自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

生物時計

2014年04月15日 | Weblog

 昨日、畑違いの友人から面白いことを聴いた。アサガオは暗室に入れておいても約24時間毎に花を開くというのだ。やはり、どこかに生物時計を隠し持っているのだろうというのだ。高等動物の場合には、脳の中枢にある松果腺が生物時計の歯車の一つではないかと言われている。
 思うに、この生物時計を現代人は余りにも蔑ろにしているのではないか。腕時計に頼りすぎて、自然のリズムを体全体で感じ取る術を麻痺させているのではないか。僕も遅寝遅起きで、完全に生物時計に違反している。
 都市生活者の多くは生体のリズムを乱している。人生はマラソンなのに、息せききって百メートル競走を続けているような人も居るのだろう。このような状態が事故の元であり、あるいは自分の生活に疲労を感じる元である。
 生物時計のリズムにそむいて生活することは、それだけ電気使用量などが増える訳で、回りまわって自然の生態系にも悪影響を及ぼす。
 生物時計に従うことは、都市生活者にとって今はもう不可能なのかも知れないが、なぜ不可能なのか、その原因を探ってみるのも必要な時代に来ているのではないかと思われる。

NPDI 広島宣言を採択

2014年04月13日 | Weblog

(朝刊より)
 日本、オーストラリアなど核兵器を持たない12カ国による「軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)」の第8回外相会合が12日、広島市で開かれた。核兵器の廃絶に向け、すべての核保有国に対して多国間交渉の必要性を提唱する「広島宣言」を採択。宣言は、核戦力を増強している疑いがある中国などを念頭に、「深い懸念」を表明し核兵器の削減を求めた。さらに、初めて核兵器の非人道性に焦点を当てた記述を盛り込んだ。
 議長を務めた岸田文雄外相は記者会見で、「グループの主導国として、核軍縮・不拡散の取り組みを精力的に推進したい」と述べ、核保有国などへの働き掛けを強める意向を示した。
 中国は軍事力の不透明な増強が指摘されており、国連安全保障理事会常任理事国の中で唯一、核戦力の拡大が疑われている。宣言は中国の名指しは避けながらも、「核兵器のない世界という目的を達成するとの国際社会の明確な意図に反する」と批判。「核軍縮努力にいまだ関与していない国に、完全廃絶という目標に向けて核兵器を削減するよう求める」と明記した。
 米国とロシアが進める新戦略兵器削減条約(新START)の取り組みを「歓迎」すると評価しつつ、「核兵器のさらなる削減」に向けた議論の継続を求めた。
 北朝鮮の核・弾道ミサイル開発については「強く非難する」とし、すべての核活動の即時停止を要求。国際社会に対しては、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)の早期交渉開始や、核実験全面禁止条約(CTBT)の早期発効を求めた。
 核保有国の首脳らの広島・長崎への訪問も呼び掛けた。
 ウクライナ情勢に関しては「深刻な懸念」を表明し、核兵器を放棄する代わりに米英露がウクライナの領土保全を約束する「ブダペスト覚書」(1994年)の「尊重」を求めた。
 NPDIは日豪が主導する「核兵器のない世界」を国際社会に促す枠組み。全体会合後の昼食会には、核保有国として初めてガテマラー米国務次官がオブザーバーとして参加。オバマ大統領が目指す「核兵器なき世界」の実現に向け、NPDIとの連携を表明。ウクライナ情勢については「米露関係が悪化しているが、米露間の条約は着実に実施されている」と理解を求めた。

 ★しかし核兵器使用を禁止する法的枠組みには触れなかった。日本をはじめとする米国の「核の傘」に頼る同盟国と、非同盟国との間の溝の深さがある。また、非同盟国が求める核兵器削減のための具体的な方法や手続きにも触れない曖昧な内容となった。

核の「非人道性」強調へ=広島で非保有国外相会合

2014年04月12日 | Weblog

(「時事ドットコム」より)
 
