見を述べてきた文筆家がいる。そんな人たちの言葉が随所に引用されていて、全体としてまとまった考えを受け止めることは私にはできなかったのですが、読んでよかったなぁと思った一冊でした。

 

 -戦時の「傷」は暴かれるのを待っている- という章では、戦中、戦後文筆家として生きた”平野謙”という作家を取り上げ、文学者が時代との深い関係を結ぼうとした結果受けた傷に目をむけ、最後にこう書いている。

 

 だが、とわが身を振り返って私は思う。私達の時代の文学者はそのような「傷」を負うことがはたして出来るだろうか。

 例えば、バブルの崩壊から十数年を経た今、いわゆる「第二の敗戦」という言葉がある。その「戦中」から「戦後」にかけて「傷」を負った文学者は、はたして、いたのだろうか。もちろん「転向者」はいる。しかし彼らは、転向に伴うはずの「傷」を少しも自覚していない。つまり、リアル、フォニーの二元論以前のフォニーである。

 その意味で、平野謙は、そして彼のことをフォニーと批判できた江藤淳は、幸福な文学者であったと思える。

 

 なんか、ここだけはわかるような気がするなぁと思ったのでした。

 確かに、20数年前のは、今から考えると、歴史の転換期だったのかもしれませんね。その時代に私は生きていたのに、決して時代の証言者にはなれない。でも、歴史の証言者になるためには、大きな傷を負うことも覚悟して、取り組まないといけないのですねぇ。

 

  


明日の記憶 荻原浩  光文社

2006-07-09 | 小説

 

 

 広告代理店の部長50歳の佐伯は、アルツハイマーと診断される。最初ははただの物忘れとなんら変わらない症状が、どんどんと深刻さを増していく様子が、比較的淡々と描かれていました。映画にもなったので、どんなドラマチックな展開かと期待していたのですが、涙を流したりするようなシーンは最後までありませんでした。

 

 この小説は映画化もされ、評判になっていましたから、アルツハイマーを扱った作品として他とは違う何かがあるのかなと期待していたのですが、そんなこともなかったです。何故こんなに話題になっているのか、ちょっと不思議な気がしました。

 

 私にとっては、芥川賞受賞作品の「寂寥荒野」の方が衝撃的でした。「ユキエ」というタイトルで、倍賞美津子主演で映画化もされましたが、あまり話題になりませんでしたねぇ。終戦後、アメリカ軍人と結婚してアメリカにわたったユキエが、周囲の偏見に耐えながら、アメリカに根をおろし、子供達を育て上げてやっとこれから夫婦でのんびり出来るという60歳で、突然アルツハイマーを発病します。夫とは信頼しあい、助け合って生きてきたのに、彼女はどんどん英語がわからなくなっていき、夫との二人の生活なのに、コミュニケーションがどんどん難しくなっていくという展開に、とてもショックをうけました。

 

 「明日の記憶」は、主人公が50歳、働き盛りの男性ということで、より身近な存在として、多くの人にショックという共感を得たのかもしれませんね。

 

 アルツハイマーを扱った海外の映画もいくつか見た記憶がありますが、主人公は泣いたり、叫んだり、ものを投げたりと、七転八倒して苦悩してました。それにくらべて、この本の主人公は随分違います。本人は、もちろん悩んだり苦しんだりしているのだけれど、叫んでいるのは周りで、内面は、どんどん静かになっていくというか、自分の周りに見えない壁ができて、周囲の様子は見えているのだけれど、音がどんどん聞こえなくなっていくような、そんな感じなんですね。やはり同じ病気でも、その後の感じ方や病人のリアクションには、国民性の違いがあるということなんでしょうか・・・。それとも、この作品では、こうありたいという作者の理想が描かれているのでしょうか。(まあ、記憶をなくしていっても、こうありたいというような、理想なんて、あるわけないか・・・)

 

 とにかく、どんな表現であっても、アルツハイマーや脳の障害を扱った物は、読めば衝撃を受けます。やはり、自分が自分でなくなることの恐怖は、”死”そのものの恐怖に勝るのではないかと思います。ある意味、恐怖小説でもありました。

 

 この本では、妻のことがわからなくなった所で、話は終わりますが、これからが本当の家族の苦しみが始まるのでしょうね。