本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

遊べない人の心理学 レノア・テア著 田口俊樹訳

2013-08-31 | エッセイ

 人生が続くかぎり、わたしたちは新しい技術、新しいゲームを選び続けなければならない。大きくて、栄養十分で、狩りをしない動物として、私たち人間はすぐに生きることに退屈する。

「遊べない人」の心理学

レノア・テア著 

田口俊樹訳

講談社

 本書は、エッセイだったことに、今このブログを投稿するため、カテゴリーをどうしようかと思い、さらっと訳者あとがきを読み直して気が付きました。

 さすがに学術書だとは思っていませんでしたが、タイトルに心理学とあるもので、著者が何かテーマを持って主張しようとしているのかと思って、掴みどころがないなぁ・・・とこちらの読解力に不安を感じならが読んでいましたが、そっか・・・エッセイだったんだ。

 遊びがいかに大切かということを、精神医学者である著者が彼女の患者などの例を挙げながら書き綴った内容です。

  「遊び」という言葉が新鮮なだけで、楽しみ、趣味、生きがいなどに置き換えてみれば、ごく当たり前のことが書かれております。男と女の遊びが違うとか、遊びがいろんな傷を癒すとか、精神的に問題を抱えているひとはうまく遊べないとかね。

 ま、エッセイだとわかっていたら、単純にいろんな人の例を楽しめたのかもしれないのだけど・・・・そうとは知らなかったので論旨が見えない見えないと焦ってしまい、あまり楽しめませんでした・・・。

 ひとつ、へぇ・・・っと思ったのは、西洋では、中世以降17世紀ころまでは、大人と子供の区別はあまりはっきりせず、「子供はそれまで何百年も特別扱いされることはなかった。そのおかげで、自分をとりまくものの中を自由に行き来し、年齢や階級にかかわりなく、あらゆる種類の大人と遊ぶことができていた」が、17世紀ころに”子供”という概念が生まれ、「より安全に、より大事に扱われるようになった反面、それまでの自由と自立を失う」のだそうです。

 そういえば、産業革命がおこり、子供を含めて劣悪な環境で働かされていたというような話も歴史の時間に聞いたような。

 また江戸時代の末期に日本に来た西洋人たちが、日本では小さい子供がより小さい子供を背負って子守をしたりする様子に大変驚いたというような話も思い出しました。

 それに、最近は 「はだしのげん」を閉架にした問題で、子供に見せるものを規制するべきかどうかというような議論が盛り上がってますが、社会の中の「子供」をどう位置付けるかで「モラル」も違ってくるんですよね。

 もしかして子供をもっと大人と同じに扱うことで、実は大人たちが自由になれるのかもしれません。

 そして私自身は、まぎれもない遊び下手。

 だからこそ、このタイトルに惹かれてしまったのでしょうね。

 「遊び」というキーワードを、ちょっと心にとめておこうと思います。


百田尚樹 3作品(影法師・永遠の零・海賊と言われた男)

2013-08-18 | 小説

 父親が購入した百田尚樹氏の3作品を借りて読みました。

 とにかく、読みやすくて、人気が出るのも納得です。

影法師 (講談社文庫)
 
講談社

中士の家に生まれて、人柄も素晴らしく文武両道に秀でた彦四郎と

貧しい下士の生まれで、父親を目の前で惨殺された勘一。

この二人の友情物語です。

まあ、ここまでかっこいい二人の男を書いて、マンガにならないためには、

舞台は江戸時代しかなかったでしょうね。。。 

ラストシーンでは泣かされますよ。

 

永遠の0 (講談社文庫)
 
講談社

年末には映画も公開される本作品に、またまた、泣かされてしまいました。

自分の祖父が、特攻で戦死した零戦パイロットだったと知った、姉弟が、

祖父の事を知る人たちを訪ねはじめます。

この作品は、その祖父の宮部の物語という完全なフィクションの部分と

零戦をめぐる戦線のドキュメンタリー的な部分が交互に折り重なっており、

小説としてはややバランスの悪い作りですが、

巧さで読ませてくれます。

自分の祖父や曾祖父が、天皇陛下万歳、お国のためにと、洗脳されて、

部下を殴ることもなく、自分を失わず、家族をいちばんに思って死んでいったと

思いたいですよね。

でも、実際に宮部みたいな人はいなかったと思います。

戦場はそんなにきれいごとではすまないのではないかと・・・。

だからと言って、この作品が心を打つ作品であることを否定するものではありませんが・・・。

 

海賊とよばれた男 上
 
講談社

 