 日本やオーストラリアなど核兵器を持たない12カ国でつくる「軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)」の第8回外相会合が12日午前、広島市内のホテルで開かれる。議長を務める岸田文雄外相は、核兵器の非人道性に対する認識を世代と国境を越えて広げる重要性を訴える考え。午後に参加国の外相らが共同記者会見を行い、こうした考えを盛り込んだ「広島宣言」を発表する。
 広島宣言はこの他、米ロ両国に核軍縮に向けた新たな取り組みを促すとともに、中国など他の核保有国も加わる多国間交渉の開始を提起。核兵器保有量などに関する透明性向上の必要性を訴える見通しだ。
 NPDI外相会合の日本開催は初めて。参加国の外相らは会合に先立ち、原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆の人体に対する影響や市内の破壊状況を示す資料などを展示した平和記念資料館を視察。被爆の実態に触れた上で議論に臨む。(2014/04/12-04:26)

 (いつものことながら、ご期待申し上げて居ります。)

ことば

2014年04月11日 | Weblog

  ことば

ことばが生まれるとき
こころの中に道が通ります
行き先はあなたが決めます
小山を越えるか 小川を渡るか
その時に 見つけることば
あなたのこころで結晶したことばは
あなたの勇気になります

ことばはある日 突然やってきます
驚かないように 推敲する勇気
勇気をもたなければならないのは
あなた つまり ぼくなのです
あなたは ぼくが発見した人です
ことばを記すことで
あなたとぼくは 同体になります

サクラエビ

2014年04月10日 | Weblog

 静岡県の富士川河川敷には、毎年春になると、富士山を背景にピンクの絨毯が広がる。駿河湾で漁獲されたサクラエビを天日干しにしているのだ。写真で見るだけなのだが、見事だという他はない。
 体長4、5センチの海老で、干したものがせんべいやかき揚げなど様々な加工品に利用されるほか、生食もされる。カルシウムやリンを他の海老より比較にならないほど多く含む栄養価の高い海老である。
 このサクラエビが、昭和初期に激減して、環境問題に発展したことがある。生態が分かっておらず、対策の手立てがなかった。困った漁民たちは生物学者中沢毅一に支援を求めた。中沢は私財をなげうって「駿河湾水産生物研究所」を創立し、研究を開始した。
 中沢は、富士川河口の沖にサクラエビの産卵場があると考え、生まれた子エビの成長には、河川から流れてきた有機物が直接かかわり、狭い海域で大量のエビが成長できるのは、殻を形成するカルシウムを笛吹川の石灰岩盤が供給していると考えた。
 中沢の研究成果は地元ぐるみの実践運動につながった。まず、貴重種サクラエビを天然記念物に指定するための意見書を作成し、同時に富士川の環境保全運動にも尽力した。また。当時設立された製紙工場が大井川に廃水を垂れ流していたが、中沢は漁民と共に排水停止の交渉にもあたった。中沢らの運動は、環境保全運動の先駆けとしても記憶されるに至った。
 好物がエビせんべいである僕の生活にも、昔の環境保全運動が関わっているのだ。生態系サイクルを身近に感じる逸話を読んだのであるが、さてはて、僕にどんな環境保全ができるのであろうか。

(復習) 憲法九条の源

2014年04月09日 | Weblog

(とりわけ現政権になって以来、憲法九条のなし崩し的解釈改憲がなされようとされている。以下は過去記事の再掲)
 

 1946年に発布された日本国憲法、特にその第九条が戦勝国の米国に強要されたとの思いこみで、自主憲法を作り直そうとの動きが後を絶たない。
 本当に米国に強要されただけで第九条は成立したのであろうか。いろいろ乱読していて気がついたことがある。
 第九条の源と言える条約にぶつかった。
 満州事変に先立つ1928年の、米仏を中心とした「不戦条約」。これに日本も締結・調印している。締結・調印しておいて満州事変を起こしたのは、政府の意向を顧みない関東軍の無理強いであった。それはともかく (とは本当は言っておれないのだが)、「不戦条約」は二つの眼目をもっている。一つは、国家の対外政策の手段としての戦争放棄、もう一つは、各調印国は紛争処理の方法として平和的方法をとる、というものである。即ち、
 戦争抛棄ニ関スル条約
   第一条 締約国ハ国際紛争解決ノ為、戦争ニ訴フルコトヲ非トシ、且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ厳粛ニ宣言ス。
   第二条 締約国ハ相互間ニ起ルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ、其ノ性質又ハ起因の如何ヲ問ハズ、平和的手段ニ依ルノ外之ガ処理又ハ解決ヲ求メザルヲ約ス。・・・

