本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

生きながら火に焼かれて スアド 松本百合子訳

2006-06-24 | ノンフィクション

 ヨルダン川西岸といえば、ニュースなどでも良く聞く地名。フランス語でシスヨルダンと呼ばれるその地区のある村で生まれ育ち、19歳のときに制裁として家族の手によって焼殺されそうになったという壮絶な過去をもつ一人のスアドという女性の手記です。仮面を被ったその女性の顔(と言っても見えるのは目だけですが)が大写しになったカバーに、興味はひかれていたのですが、”キワ物”かもしれないとなかなか買う気にはなれませんでしたが、文庫化されたのを機に、買って読んで見ました。

 

  彼女が家族により殺されかけたその理由は、近くの若者に恋をし妊娠したため。それは家族にとっての最大の恥であり、そんな娘を制裁することは”名誉の殺人”と呼ばれるのだそうです。そして、世界中で年間6000人もの少女が”名誉の殺人”の犠牲になっているのだそうです。

 スアドは、全身火達磨で逃げ惑うところを、運良く通りかかりの車に助けられ、その後、町の病院に収容されていたところを、さらに助けられてヨーロッパに渡り、今は結婚し、子供も2人と暮らしています。

 村での生活は、想像を絶するものです。普段は娘を大事にしているが、そういうふしだらだけは許さないと言うのではなく、女の子にはなんの価値もないと信じて、学校にも行かせず、ただただこき使い、暴力が日常化しています。奴隷以下の扱いですね。一人で外出することも許されず、テレビや新聞をみることもありませんから、、彼女の記憶は、驚くほど曖昧なところがあます。例えば、自分の姉妹の生まれた順番がわからなかったり、ものごとがどの順番に起こったかが思い出せなかったり。そりゃそうですよね。物心がついてから、毎日家で同じようなことばかりさせられていて、去年と今年の違いなんてないのですから。

 

 ”カラーパープル”という、アメリカの黒人女性の生涯を描いた小説がありましたが、それを思い出しました。どちらも、どうしたらいいの・・・・としかいい様のない話ですが、そういう現実が今もあるという事実は忘れてはいけないのだと思います。その後どう行動するかは、読んでしまったものに対する重い宿題です。私はまだ何も行動していないし、今後どうするかも全然わかりませんが、この宿題は忘れないで、時々考えてみようと思いました

 

 


国家の品格 藤原正彦

2006-06-18 | 評論

 

 

 またまた、少し遅ればせながらのベストセラーです。少し前に藤原さんの”国家は国語”という本を読んでおり、そちらがこの”国家の品格”のベースになる著作を集めたものと聞いていましたので、あらためて読むまでもないかなぁ・・・と思っていましたが、読んで見ると、やはり起承転結とまとめてあり、主張がより明確になってわかりやすかったです。

 ここまで明確に現在の価値観を批判しながら、独自の主張をされている本が、これだけベストセラーになっても、あまり世間的には、議論が盛り上がっていないような気がしますねぇ。誰か、反論本を出してくれないかなぁ。小野寺敦さんなんかの反論効いて見たい気がするなぁ。

 ま、とにかく、藤原氏の主張は明確で、確かに、「情緒が大切」、「子供には、理屈抜きで、”卑怯”の精神をたたきこめ」など、確かにそうだなと思います。父親に私も子供の頃、”屁理屈を言うな!”と叱られ、不満だったことを思い出しました。言葉では言い尽くせないものの中に、とても大切な真実が隠れていて、それを見つけ出すセンサーが、情緒であるという藤原さんの主張は鋭いと思います。

 美しいものは、どこにでもあるが、誰にでも見えるわけではない。でも、その美しいものに気づく能力が、その人の人生を本当の意味で豊かにするものだと思います。


ウェブ進化論 梅田望夫

2006-06-15 | 評論

 少し以前に話題になってましたが、遅ればせながら読んでみました。この前に読んだのが「昭和史」で、終戦までの世界とじっくり向き合いましたが、そこから、60年。いよいよ、”戦後”という括りで語れない時代がやってきたことを実感しました。

 毎日インターネットは使っていて、どんどん便利になっていくのは感じていたのですが、本当に何が起こっているかということには、思いが至りませんでした。ネットの中には、新大陸が存在していたのです。そして、そこへの入り口は、ドラえもんのどこでもドアのように、自分達の住んでいるこちら側の世界のあちこちに存在していたのです。

 

 「これからはじまる『本当の大変化』は、着実な技術革新を伴いながら、長い時間をかけて緩やかに起こるものである。短兵急ではない本質的な変化だからこそ逆に、ゆっくりとだが確実に社会を変えていく。『気づいたときには、いろいろな事がもう大きく変わっていた』といずれ振り返ることになるだろう。」

