自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

時間のスパン

2014年05月17日 | Weblog

 僕らは百年の時間を視野に据えて、モノゴトを考えているだろうか。樹木の育成を百年のスパンで考えている林業家も居るだろう。林業家以外の人で、百年という時間のスパンでモノゴトを考えている人が居るだろうか。
 
 経済性、効率、競争。現代をひたすらニーズという名で追求する市場原理。
 長い時間のスパンでモノゴトを考えなければ、未来は危ういのではないか。
 
 僕がかつて関係していた教育・研究の分野では、百年以上続いた大学制度が、数年の議論の後、「改革」され、市場原理が持ち込まれた。聞くところによると、あちこちの大学で基礎研究が危うい状況に追い込まれている。この国の未来に危惧を抱く。基礎の無い応用は無い訳で、基礎にこそ資金を費やすべきだと強く思う。

 西岡常一というよく知られた宮大工の棟梁の本に次のような一文がある。五重塔解体修理中に地震が起こる。心中穏やかではない。
 「見ていると、初層が右に揺れれば二層は左と、波のようになる。全体としてそれで揺れを吸収してしまう。今の高層ビルでいう柔構造を、千三百年前にやってのけていたのだ。」
 五重塔は、百年どころか、千年以上の時間のスパンで構想されていた。棟梁は千年先を見通して解体修理したという。
 
 モノづくりも人づくりも、穏やかに流れる長い時間のスパンで構想しなければならないのではないか。 「急がば回れ」精神を取り戻す必要がある。

 事ほど左様に、エネルギー政策も百年以上の時間のスパンで熟慮すべきだ。そうすると自ずと未来が見えてくる。原発はたかだか40年で核爆発する(場合がある)。石油などの地下資源は百年以内に枯渇する。海底に天然ガスが眠っていて、それを電力開発に使えばどうかという意見があるが、海底はプレート移動するから、頼りにならない。すると、残るのは・・・。