 見比べてみるために現憲法の第九条第一項を引く。
   日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 現憲法第九条第一項がその発布の18年前に日本が締結・調印した「不戦条約」に酷似していることは明白である。第九条は戦勝国・米国の単に一方的な押し付けではなかったことが、これによって分る。

 (第九条を遵守することは元よりのことであるが、大地震・大津波に加えて原発の大事故に襲われた一昨年から今年にかけては憲法第二十五条を反芻することも大切なことである。
   第二十五条
   1 すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
   2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 この第二十五条は国民の生存権を謳ったもの。福島第1原発の大事故で放散されている放射能によって生存を脅かされている人々が居られる。また避難生活で社会保障などを充分に受けられない人々が居られる。こういったことを僕らは忘れてはならない。)

蓮華草

2014年04月08日 | Weblog

 近頃は蓮華畑を見る機会が少ない。かつて、蓮華畑は春を代表する光景だった。蓮華草に蓮華草という漢字を当てるのは、花全体の形をハス(蓮)の花の形に見立てたからだそうだ。
 蓮華草は、枯れない内に土に鋤き込んで肥料にする緑肥として植えられた。マメ科の蓮華草の根には根粒菌が共生しており、根粒菌は空気中の窒素をあらゆる植物が利用できる形で固定している。そのおかげで土が肥え、植物の生育がよくなるので、水田に肥料として蓮華草が植えられるという訳である。
 蓮華草を緑肥として利用するようになったのは江戸時代中期以降らしい。明治に入ると全国に広がったが、その後、化学肥料の普及によって、この無害の肥料は次々と姿を消していった。だが、近年になって有機農業への関心が高まるにつれて、蓮華草の美しい絨毯を観光資源にしている地域もあるという。
 僕は生来が田舎者だから、蓮華畑に郷愁を覚える。僕んちの近くに面積は小さいが、蓮華畑がある。まだ少し時期が早いが、しばらくしたら、ボーと寝ころびに必ず出かける。

(復習) 核廃絶へ

2014年04月07日 | Weblog

(2010年5月30日の記事を再掲)
 
(新聞より)
 「核のない世界」への道のりは長い。だが、破滅と背中合わせの核戦略に依存する現在の世界はあまりにリスクが大きい。目標は遠くても、核に頼らない安全保障へと、さまざまな政策手段を動員しながら一歩ずつ進んでいくしかない。
 国連本部で開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議は、64項目の行動計画を含む最終文書を全会一致で採択した。核兵器国と非核国の利害対立で交渉は難航したが、決裂した前回会議(2005年)の二の舞いは何とか回避した。文書は妥協の産物ではあるが、盛り込まれた数々の政策手段を最大限に生かしていくことが緊要だ。
 最終文書の骨子
・核廃絶に向けた具体的措置を含む行動計画で合意
・核兵器禁止条約の交渉検討の動きに注目
・核保有国は、核兵器の削減や役割の見直しについて2014年の準備会議に報告
・中東に核と大量兵器のない地域をつくるための国際会議を2012年に開催
・インド、イスラエル、パキスタンにNPT加盟を要請
・北朝鮮の核は不拡散体制への重大な挑戦と確認し、6者協議での約束の履行を要求
 最終文書は、NGOなどが求めた「核兵器禁止条約」構想に初めて言及した。日豪主導の国際賢人会議も昨年末、25年までに世界の核の総数を2千発以下まで減らし、核兵器禁止条約の準備も進めるべきだと提言している。【25年まで?もっと早く実現できないのか。】
 条約締結の時期が見通せているわけではないし、条約作りへの条件整備にも時間がかかることだろう。それでも、核廃絶を目指す限り、それを確たるものにする包括的な国際法が、やがて必要になる。世界の知恵を結集して、具体的準備を急ぎたい。
 核実験した北朝鮮、インド、パキスタン。核開発疑惑の続くイラン、事実上の核保有国であるイスラエル。これらの国が核に手を出した背景には、根深い地域対立がある。地域問題での信頼醸成、和平・軍備管理交渉などを進めなければ、核危機が遠のかないのも現実だ。核に頼らない安全保障は、核保有国間の軍縮だけでなく、地域対立の行方にも大きく左右される。【その通り。根深い地域対立を回避するために何をすべきなのか?】
【核廃絶へ歩むためにこそグローバルな市民運動が重要なのではないか。】

