自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

(復習) 憲法九条の源

2014年04月09日 | Weblog

(とりわけ現政権になって以来、憲法九条のなし崩し的解釈改憲がなされようとされている。以下は過去記事の再掲)
 

 1946年に発布された日本国憲法、特にその第九条が戦勝国の米国に強要されたとの思いこみで、自主憲法を作り直そうとの動きが後を絶たない。
 本当に米国に強要されただけで第九条は成立したのであろうか。いろいろ乱読していて気がついたことがある。
 第九条の源と言える条約にぶつかった。
 満州事変に先立つ1928年の、米仏を中心とした「不戦条約」。これに日本も締結・調印している。締結・調印しておいて満州事変を起こしたのは、政府の意向を顧みない関東軍の無理強いであった。それはともかく (とは本当は言っておれないのだが)、「不戦条約」は二つの眼目をもっている。一つは、国家の対外政策の手段としての戦争放棄、もう一つは、各調印国は紛争処理の方法として平和的方法をとる、というものである。即ち、
 戦争抛棄ニ関スル条約
   第一条 締約国ハ国際紛争解決ノ為、戦争ニ訴フルコトヲ非トシ、且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ厳粛ニ宣言ス。
   第二条 締約国ハ相互間ニ起ルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ、其ノ性質又ハ起因の如何ヲ問ハズ、平和的手段ニ依ルノ外之ガ処理又ハ解決ヲ求メザルヲ約ス。・・・

 見比べてみるために現憲法の第九条第一項を引く。
   日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 現憲法第九条第一項がその発布の18年前に日本が締結・調印した「不戦条約」に酷似していることは明白である。第九条は戦勝国・米国の単に一方的な押し付けではなかったことが、これによって分る。

 (第九条を遵守することは元よりのことであるが、大地震・大津波に加えて原発の大事故に襲われた一昨年から今年にかけては憲法第二十五条を反芻することも大切なことである。
   第二十五条
   1 すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
   2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 この第二十五条は国民の生存権を謳ったもの。福島第1原発の大事故で放散されている放射能によって生存を脅かされている人々が居られる。また避難生活で社会保障などを充分に受けられない人々が居られる。こういったことを僕らは忘れてはならない。)