八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
のんびり更新です。最新情報はSNSをご覧ください。

シカと見る春の訪れ。

2018年03月27日 | 雑感
先日、神社でシカとの遭遇がありました。



里山にある当社において、シカとの遭遇は日常茶飯事で何てことない日常の風景なのですが、今朝になって何となく気になり、あのシカがいたあたりに行ってみることにしました。
(なお、神社関係者以外の皆さんは神社の山の中へ勝手に入らないでください。ご神域ですし、事故があってもいけませんので。)

それほど高い場所でもないのですが、急な坂を登ると立派な獣道ができていました。
これがシカの通勤路か。シカと見た。



こちらからきて…



こっちへ行く途中で遭遇したのだな。ふむふむ。



ふと反対側の坂を見るとスミレが群生していました。
これはこれは。
朝日をあびて清楚なたたずまい。うつくしい…。



朝晩は、まだひんやりしていますが、昼間はずいぶんと温かくなってきました。

境内の桜のツボミもちらほら開きかけてきました。



春だ。春がくるんだな。

皆様、季節の変わり目ですので、くれぐれもご自愛くださいませ。









春の訪れ。

2018年03月20日 | 雑感
寒い寒い冬が、少しずつ少しずつ、和らいできたように感じる今日この頃です。

鳥たちの声も、だんだんと聞こえてくるようになりました。



当社のアジサイの固いツボミも少しずつフンワリしてきたような気がします。



梅の花も咲き始め、桜のツボミもそろそろフンワリする頃です。

なんだか頭の中までフンワリしてきそうですが、まだまだ三寒四温は続くと思われます。
心していきたいものです。

ここ、伊那佐の里のそれぞれの氏神さんたちも御田植祭が行われる時期となってきました。
春はもうすぐそこ。

良い季節をベストの状態で迎えたいものですね。

元気出していきましょう!



【↓八咫烏神社の最新情報はコチラをチェック!↓】
 八咫烏神社 フェイスブックページ
 八咫烏神社 ツイッター
 八咫烏神社 インスタグラム











お盆、あるいは鎮魂の思いを胸に静かに手を合わせる。

2017年08月10日 | 雑感
明日の「山の日」から、いわゆる「お盆休み」が始まる方が多いと思います。

ところでお盆は仏教だけの行事なのでしょうか?
「盆」とは仏教固有の行事のように考えられがちですが、決してそうではありません。
これは、正月行事などと同じように、古くから伝わる日本固有の先祖祭りの行事なのです。
その日本の行事と、仏教でいう先祖供養の行事が一緒になり、盆として習俗化したといわれています。

さて、この時期は、我が国にとって忘れられない、忘れてはならない出来事があった時でもあります。
終戦の日です。

先の大戦にについては、さまざまな立場から、さまざまな意見があることと思います。
しかしながら、願わくは、当時の情勢をよく学んだうえで、氾濫する情報に安易に迎合することなく、ご自身で考え、思いを巡らせていただきたいと思います。
仮にわからなかったとしても現在の平和な世の中が、過去の多大なる犠牲の上に成り立っていることには気づくことと思います。

鎮魂の思いを胸に静かに手を合わせる。
その心を忘ぬよう、次代につなげていきたいものです。

部数に限りはありますが、この盆休みの期間中、終戦とその鎮魂に関するパンフレットを拝殿に置かせていただきます。

よろしければ持ち帰りくださいませ。











めぐるあれこれ。あるいは季節は春から初夏へ。

2017年05月01日 | 雑感
花は桜からシャクナゲに移り変わり、
その花の色も濃いピンクが、だんだん白っぽくなってきました。
アジサイの花のつぼみは、まだ硬いままですが、
葉っぱはめきめきと大きく力強く育っています。
御田祭を終えた伊那佐山麓の里は日増しに暖かくなり、
田んぼも次々に代掻きされつつあります。
田んぼの土がおこされたためでしょうか、
夕方になるとカエルの声がちらほら聞こえ始めてきています。
境内の榊は枝先に若い芽が吹き出てきました。



野に山に里に、
そして神社も生命力あふれる息吹を感じる季節となりました。
当社は御神木や御神宝など、わかりやすい御物があるわけではなく、
ただただ自然があるばかりです。
でもそんな自然があふれるばかりのこの神社が、僕は好きです。
野に山に里に、
僕たちのごく身近に神様はいると感じられるからです。
さて、春の連休が始まりました。
当社のお参りの際は、ちょっとそんなことを思い出して、
のんびりしていただけたら幸いです。








旧伊那佐小学校で思ったこと。

2015年03月17日 | 雑感
「伊那佐地区」とは、
伊那佐山麓の各集落、11ヵ大字
(池上・高塚・比布・福西・石田・栗谷・山路・沢・大貝・母里・三宮寺)
の地域をさします。
この地域でも、いよいよ「まちづくり協議会」なるものが発足し、
誠に僭越ながら、僕もこの協議会に参加させていただくことになりました。
もともとこの地域で生まれ育ったわけではない僕にとって、
この地域のことをもっとよく勉強できる良い機会となると思い、
参加させていただいた次第です。



…というわけで、
行ってきました旧伊那佐小学校。
嫁さんの母校です(笑)。
廃校となった後は福祉施設が入って活動なさっています。



ここで「まち協」第1回目?の活動です。
今回は校舎東側斜面の整備でした。
こんもりと高い丘の上にあり、
芳野川の流れや伊那佐山、沢城址などが一望できるいい場所です。

この小学校の校舎は地元出身の山田輝郎氏が寄進したものです。



山田家はロート製薬の創業家であり、
輝郎氏のお父上は当社の「昭和大造営」の際にも
尽力くださった山田安民氏でもあります。

さて、今回、集まったのは、「まち協」の役員さんたちを始め
ボランティアで集まった十数名。
皆さん、この土地のあれこれしゃべりながら作業はちゃくちゃくと進みました。



こういう場に参加して何が面白いかというと
この土地のいろいろなお話が聞けるということにつきます。
たとえば、
「旧校舎裏のイチョウはギンナンの実がびっくりするくらい採れる」
…とか(笑)。

楽しい作業も昼前にはお開きとなりました。

さて、実をいいますと
僕が旧伊那佐小学校をちゃんと見たのは、この日が初めてでした。
…という訳で、帰りしなにあちこち見てきました。

校舎は小規模ながらも校庭は充分な広さ。
プールもまだ残ったままで、
どこからか元気な子供たちの声が聞こえてきそうです。
校門の「紀元二千六百一年」の彫刻に、その時代を偲ばせられます。
校舎と校庭を挟んで正面の丘には奉安殿が忠魂碑と佇んでいました。



奉安殿と忠魂碑。
国の一大事の際に人々の心の拠り所となった場所です。
もちろん、それらについては様々な意見があることは承知しています。

ただ、僕個人としては、
たくさんの人の真心がこめられて時を経たコトやモノは、
しばしば「神」のごとく尊いものであると考えています。

そんな、たくさんの真心を思い、
僕も心をこめてお参りさせていただきました。



地域の知らないコトやモノは
まだまだたくさんあるようです。

そんないろんなものとの出会い。

楽しみです。