本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

阪急電車 有川浩

2009-01-24 | 小説
阪急電車
有川 浩
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

 

 前の2冊が結構重かったので、軽いものがよみたかったから、ちょうど良かったです。

 

 阪急今津線というとってもローカルな路線を舞台に乗り合わせた人たちのちょっとした物語で、ちょっとほっこりします。

 

 

 この小説で、折り返し駅として登場する西宮北口は、私が小学校2年生まで育った町。2駅目の甲東園に行きつけの耳鼻科があり、しょっちゅう乗っていました。幼稚園か1年生になっていたか忘れましたが、親は私一人を電車に乗せて通院させていたのです。今とは時代が違うとはいえ、うちの親は勇気があったなぁ・・・。だって、西宮北口では競輪が、その次の仁川では競馬が開催されることがあり、結構な雰囲気が漂っている日がありましたもんねぇ・・・。

 

 ある時、競馬があるから電車が混むとは分かっていたのですが、どうしても運転席が見たくて、つい中に入ってしまったのです。いざ甲東園で降りようとすると、7歳程度の体で押してもビクともしないほどの混雑。泣きそうになっていたところ、若いお兄さんが、なんと言ったかは覚えていませんが、大きな声で、この子をおろしてやってぇと一緒に動いてくれて、ぎりぎり電車を降りることが出来ました。あの時のパニックとお兄さんへの感謝は一生忘れません。多分ちゃんとお礼を言えていないのがウン十年たった今でも心残り。

 

 

 確かに電車の中って、いろんなドラマがあるんでしょうねぇ。でも、こんな小説のような話がそうそう転がってるわけないわなぁと思いながら電車でこの本を読んでいた時、ちょっと視線の片隅に違和感を感じました。顔をあげてみると、70前後ぐらいのおじ(い)さんが、手すりにぶら下がって足を上げていました。ぶら下がり健康法でしょうか・・・。いつもなら、変な人と思って終わりですが、この人にはどんな物語があるのかしらなんてちょっと妄想してしまいました。

 

 

 本についてより自分の話ばかり書いてしまいましたが、本の内容については、少女漫画的なよくできた話で、ターゲットがはっきりしているので、商業的に大成功ですが、後に残るものがあまりありませんでした。”図書館戦争”が結構面白いという噂でこの作家には興味がありましたが、この路線ならもう読まなくてもよいかなぁなんて思ったのでした。


子供たちは森に消えた

2009-01-23 | ノンフィクション
子供たちは森に消えた (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
ロバート カレン
早川書房

このアイテムの詳細を見る

 

 事実は小説より奇なり

 

 

 この前に読んだチャイルド44でモデルになった、旧ソ連の連続殺人犯、アンドレイ・チカチーロノ事件を追ったノンフィクションです。あとがきに紹介されていたので、図書館で借りて読んでみましたが、まさにあまりにも使い古された言葉ですが、事実は小説より奇だなぁ・・・・ということでした。 

 

 本書の半分以上は、チカチーロノ逮捕までの、長い長い道のりをこつこつ追ったものです。小説だったら、もうこれ以上書くと読者が退屈してしまうから、この辺で犯人逮捕にしようとか、全く別のエピソードを挿もうとかしてしまいそうですが、現実の犯人は、ほんとうに飽きもせず、まるで習慣のように人を殺していきます。

 

 

 そして、これだけの人が殺されても、犯人を捕まえられないソ連という社会の問題。 確かにこの社会体制の問題はチャイルド44でもうまく取り込まれていましたが、それでもやはりフィクションとして読むと、その闇がもっと切実に迫ってきました。犯人が、人を殺すのをやめられなかったから、最後には逮捕できたけれど、たとえば、30人くらい殺したところで、もうやめていたら、多分真犯人は捕まらなかったでしょう。

 

 

 また、異常犯罪者の心の問題。いわゆるプロファイリングの重要さも、ひしひしと感じました。当時のソ連としてはじめて、犯罪事件の操作に精神科医が本格的に参加したものということですが、残念ながら組織としてはその意見を重視しなかったために、それが十分に活かされなかったようです。

 

 

 そして、犯罪をやめられないチカチーロ自身の心理。まるで麻薬常習者のようにやってはいけないことがわかっているのに、どうしてもやめられない。男性としてのコンプレックスがこれほどまでの犯罪にはしらせるのか、もともとの脳の障害のために男性としての機能に障害をきたしているだけなのか・・・。そこまでは本書では分かりませんが、殺人を犯す心理は、不謹慎な言い方ですが、非常に興味深いものでした。

 

 

 また、チカチーロが1930年代のウクライナの大飢饉の生き残りで、子供のころに人が人を食べるという現実を見近に見てしまったという事実が、この犯罪にどれほどの影響を与えているのか。それは、チャイルド44でも、うまく結論に結び付けられたとはいえなかったと思いますが、本書でもそこまでは突っ込んではいません。それは、もう誰にも分からない事だからでしょうね。

 