海賊とよばれた男 下
 

講談社

本屋大賞で大きな話題になった作品。

こちらも小説ですが、出光興産の創業者出光佐三をモデルにしており、

どこまでがフィクションでどこまでが実話なのかはよくわかりませんが、

出光のホームページなどにある社歴と比べても、大筋はほぼ実話と思われます。

同じ日本人として、こういう気骨のある人がいたというのは誇りです。

大国の顔色をうかがうだけでなく、正しいと思ったことを成すということは、

サラリーマン社長には絶対できないことだし、 

株式会社になって株を公開してしまっても、できないですよね。

そういう意味で、現在の資本主義がいかに”人間尊重”の精神から離れて行っているかを

考えざるをえません。

石油という資源を巡って、日本がアメリカとの戦争に踏み切ったというのが定説ですが、

石油業界からの視点でこの時代を見たときに、また少し違った様相が見えました。

この時代、まだまだエネルギーの主役は”石炭”で、”石油”へのエネルギー革命が一気におこることが

まだまだ常識として認識されていたわけではなかったのですね。

また戦後の物語の中の1つのクライマックスが

英国のプレッシャーでどの国も腰が引けていたイランから石油の輸入を行ったエピソード。

恥ずかしながら、この辺の歴史は全く知らなかったです。

今、本当に難しい状況にある、中東地域ですが、

もともと日本への感情が比較的よかった裏にはこんなこともあったのだなと感動しました。

業界にすれば、迷惑極まりなかったでしょうが・・・・。

それにしても、エネルギー業界というのは、今も昔も・・・・だなぁと実感。

百田尚樹氏の本当に読みやすい文章で、

そんな、いろんなことがすっと入ってくるこの1冊は、確かに本屋大賞の価値ありと思いました。


アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること ネイサン・イングランダー

2013-08-14 | 小説

つまり、アメリカでホロコーストが起こった場合に、キリスト教徒の友人たちの誰が私たちを匿ってくれるだろうかって

アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること (新潮クレスト・ブックス)
ネイサン・イングランダー
新潮社

偶然、立て続けにユダヤ人の物語を読んでしまいました。

タイトル作を含む8編からなる短編集で、ほとんどが現代に生きるユダヤ人を描いています。

とは言え、あまりにもバラエティに富んだ内容で、どう受け止めてよいものやら・・・。

何も書けそうにないので、裏表紙に引用されている、大竹昭子氏の書評を引用させていただきます。

ユダヤ人の歴史が、宗教が、複雑にねじれた感情が、熾火のような情念が、1970年生まれの目で、「ユダヤ人」の内側に留まりつつ観察される。正義を行うとはどういうことか。そもそも義とは何なのか。現代小説の扱わなくなった問いが一篇ごとにごとに人間の奥深さをあらわにするさまに戦慄。

ということです。(さすがプロですね。そうよそれが言いたかったのよと書きたくなるような簡潔で完璧な総括。)

 ユダヤの歴史と宗教が現代に生きるユダヤ人にまとわりつき、そこから逃れられないもどかしさ、逃れてしまった後ろめたさなどが伝わってきます。

 正義を語ろうとしたときに、ユダヤ人という存在を無視することはできませんね。

 冒頭に引用した問いは、タイトル作の中で、アメリカで育ったユダヤ人の2組の夫婦の中で交わされる話。

 私も昨年、アンネの日記をウン十年ぶりに読み直して、アンネの運命よりも、ユダヤ人を匿ったオランダ人達がいたことが印象に残り、そのあと、時々、同じ立場なら自分にできるだろうかと考えてしまうことがありました。

 自分が捕まるのも怖いけれど、自分の家族まで巻き込むかもしれないとしたら、難しい決断です。

 そして、唯一出せた結論は、「自分がユダヤ人なら、周囲を巻き込まずに捕まろう」ということ。

 日本人的なのかもしれません。

 自分が迫害される立場だとして、誰が匿ってくれるかという視点では考えたことなかったです。

 とにかく日本人には絶対かけない小説。

 結構読みにくかったけれど、やはり読んでみてよかった。

 最後に、ストーリーとはあまり関係ありませんが、とても好きな一説を忘れないように書き留めておきます。

 彼女はどんどん縮んでいるのだ。彼のアグネスは。毎夏、老人たちは子供たちが大きく成長するようにどんどん小さくなっていく。この世の背の高さというものは限られていて、それぞれのインチは持ち主を変えていくに違いないとジョシュは思うようになっている。