自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

寓話もしくは想像力

2014年05月19日 | Weblog

 よく知られた寓話の一つ、「オオカミとツル」を略述すると、
「ご馳走を食べたい両者は互いに食事に招待した。招待されたツルはオオカミの出した平らな皿にうすく盛られたスープを長い嘴でつつくだけ。オオカミは舌で何杯もたいらげた。一方、招待されたオオカミはツルの用意した長い壷に入つたシチューに舌も届かず、よだれも涙に変わつてしまつた。」
 略述すると元の寓話表現のインパクトがおそろしく減るのであるが、この寓話の意味するところは、オオカミとツルは互いに相手の食べ方を忖度した心情的エゴイストだということだろう。
 ところで、寓話表現の面白さは、人や動物、ときには樹木さえもが共に会話をするという非日常を描きながらも、そこに、不自然さが感じられない、という点にある。不思議なのは、そのようなことを可能にする想像力、構想力という能力を僕たちの祖先が太古の昔から持っているという事実である。この能力をいかに使うかによつて、僕たちの未来の明暗がある程度決まると思われる。大国は貧しい小国のことを、政府は国民のことを、甲は乙のことを意を尽くして想像してみることだ。これをしなければ心情的エゴイズムが蔓延するだけだ。