 

 人の心は、深い闇だなぁ・・・・。

 


チャイルド44 トム・ロブ・スミス

2009-01-17 | 小説
チャイルド44 上巻 (新潮文庫)
トム・ロブ スミス
新潮社

このアイテムの詳細を見る
チャイルド44 下巻 (新潮文庫)
トム・ロブ スミス
新潮社

このアイテムの詳細を見る

 

 エンターテイメント要素てんこ盛りでした。あまり海外のミステリーは読まないので、ましてやスパイ小説は、たしかケン・フォレットの作品を1冊読んだことがあるだけのような気がします。

 

 

 物語の冒頭は、1933年のウクライナの冬。悲惨な大飢饉に見舞われた村の様子が描かれます。

 

 そして、20年後、スターリン時代のソ連。かつての戦争で、英雄となり、その能力を買われて戦後国家保安省の捜査員となったレオ。同僚の策略で、地方の警察へ左遷されるが、そこで、ある殺人事件のファイルを渡される。そこに、口に泥を詰められ、内臓をえぐりだされた少女の遺体の写真を見たレオは衝撃をうける。それは無残な姿だったからではなく、かつで自分が取るに足らない事件として黙殺したモスクワでなくなった少年のの両親が訴えた遺体の様子と似ていたからだ。そこから、命をかけた犯人探しがはじまる。

 

 

 この作品は、1980年代にソ連で実際に起こった連続殺人事件を参考に、時代をスターリン時代に置き換えて作られたものです。この時代、人々は恐怖と不信でしかつながっていられなかった。”真実”を明らかにすることは、支配者にとって都合が悪く、警察は無能である必要があったようです。殺人などという犯罪は、資本主義の膿。理想社会を実現したソ連では存在するはずがないということらしい。そういう矛盾した社会での、人間関係の酷さが、私のように平和な社会にのほほんと生きてきた読者に衝撃を与えずにはおかない、そういうところがこの作品の魅力だと思います。

 

 

 ただ、前半はそういう魅力とスリリングな展開が満載でとても楽しめるのですが、後半は、事件を解決するために、少しハリウッド的ご都合主義が鼻についてしまいました。著者のトム・ロブ・スミスは、本作品が処女作ということだそうですから、そのあたりまだ荒削りなんでしょうね。1979年生まれですからちょうど30歳。まだまだこれからの成長がとても楽しみですね。(なんて、こういうジャンルは殆ど読まないくせに

 


吉原手引草  松井今朝子

2009-01-17 | 小説
吉原手引草
松井 今朝子
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

 

 うっかりしてましたが、直木賞受賞作だったんですね。どんな話なのかも知らないまま読み始めました。帯に

 

 

 嘘と真が渦巻く吉原で、全盛を誇る花魁葛城。栄華を極めた夜、葛城は忽然と姿を消した。いったい何が起こったのか。

 

 

 とあるのだけを読んで、ミステリーなのかなと思いましたが、どうもその枠組みからははみ出してしまうような作品でした。

 

 

 花魁葛城失踪事件に興味を持った若い男が、彼女に関係のあった人たちに事情を聞いて回るという構成ですが、この”若い男”は完全に聞き役で彼の話した言葉として書かれている行は一行もなく、彼が話を聞いている相手の言葉を通じで、彼が何を聞いたかが分かるという、一人芝居の逆バージョンのような構成が面白かったです。そして、なにより、周囲の人たちがそれぞれの葛城について見たり聞いたりしたこを話すのですが、それぞれぜんぜん違ったことをいうのに、だんだんと葛城の姿が明確になっていくというのが巧い。

 

 

 そしてまた、吉原に生きる様々な裏方たちのそれぞれの役割が同時に語られて、吉原のガイドブックのようで、だから”手引草”というタイトルなんだなと納得しました。

 

 

 しかし、本を読んでいる私には、いろんな人の話を聞く”若い男”の耳を通じて葛城の全体像が理解していけるのだけれど、語り手である様々な人たちは、結局”彼らの角度からみた葛城の姿”が葛城の真実と信じて生きていくんですよね。もちろん、各々の人生にそれほど重要なことではなく、そのうちそれも忘れてしまう。

 

 

 現実の世界で、私たちは殆ど”若い男”になることはなく、語り手のうちの一人という立場でしかないのです。同じ時代に同じ空間を共有し、人間的なかかわりがあったところで、真実は、”自分にとっての真実”しかない。a trueth  はあっても、the trueth は、ない。

 

 

 一人の人間の真実でさえ、これだけの同時代に生きた人の証言がなければ形がみえてこないし、実際にそれが真実という保証さえないのに、半世紀以上前の世界史の真実はどうだったかなんて、日本が悪い国だったか良い国だったかなんて総括することなんてできるはずがない。自分にとって都合の悪いことを”見ざる聞かざる言わざる”で、真実はこうだった!なんてなんでみんな必死になって言うのだろうかなどと関係ないことに思いをめぐらしてしまった私でした。