原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

摩周湖って、アイヌ語?

2009年04月14日 08時27分36秒 | 地域/北海道
摩周湖をアイヌ語で言うとキンタン・カムイ・トー(山の神の湖)。アイヌの人たちにとってはこれが正式な呼び名となる。摩周岳はカムイ・ヌプリ(神の山)。それでは摩周(マシュウ)とは日本語なのかというと、どうやらそうではないらしい。これには諸説がたくさん残されている。出口も入口もないという神秘の湖は、道東独特の深い霧でその姿を隠すことが多い。その名前の由来もまたミステリーの霧に包まれていた。

四月の初旬に摩周湖に向かった。雪の残る摩周湖周辺では、第一展望台から第三展望台を経由する道はまだ未開通。したがって第三展望台から川湯へ通じる道も開通されていない。それでも多くの人が摩周湖を訪れていた。外輪を囲うように密生する白樺の原生林は緑の葉をつける前であり、木の葉で眺望が遮られることがなく、湖の全貌がよく見える。少し風が冷たいけれど、このシーズンは好天の日も多く、湖の色が素晴らしい。特有の霧もほとんど発生しない。摩周湖を見るにはベストシーズンなのである。神の湖と呼ぶにふさわしい姿が鑑賞できる。

(湖の中央にカムイッシュと呼ばれる中島。その対岸のかなたには斜里岳がくっきり見えている)

摩周湖の周囲の全長は19.8㎞。水深は深いところで211.5m。典型的な火山によるカルデラ湖。1万年前から連続した火山活動で誕生した。最後の噴火が3千年前であるという。湖の周辺は切り立った崖が続き、湖から出る川も入る川もない(小さな沢一つが湖に流れ込んでいることが近年分かった)。通年を通して水量がほとんど変わらず、青々としたその湖の色は「摩周湖ブルー」の呼び名があるほど美しい。
4月の摩周湖はその美しさを100%に発揮している。雲ひとつない快晴の空を映しこんだ湖は、深い青色に染まっていた。紺碧とも違う、藍色とも違う、まさに摩周湖ブルーとしか表現できない。これを見るだけでも幸せを感じる。そんな色をしていた。
摩周湖の透明度はかつて世界一を誇っていた(1931年の調査では41.6m)。ところが、1926年から度々この湖に魚が放流された。それまではエゾサンショウウオしか生息していなかった湖である。栄養分が大変少ないカルデラ湖であり、魚は棲めなかったのである。ヒメマス、ニジマス、エゾウグイ、スジエビが放流されたものの、あまり大きく成長しなかったのは栄養源の問題があったと言われている。スジエビの放流が大きな影響を与える。ミジンコが激減(食べられたため)。反比例して植物プランクトンが増加。そのために水質が悪くなり透明度が落ちてしまった。現在の透明度は20メートル前後。それでも日本ではナンバー1を維持している。魚を放流した背景には、当時の食糧難があったことは否めない。しかし、所詮ここは国有地。現在でも自由に魚をとることは禁止されている。何のための放流であったのか、疑問に思うのは私だけではないだろう。現在の摩周湖には、特定外来生物に指定されたウチダザリガニまで棲みついている。汚染は水質だけではない。

(摩周の第一展望台から雄阿寒岳を眺望)

名前の由来に話を戻そう。伝聞をはじめ多くの説が残されている。マシ・ワン・トー(かもめの沼)という永田方正説。伝説に基づく、マ・シュ(小島のおばさん)からという佐藤直太郎説、などが知られている。しかし、カモメがこの周辺にいたという話は無理があり、伝説からという話もあまり真実味は感じない。道東の歴史に詳しい更科源蔵が面白い説を語っていた。安政年間にこの地を探索していた松浦武四郎がアイヌの人から聞いた言葉を聞き間違えて「マシュウ」と記し、それに漢字を当てはめたというのである。たしかに松浦武四郎が摩周という漢字を当てはめた可能性は強い。彼の後から摩周湖(岳)の文字が一般化するからである。しかし、聞き間違いからその名前がついたという説はやはり納得ができない。
弟子屈役場の観光商工課に電話して聞いてみた。そこで重要なヒントをもらった。平凡社による「北海道の地名」によれば、前近代の記録(戊午日誌)に「マシュウ・トー」の記述があるという。「アイヌ語でマとは遊ぐ云儀、シュウとは鍋の事。此沼川口なくして丸こき故に、鍋のごとき沼という」とある。やはり、摩周湖はアイヌ語が語源であるというのが正しいようだ。しかしこの説もまた実証されたものではない。しかし、一番真実に近いと感じる。
摩周という名前一つで、いろいろな話が増幅する。やはり神秘の湖である。この名前の由来も謎のままの方がいいのかもしれない。

(白樺林を通して見る摩周岳)

摩周湖を世界遺産に登録させようという運動がある。そんな運動がいかにも人間くさく、みすぼらしく見える。人間の思惑などどこ吹く風という感じで、摩周湖や摩周岳の姿は神々しく凛としていた。

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4 コメント

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Unknown (flowers)
2009-04-15 11:14:30
快晴の摩周湖。まだ雪が残っているんですね。昔、たしか展望台の対岸あたりから、湖畔に降りたことがあります。道東はもう20年訪れていませんが、いつかまた行ってみたい土地です。
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神がやっぱりいますね。 (numapy)
2009-04-15 15:39:52
しっかしまあ、もったいないことしましたね。
小学校の授業では摩周湖がバイカル湖よりも透明度が高いと教わった。それが放流事業でねえ、透明度をドンと落すなんて。でも、いろいろ事情があったんでしょうね。
それはともかく、カムイ・ヌプリもカムイッシュも神とたたえられるに充分な神秘性を確保してますね。
先住民達は、この湖を見て何を思っていたのだろう。
世俗的ですが、♪霧の摩周湖♪のメロディが口をついて浮かびます。
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flowerさんへ (原野人)
2009-04-15 16:18:25
下まで降りたことがあるのですね。摩周岳には登ったことはありますが、まだ湖まで降りたことがありません。帰りは相当きついのぼりだったと思います。20年前の若い時とはいえ、ご苦労様でした。何本か湖に降りる道はあるということは聞いてましたが、さぞ険しい道だったことでしょう。夏になると今でも下まで挑戦する人がいるようですが、たしか、最近は禁止されているのではないでしょうか。
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numapyさんへ (原野人)
2009-04-15 16:27:52
霧の摩周湖、懐かしいですね。平尾昌晃が作曲したのですよね。作詞は水島哲でした。なんでもその当時、平尾昌晃は結核で療養中で、一度も摩周湖を見ていなかったけれど、イメージだけで作曲したと、後に語っていました。音楽家の想像力もあなどれませんね。そういえば、展望台の売店では「霧の缶詰」が売られてました。決して中を開けないでください、と注意書きがありました。冗談もここまでくれば、良しということでしょうか。
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