本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

平気でうそをつく人たち

2006-04-29 | 評論

 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 M・スコット・ペック

  いやあ、面白かったです。と、同時に自分という存在が、邪悪ではないのかちょっと不安にもなりました。

 この本は危険な本である。

 という文章で始まります。著者はこの本の中で何度も、人の邪悪性について、もっと科学的に研究する必要があるということを説いています。と同時に、その危険性についても、十分気がついておられるようです。だっ人の邪悪性が、たとえば、検査で数値化されたら、入学試験、入社試験だけでなく、たとえば結婚などの際に相手に使われたり、また誰かを陥れるために使われたら・・・。とはいえ、この本を読んだだけで、人の邪悪性を測れるようになるわけでもなく、著者が恐れるほど、危険な本だとは思いませんが、いろいろ考えさせられる本でした。

 邪悪性の基本的要素となっているのは、罪悪や不完全性にたいする意識の欠如ではなく、そうした意識に耐えようとしないことである

邪悪性とは自分自身の病める自我の統合性を防衛し、保持するために、他人の精神的成長を破壊する力を振るうことであると、定義する事ができる。簡単に言えば、これは他人をスケープゴートにすることである。

 この文章だけ引用すると、なんだか小難しい話がいろいろ書かれているように思いますが、実はとてもわかりやすいことです。邪悪なひととは、自分が悪いかもしれないという事実と向きあうのをとことん避ける人たちであるということです。それを避けるためには、どうしても、悪いのは誰か他の人であるということにしないといけないわけです。だけど、そこにはたくさんの嘘を次々に積み上げないといけないわけで、この邪悪な人たちは、実は安らぎのない生活を送っているのですねぇ。

 実際にいますよね。私たちの周囲にもこういう人たちが。ただ、他人であれば、そして大人であれば、自分が、賢くなって、そういう危険な人たちを、避けて通ればよい訳ですが、そんな親を持った子供は、本当に悲惨です。この本を読んで、心から自分の親に感謝しました。

 こういう個人の邪悪性とともに、著者は、集団の邪悪性というものにも触れています。この部分も、自分の会社の一員としての態度、社会の一員としての態度を省みて、ふんふんと納得させられました。

 心に残る一冊でした。

 


ナラタージュ 島本理生

2006-04-17 | 小説

 ナラタージュ 島本理生 角川書店

 

 今、話題の恋愛小説。”みずみずしい感性”というのは、なんとなく感じました。が、どうも自分の琴線には触れなかったようです。たぶん、私自身のその手の感性受容体の有効期限が切れているのかもしれません。1週間前に読んだのですが、今、ブログに何を書こうかと思っても、あまり何も残っていません・・・・。残念。

 

 何事も、タイミングが大切ですよね。本を読む順番というのもあります。私の場合、この本を読む前に、”阿片王”というノンフィクションで、世界を舞台に闘った日本人のスケールの大きさに、かなり新鮮なショックを受けたところだったので、このなんというか、どーでもえーよーなことにウジウジしている男と、それに執着する19歳の女の子という世界が、あまりにチマチマしすぎて、全然世界に入り込めなかったのです。

 

 10年前の私だったらどう思うんでしょう。確かに、狭いウジウジした世界を描いていた、吉本ばななの”白河夜船”という作品に、結構感動というか、共感していたから、その頃の私ならば、ナラタージュも、ぐぐぐぐっときたかもしれません。そうだ、一度、白河夜船を読み返して見よう。今、あれを読んで自分がどう感じるか、自分でちょっと興味あります。その違いが、私のこの10年を象徴しているかもしれないしね。

 ”世界の中心で愛を叫ぶ” よりは、読んで損はない。恩田陸の”夜のピクニック”ほど、少女漫画的ではなくて、小説としての読み甲斐はある。と言うところでしょうか。星は、せいぜい3つでした。

 

 あー、この本を読んで感激できる自分になりたい。


レイクサイド 東野圭吾

2006-04-16 | 小説

  レイクサイド 東野圭吾 文春文庫

 

 たしか、映画かドラマになったんですよね。少し前に本屋で新書サイズの本で見た気がするのですが、今は、文庫版しか売ってないのかしら・・・・。その新書版のときに、映像化されるというような帯がついていたように思いますが、殆ど話題になりませんでしたね・・・・。内容的には映画にするほどでもなく、特別版2時間ドラマで調度よいくらいの、軽さかな。

 

 妻の連れ子の中学受験のための合宿所の傍の別荘で親達も一緒に寝泊りしている。そこで、夫の愛人が殺され、妻が自分が殺したのだと言う。他の親達は、なぜか警察には通報せず、積極的に事件の隠蔽に手を貸す。夫は、その姿に胡散臭さを感じ、すこしずつ事件の真相を掴んでいく。

 

 本当に軽い、読みやすいミステリーですが、最後に東野さんだなーと思われてくれる”オチ”があります。

 

 登場人物は、子供の中学受験に必死になっている親達で、子供のいない私には、その姿は共感できないところもあり、主人公の夫”並木俊介”の目線で、やや冷たく彼らのことを見ています。ところが、最後まで読むと、登場人物達が、とても人間臭くて、憎めない人たちだなぁと思わせてくれます。

 

 渾身の作というようなものではありませんが、良質の時間つぶしが出来る一冊だったな。ちなみに、私は耳鼻科の待ち時間があまりに長いので、途中抜け出して、本屋でこの本を買い、その後、待合室に戻って、診察までの間に殆ど読めてしまいました。