歴史教科書 (再掲)

2014年04月06日 | Weblog

 歴史を客観的に記述するという事には恐ろしい程の困難が伴うのであろう。高校生向けの日本史や世界史の教科書に関しては、日本国内でも毎年と言っていい程、問題が出される。また近隣諸国から問題提起される。
 一昨年(註:2005年)6月18日の朝刊(ボクが切り抜いたもの)に、「歴史教科書 戦争の記述は」というタイトルで、中国、韓国、台湾、フィリピン、ドイツ、ロシア、米国などの事情が載っていた。その中でシンガポールの事情に個人的に注目させられた。以下は新聞からの転記。
 ●なぜ日本は東南アジアを攻撃したのか?
日本軍は、中国駐留軍に石油や鉄などの重要な原材料を供給するために、資源が豊富な東南アジアに侵攻することに決めた。また、原材料を支障なく日本軍に送るため、この地域の重要な海路を確保したかった。
 ●粛清
英国軍が降伏して3日後、日本軍は18歳から50歳までの中国系男性すべてに、検問所に出頭するよう命じた。兵士は家から家を回り、銃剣を突きつけて中国系居住者を追い出した。女性や子ども、老人を捕らえることもあった。不運な人々の大半は、まとめて縄で縛られ、船で沖に連れ出され海に投げ込まれるか、海岸に連行され、機銃掃射で処刑された。
 ●日本軍占領時代
捕虜の多くは、泰緬鉄道建設に送り込まれた。建設地の生活環境はひどく、送り込まれた捕虜のうち、約3分の2が亡くなったと言われている。
 「ダークイヤー(暗黒時代)」という単独の教科書もあるそうで、約80ページの大半は日本による占領下の細かな記述になっているという。
 このような類の歴史教科書がアジア諸国において、いつまで作り続けられるのであろうか。終戦後62年経つ今年(註:2007年)、そして今後も日本の戦争責任は問い続けられるのであろう。

 近頃の高校生は、日本がかつて犯したとてつもない蛮行に関して、どのように理解しているのだろうか? 日本の高校の日本史の教科書には、その終わり近くで戦争についての記述があり、学年が押し詰まったところで殆ど目を通すだけだ。そうこうしている間に若者の多くは無理解のまま大人になり、企業戦士になるのかもしれない。かく言うボクも近頃の若者と大差なく生きてきたような気がする。ただ、歳をとっている分、ドキュメンタリ番組や大岡昇平の『レイテ戦記』などを通してボクなりの戦争史観をもっているつもりでいる。そう、つもりなんです。

歩く

2014年04月05日 | Weblog


 
 孫引きなんですが、ある旅人が、詩人ワーズワースのメイドに「ご主人の書斎を見せてください」と頼んだところ、彼女は「書庫ならここにありますが、書斎は戸外にあります」と応えたそうだ。詩人にとっては散策する野や森、風や光こそが書斎だったのであろう。

 『森の生活』の著者H.ソロー(1817-1862)は、「僕は一日に少なくとも四時間、普通はそれ以上だが、あらゆる俗事から完全に解放されて、森の中や、丘、野を越えてさまよわなければ健康と生気を保つことは出来ない」と書いている。ソローにとっては、森や野を彷徨することは生きることと同義語であった。
 散策を人生の糧にしていたソローは、また次のようにも書いている。「僕はこれまでの人生において、歩く術、散歩の術を心得ている人には、一人か二人しか会ったことがない」。