 

 この本は、本当に読んだ方がよいです。私も、数あるサーチエンジンの中で、検索結果が一番自分の求めている者に近いと、Googleを愛用していますが、このGoogleという会社の本当の姿が、少しは見えてきます。

 Googleのミッションは、「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにしよう」なのだそうです。そんなことありえないと、まず誰でも思う。けれども、実際Googleはそれに向かって、着実に歩を進めているのです。

 しかし、「世界中の情報を組織化」するということが、実は世界を牛耳ることになるかもしれないと、我々は気がつきはじめてきたようです。今日もテレビで、政府の肝いりで、学識経験者などを集めて、和製サーチエンジンを開発しようとしているというニュースを見ました。サーチエンジンの持つ力に日本人も気がつきはじめてきたことの証拠だと思いますが、その目覚めには、きっとこの本が一役買ったであろうと思われます。とはいえ、この本を読めば、その取り組みが必ず失敗するだろうこともすぐにわかるのです。

 ビルゲイツも、頑張るでしょうが、もう彼の時代は終わったのではないしょうか。次の伝説をつくるのはGoogleか、この後また誰かが出てくるのか。わかりませんが、誰かがでてくるにしても、それはアメリカからに違いありません。日本は、どうなっていくのかなと、心配になります。ただ、将来のために、著者の以下の言葉が、非常に印象に残りました。

 確かにネット世界は混沌としていて危険もいっぱいだ。それは事実である。そしてその事実を前にして、どうすればいいのか。忌避と思考停止は何も産み出さないことを、私たちは肝に銘ずるべきなのである。

 

 

 


昭和史 半藤一利 1926-1945

2006-06-11 | その他

 ブログの更新をサボっていました。その間に本を読んでいなかったわけではないのですが、ペースは少し落ちていました。特にこの”昭和史”は、2週間くらいかかったかなぁ。

 

 この本は、私のような昭和史初心者にはぴったりの本です。というのは、この本は、編集者からの「学校でほとんど習わなかったので昭和史のシの字も知らない私たち世代のために、手ほどき的な授業をしていただけたら、たいそう日本の明日のためになると思うのですが」という依頼で始まっているからです。

 

 南京事件、2.26事件、真珠湾、ミッドウェー開戦とか、単語としてはいくつも知っているにもかかわらず、それらを結ぶ線が頭の中になく、日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争の違いも良くわからない。恥ずかしながらそんな私ですが、これは決して私だけのことではないと思います。

 

 自分が大人になってから結構時間が経ち、この間、決して意識は高くなかったものの、世の中の流れを少しは見てきました。例えば戦争や軍隊に対する、日本人の意識が変わってきていることも、自分の意識の変化とともに実感しています。つまり、「ある価値観は絶対ではない」ということをこの年になってやっと認識できるようになって、「戦争を是」とする価値観が再び台頭する可能性があるということに気がついてきたのです。

 

  半藤さんは、1926年から45年までの歴史を語る中で、いくつかのターニングポイントを指摘しています。そして、そこで政治家(軍人)の決断をが間違ってしまったことを明らかにしています。しかし、考えてみれば、例えば”日本の敗戦”という結果を”非”とした場合、ある決断を「間違った」と言えるのですが、その後の日本の発展までを考慮に入れると、何が「間違い」か、少し曖昧になってくる。歴史に学ぶというのは、本当に難しいです。

 

 初心者には最適と言いながら、実際この本を読んだからと言って、何もわからないのです。後は、一人一人がじっくりと、学んで、考えなければいけない。

 

 最後の章に半藤さん自身が、この時代の歴史から学んだ教訓が示されています。

 1.国民的熱狂を作ってはいけない。それに流されてはいけない

 2.最大の危機において、日本人は抽象的な観念論を好み、具体的な理性的な方 

   法論をまったく検討しようとしない。

 3.小集団エリート主義の弊害

 4.国際的常識への無理解

 5.何かことが起こった時、対症療法的に、すぐに成果を求める短兵急な発想

 

 全く、今の日本そのものではないでしょうか。そして、日本の社会を構成する、様々な組織で、この事実は頻繁に見られるのではないでしょうか。私達は、人間の集団というものは、本当に歴史から学び、成長するなんてことができるのだろうかと、不安になってきます。 とは言え、とにかく、知らないよりは知っていたほうが絶対によい。知っている人が100人よりは1000人の方が絶対によいとは思いますが。

 結論のない文章になってしまいました。この本1冊であの時代が理解できるわけではないのですが、流れを頭に入れるのには最適で、読み物としてもとても引きこまれる本でした。