原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

和して同ぜず

2014年09月02日 10時13分57秒 | 社会・文化

 

論語の文言である。「君子は和すれども同ぜず、小人は同ずれども和せず」。人間関係には心を砕くべきだが、無責任な賛成はしない。自分の主張は守るべき。つまらぬ人間は、やたらと人の意見に賛成するが真に共感することなく表面的に合わせているだけだ。孔子は多少道徳観が強いが基本的に正しい。中国(シナと呼ぶべきか)の賢人(先人)の深さを感じさせる。今の中国からは想像もできない。この国がなぜこんなにも変わってしまったのか。やはり共産革命がそうさせたと言わざるを得ない。なかでも毛沢東が1960年代から押し進めた「文化大革命」が大きく変化させた、と言える。

 

古典的な伝統を含め、古いものはすべて悪であるという前提から、昔の教えを含めてすべて破棄することを目指したのが文化大革命であった。その先鋒隊となったのが十代の若者を中心とした「紅衛兵」である。古いものがすべて破壊された。老子や孔子の思想なども同じであった。孔子廟と呼ばれる学校施設なども古寺とともに破壊された。大学教授や経済評論家なども反分子として処罰されたのである。一説では、揺らぎだした共産主義、言い換えれば毛沢東指導を強化させるためであり、民主的思想を持つ不満分子の一掃と、大躍進政策(毛沢東の失敗政治)を隠すことが目的であったと言われている。

 

ところが、ここ十年程の間に中国では孔子廟が少しずつ復活して再生されている。その理由がいかにも中国らしい。あまりにも道徳観にかける行動が目に付き、北京オリンピックを控え、このままでは中国人の常識が国際的に非難されそうだと、ようやく気付いたからだ。そこで道徳的な孔子の教えをそろりと広めだしたのである。もちろん、共産党に反する教えは削除されている。また世界に広がる華僑たちからも非難の声があった。彼らは中国共産党時代のずっと前から世界に飛び出した人たち。昔の教訓が彼らの精神的バックボーンとなっている。孔子廟の復活(他にもいろいろある)の声をあげ、再建の資金も提供された。こうした後押しの結果でもあった。

だが、一度緩んだタガはそう簡単に直るものではない。中国の道徳心の希薄さは今や世界中の知るところとなってしまった。天国にいる孔子はさぞ嘆いていることであろう。

 

さて、集団的自衛権を容認するかしないかで一部の人が騒ぎまくる日本の話であるが、いまこそ孔子の言葉をかみしめるべきであろうと、思う。

もともと全体主義に走りやすい日本人として、自分の主義を主張すると言うのは一番苦手のことのように見える。なにしろ「同調圧力」に弱く、空気を読むことが重要と考えるからだ。「和して同ぜず」どころか「同じて和せず」が主流なのだ。本音と建前でいえば建前が優先してしまう。

昔から日本人はこうであったのか、という疑問が浮かぶ。だが、これはまったく違うようだ。明治生まれの人の話を聞いたり、本で読むと、現代人と真逆であった。ではいつからか日本が変わったのかと言うと、やはり敗戦後の教育であった。敗戦はある意味の文化大革命であったようだ。なにしろ、事を荒立ててはいけない、近隣諸国に迷惑をかけてはいけない。外国が文句を言ってきたら、嫌でも同調しなさい。それが一番安全で平和なのだからという教育が徹底された。

教科書の文言でさえ近隣諸国の了解を得なければならない、なんて、主権国家の体をなさないものだ。それが戦後ずっといままで継続されてきたのである。外圧(中韓米のみだが)に弱い日本というイメージが出来上がってしまった。この延長線上に朝日新聞による数々の捏造が成立していたと思う。毎日、読売、日経、そしてテレビ局も同類である。

戦後のマインドコントロールがようやく解け始めたのはつい最近のこと(民主党の失政が最大の要因)。朝日の誤報容認などはその結果の一つにさえ思える。これから次に、どんな呪縛が解き放たれるのか、注目して見守りたい。

 

集団的自衛権の行使についてもそうだと思う。4年前なら絶対にこうした声は起きなかった。自衛権を持つのは国として当たり前のことで、権利を有するが行使できないなどという集団的自衛権の解釈こそ道理に反している。憲法解釈を云々するなら道理の解釈こそ云々すべきである。

反対派がよく言う文言がある。よその国のために日本人が血を流していいのか。ではその人に聞きたい。日本のために血を流すアメリカ人はいいのか?この論理矛盾に正確に答える人はいない。まして、日本は他国に守ってもらうが、日本は他国は守らない、という倫理観はどうしても受け止めることができない。こういうことに平気な人は日本人ではない。では日米安保条約を破棄するのか?という問いにも正確に答えない。最近では、自衛隊が他国の人を殺すことになってもいいのか、という意見も耳にする。では他国の人同士の殺し合いは許せると言うのか、という問いには答えようとしない。彼らの主張は矛盾がありすぎる。

誰だって戦争はしたくない。だがそれでも起きるのが戦争。それを避けるための最大の要素が集団的自衛権(個別的も含む)にあることを、反対派はもう少し理解すべきなのでは。

アメリカの戦争に巻き込まれ、地球の裏側まで自衛隊が派遣されると恐れる人たちよ、その時こそ「和して同ぜず」の日本が求められること忘れてはいけない。

 

和して同ぜずを称して、究極の個人主義という人がいるが、論語読みの論語知らずだ。道徳を背景に孔子が語っていることを知れば、これを個人主義と軽々しく論評できないはずであろう。


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