僕は八咫烏神社以外に旧・伊那佐村地域の氏神様の神社の御奉仕もさせていただいているのですが、興味深い話があったので、そのことについて書きます。
神社には「トウヤ」といって、年番(あるいはクジ引き)で1年間、神社のお世話役にあたる人たちがいます。
多くの場合、正と副のトウヤが選出され、「本トウヤ」と「副トウヤ」あるいは「雄トウヤ(オトヤ)」と「雌トウヤ(メトヤ)」とか呼ばれています。
先日、とあるお宮の役員さんから相談がありました。内容は「トウヤ」の制度をやめることについて、でした(ちなみに、このムラでは「オトウ」「メトウ」と呼んでいます)。
さて、「トウヤ」制度の撤廃については、少子高齢化のなかにあって、高齢の一人暮らし世帯が増える昨今、致し方ないことだと思います。氏神様のおまつりを継続していくためにはどうしたらいいのか、という命題を真剣に考え話し合った結果なので、ムラの決定に対して余所者の僕が意見できる立場ではありません。
しかし、よくよく聞いてみたら、トウヤの宮座は残るとのこと。じつは「相談」というのはそこではなくて、「オトウ」「メトウ」の方々が持ち回ってお世話してきた小さな祠についてでした。
「トウヤ」は自宅に氏神様の御分霊の祠を持ち帰り、1年間お世話をします。
この祠の持ち回りをやめるということなので、祠の神様は本殿に遷御いただくことになりました。
そこで先ずは祠の中身を確認を役員さんにお願いしたところ、ある日、写真が送ってくださいました。
片方には大神宮の御神札。もう片方には何やらギザギザの紙と木の棒。
ギザギザの紙の木の棒は、おそらく御幣なのでしょう。御神札や御幣を以て依代(御神体のようなもの)とすることは、よくあることです。
興味深かったのは大神宮の御神札に「御師」の文字を認めたことです。
大神宮と御師といえば、伊勢御師に違いありません。御神札には「千賀八左衛門」の文字が。早速ネットでググるとヒットしました。
【「御師」大研究中間報告 大研究中間報告 】
http://nfc.no.coocan.jp/ise-onsi-study.pdf
この御神札は古いものとはいえ江戸末期から明治初めの可能性が高いと思われます。
が、この地域にも伊勢御師が活躍していたことの証なので、歴史的に意義があると思い、大切にお取り扱いいただくことを進言させていただきました。
いやー面白い。興味深い。
昔と同じように神様を祀ることは出来ないかもしれない。でも真剣に語り合い導き出した過程で、ご先祖様たちの想いに触れ合えたような気持ちになることがあります。
そんな時、いささか興奮するし嬉しいし、少し淋しくもあり、また申し訳ない気持ちにもなります。
この心の機微を何らかのかたちで後世に伝えないと、と思いまとまらないながらも当ブログにアップさせていただきました。
ブログ掲載にご許可いただきました神社役員様、この度は誠に有難うございました。