 

 


阿片王 満州の夜と霧 佐野眞一

2006-04-09 | ノンフィクション

 阿片王 満州の夜と霧 佐野眞一

 昭和初期に、上海から満州を舞台に阿片取引を仕切り、巨額の金を生み出した里見甫という男の生涯を辿った、”渾身”の作品です。

 図書館の”新しく入った本”の棚で、この本を見つけたとき、まず著者が佐野眞一だというので興味が沸いて、手にとってみたのですが、結構分厚いし、全く聞いたこともない人の話だったので、読み切る自信がもてず棚に戻したのです。でも、やはり気になって、まあ図書館だし、途中でやめても損はしないし、と思いなおして借りて読みました。

 里見氏は、スケールが大きくて、その人生の一部にでも触れた感想をコンパクトにまとめるのは私の力ではとても無理。で、最も安易にいいますが、本は、面白かったです。

 著者は、戦後急速な発展を成し遂げた日本を見つめるうち、”満州”を解読せずにそれは語れないと考えるようになっていったといいます。そのなかで、”里見甫”と出会います。ラストエンペラーに登場した甘粕正彦と並ぶほどの闇の力を持ちながら、歴史の表舞台に現れることもなかった男。彼に比べれば、よほど小物だった笹川良一や児玉誉士男などが、戦後社会で暗躍し巨大な金を手にしていったのに対し、戦後は殆ど何もせず、ひっそりと死んでいった里見の姿を、まさに粘り強く関係者をあたって、あきらかにしていこうとします。

 しかしながら、満州の闇は、戦後60年が経過し関係者が殆ど亡くなった今となっては、とても簡単に解明できるものではなく、結局の所、里見のことも彼を取り巻いた女性達のことも、輪郭をぼんやり浮かび上がらせることができたのがせいぜいでした。それは、ひとつには、佐野眞一氏がノンフィクション作家として、決してわからない部分を安易な想像で埋めないという、真摯な姿勢の結果であり、仕方がないことなのではあるのですが、結論がすっきりしないということを割り引いても、事実の重みは、この本を十分に読む価値のある本にしています。

 しかし、この”闇”というのは、人を魅了するのですね。”コンプライアンス”とか、”PC(Politically Correct)”などは、なんて無味乾燥なものでしょう。この闇のひとつの象徴が阿片なのですね。それは阿片というドラッグが人を廃人にしてしまうように、この闇そのものに少しでも関わることで、弱い人間は現実を見失い、堕落してしまう。人間ドラマとしてとてもとても興味深いものがありました。

 


クライマーズ・ハイ 横山秀夫

2006-04-02 | 小説

 クライマーズ・ハイ 横山秀夫

 昭和60年の日航機墜落事故を取材した新聞記者のことを書いた小説と聞いていて、勝手にイメージを作っていたのですが、ちょっと違っていて、よい意味で期待はずれでした。事故と向き合うことで自分と向き合った男の話です。

未曾有の航空機事故だった。操縦不能に陥って群馬県に迷い込んできたJAL123便。悠木もまた、あの日を境に迷走した。悪ければ悪いなりの人生を甘受し、予測される日々を淡々と生きて行けばいいと考えていた。そんな乾いた日常をあの事故が一変させた。大いなるものとの対峙した七日間。そのヒリヒリと焼けつくような分刻みの時間の中で、己の何たるかを知り、それゆえに人生の航路を逸れた。

 この悠木という男は、日航機が墜落した御巣鷹山のある群馬県のローカル新聞社の記者で、この事故に際して全権デスクを任じられます。デスクとして事故と向き合った7日間の物語ではあるのですが、それだけではなく、事故の翌日に一緒に山に登るはずだった同僚の安西が、突然倒れて意識不明となる。安西と山、悠木と山と息子そして安西の息子との関係。また自分が先輩記者として追い詰めたために、命を縮めた望月という男のこと。こんないろんなことが複雑に絡み合って、前半は、話がやや見えにくく退屈したのですが、後半どんどん面白くなりました。

 新聞記者の世界の独特の価値観がとても印象的でしたね。過去に自分が扱った大きな事件を超えるような大事故にが起こり、記録が塗り替えられる時が来た時の男たちの反応。そして、またその大事故の現場で、必死になってもがく若い記者。こういう人間関係がとてもリアルで、心を打たれました。

 この7日間で、もしも安西が倒れて意識不明にならなければ、悠木も全権デスクとして、自分を見失う、”クライマーズ・ハイ”に陥ってしまっていたのでしょう。クライマーズ・ハイとは、山を登って行くうちに興奮が乗じて恐怖心がマヒしてしまうことをいうのだそうです。悠木のなかには、いつも安西の事が頭を離れなかったし、時々時間を作って病院に見舞います。そういう時間をもったことで、いつもこの大事故に対する恐怖を失えなかった。だから、スクープも逃してしまった。そんな駄目なヒーローだったけれども、いつも周りを見て、そして自分と向き合うことができたのではないでしょうか。

 横山秀夫の本は3冊目かな。「半落ち」でも父と息子の関係が重要なポイントだったと思いますが、このクライマーズハイでもそうですね。刑事や記者というプロフェッショナルな世界に、プライベートな物語を織り込むのが巧い作家ですね。