自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

生命というもの

2014年05月04日 | Weblog

 僕の好きな文の一つに次の文がある。
 「とりわけ戦後むやみやたらと経済成長に血眼になることによって、私たちがともすれば見失っている日本人が元来持っていた生命というものに対するある見方・・・日本人はなにかある極限的な状態に追い詰められて、自らの存在、あるいは生命というものを顧みようとします場合に、人間の生命というものを、一切衆生と切り離したものとしては意識しないで、他の動植物、ねずみとかトンボとか、あるいは植物とか、そういう存在の中に貫かれている生命のリズムというものを凝視することによって逆に人間の命というものを迂回して考えるという、そういう性質を日本人は持っていたはずなんです。」

 中国文学者で作家の高橋和巳の、志賀直哉『城の崎にて』についての文の一節である。この人の講義に僕は出たことがある。どこかおどおどした立居振舞の人で、優しい眼をした30代後半の書生のような先生であった。話し言葉は下手だが、小説の文は類稀な上手を極めた。残念にも早世された。

 ところで、上の文の醸すところに僕が批評するところは全く無い。
 この文を参考にして次のような事を考えた。弱肉強食の生物界にあって、強者は弱者を慮るのが良いのではないか。実際、天然自然においてはそうなっている(空腹を満たす場合を除いて)。とりわけ人間の間でも強い人間は弱い人間を慮り愛する方が良いのではないか。強い国は弱い国を慮り手を差しのべる方が良いのではないか。そうすれば、互いに戦争を仕掛けることはないであろう。そうすれば、人間を、あるいはむやみやたらと動植物を殺すこともないであろう。他者の、あるいは動植物の「存在の中に貫かれている生命のリズムというものを凝視することによって逆に」自分の「命というものを迂回して考えるという、そういう性質」を涵養する方が良いのではないか。そうすれば、他のものの生命というものを亡きものにするということは随分と減るだろう。