 こんなことを記しながら、この2年余り、僕は歩くことを忘れているようだ。足腰が弱くなっている。その分、頭もずいぶん老化しているに違いない。

愚直

2014年04月04日 | Weblog

 愚直、ありあわせの辞書によると、「ばか正直」とある。それはそうなんだけれど、言葉の意味というものは、文脈によって様変わりする。
 碁をうつ者が愚直という言葉を、例えば「あんさんの石は愚直やのう。」と言うと、それは「足が遅い」を意味する。これは、大局的な構想で石を上手に離してうつのではなく、例えば取られそうになっている石を取られまいと逃げるときに石を離さずに一歩一歩うつ、そのようなうち方を愚直という。
 「へぼ」の典型である。が、そこは「へぼ」の特権で、愚直の力が発揮するときがたまにある。「愚直やのう」と口撃されて、頭がカッカしつつも一歩一歩逃げながら、逆に、相手の石を取ってしまう。見事に愚直の力が効を奏した訳である。「へぼ」は「へぼ」なりのうち方があるのである、情けないが。
 しかし、足が遅い愚直でも、人生、それでいいではないか、と以前から思っている。

草花

2014年04月03日 | Weblog



 道端の草が一斉に萌え、花を咲かせている。律儀に去年と同じところにイヌフグリが咲き、ハコベが咲いている。
 山の花、野の花の多くは人の目にふれることが少なく咲き、そして散る。

 「それもよからう草が咲いている」
という山頭火の、定型を破った句がある。名誉利己を望まず、雑草のように野辺に散る、それもよかろう、と自分に言い聞かせているようだ。
 
 山頭火の句をもう二つ。

  雑草よこだわりなく私もいきている
  生きられるだけは生きよう草萌ゆる

 山頭火のように、生涯、漂白の旅を続けることは、今となっては物理的に不可能だが気持ちは彼の様でありたいと思う。

青い花

2014年04月02日 | Weblog

 青い鳥という表現はよく知られているが、青い花という表現もある。ロマン派の詩人で哲学者のノヴァーリスNovalis(1772-1801)、これはペンネームで本名Heinrich von Hardenbergが詩の中で用いた。
 詩の主人公は或る夜、「青い花」を夢見て、憧れを感じて以来、青い花がいつも頭から覚めやらず、生涯青い花を求め遍歴した。
 青はノヴァーリスの好きな色で、青い空、青い山、青い海はロマン派の憧れる「遥かなもの」「無限なもの」を感じさせるのだそうだ。(最近、品種改良されて青いバラが咲いたと聞いたような気がする。青いバラは愛好者にとっては永年の夢だったそうだ。)
 向こうを張るわけではないが、僕は白い花が好きだ。今の家に越して来た頃、猫の額ほどの庭に槿(ムクゲ)の花を植えた。それも、白一色の槿。今年は肥料を念入りに施したので、葉の群れる勢いが旺盛だ。毎年咲き始めるのが近所の槿と比べると遅いのだが、今年はどうだろう。気になる。
 哀しみと気高さと、他に何が要るだろう、と言ったのは誰だったろう。白い花には哀しみと気高さがよく似合う。

2014年04月01日 | Weblog

 僕は桜の花がそれ程好きではない。正確に言うと桜並木や桜山など、桜の花が大きな群れをなして咲いている光景を僕はあまり好きではない。何か圧倒される気分になってしまう。
 しかし、ぽつんと一、二本咲いている桜は好きだ。なぜかと問われても理由をきちんと明らかにすることは出来ない。
 一般に人は桜をなぜこれ程まで愛でるのであろうか?この問いにも明確に応えることが出来ないであろう。事実でもって応える他はないだろう。桜の花の移ろいは様々に表現されてきた。
 
 つぼみの頃の「待つ花」に始まって、「初花」、「盛りの花」、「花明かり」、「花おぼろ」、「花の雲」、「花の幕」、「朝桜」、夜桜」、「桜月夜」、そして「花散る」、「花吹雪」、「落花」、流れに浮かぶ花は「花いかだ」、「名残の花」があって、ゆく春を告げる「遅桜」、「葉桜」。
 
 或る花の移ろいを、これほどまでに克明な表現で染め上げた例は他にはないのではないだろうか。多くの人が桜を心おきなく愛でる理由は、このような詳細な言の葉で表現されているところから自ずと理解できる。
 桜を愛でる人の心情には融通無碍の柔軟さがあるように思われる。よくは分からないが、或る花に寄せるこれ程までの融通無碍の柔軟な心情は日本人に特有のものかも知れない。こういう心情はいつまでも残って欲しいと思う。
(写真は午後7時の枝垂桜。近所で。)