原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

津田三蔵(その4)‐最終章‐

2009年12月18日 08時40分32秒 | 社会・文化
津田三蔵の人柄については、紹介された文献がかなりある。藩医の息子として生まれ藩学で学び、成年となって陸軍兵士となり伍長まで昇進。西南の役では勝利に貢献、勲章を授与。除隊後は警察巡査となっている。まじめで、倹約家として知られていた。事件を起こした人物と全くかみ合わない日常がそこにある。だからこそ、いろいろな風聞が生まれたのである。もっとも世論が納得した理由は精神不安定による犯罪であった。

精神が不安定であったという話も妻の話からでたもので、一度だけ些細なことで人を近付けなかったことがあったというもの。日常的に精神的に問題があったわけではなかった。巡査となって二度退職しているが、これも精神的な問題ではなかった。だからこそ、凶行の動機そのものが不明となる。
ニコライ皇太子が来日するという報道とともに、西郷隆盛がロシアで生存していて、一緒に日本にやって来るという噂が流れていた。西南の役の武勲で勲章まで受けた津田三蔵である。この噂に踊らされて凶行に及んだという話がある。しかし、こうした供述は彼からは出ていない。いろいろな話をつなぎ合わせたうえでの憶測にすぎない。
西南の役に関することで津田が話したと言えば、皇太子が訪れる前、随行員のロシア人が周辺を下見に来ていた。その時、西南の役で戦死した兵士を祀る三井寺観音堂で礼儀を失した行動をとり、この二人に憤りを感じたことを話している。このことが事件に直結していたかどうかは全く分からない。
逆に、沿道警備の一員として選ばれたことを津田三蔵は大変喜び、名誉なことだと妻に話していた。サーベルで皇太子を襲う兆候などは当日まで全く見られない。

突然なぜ、凶行に及んだのか。自分自身でも説明できない何かがあったのでないだろうか。現代でも全く目立たない大人しい人が、突然、刃物で人を刺すという事件がある。例えば秋葉原無差別殺人である。彼はなかなか世間に馴染めない自分と、認められないいらだちを心に秘めながら静かに生活していた。それがある日爆発する。無差別殺人という形で。時代が違うし、表われ方が違うので、同一性は感じないかもしれないが、底辺にあるものは同じではないかと思う。
津田三蔵の心の奥に、いつか爆発する時限爆弾のような心が積み重ねられていたのでは。秋葉原事件と共通するのは、その瞬間に自分も死ぬ、という気持ちにある。死にたいなら自分の胸を刺せばよいのだが、それができず、他人を殺すことで自分が死ぬことができるという、全くゆがんだ形での自殺である。その意味ではロシア皇太子でも誰でも良かったはず。とにかく世間を騒がすほどの要人であればと、思ったのではないだろうか。政治的背景が全く見られないことからも憶測できる。
秋葉原事件も大津事件もその場で犯人が逮捕されている。その際、全く抵抗をしていない。人を殺めることで自分の行動は完結し、あとは夢遊病者のようになっていた。明治と平成の事件に同じような精神構造を感じてならない。

(標茶町の霊園にある集冶監死亡者の碑。津田三蔵もここに合祀されている。当初は津田三蔵だけの小さな墓標があったそうである。今はない。)

津田は逮捕後の尋問で、犯行時のことや動機を聞かれると、分からない、その瞬間に頭が空白になったと、語っている。語ることができなかったはず、自分の気持ちさえ分からなくなっていたから。同時に死刑になるのだから、説明は不要と勝手に思っていたのではないか。判決が出る前から拘置所で自殺しようと津田は試みている。それは絶食であった。どうせ死ぬのだから、食事などしてもしようがないという投げやりな気持ちであった。
ところが津田も考えていなかった無期徒刑という判決が出る。死のうと思っていた津田にとっては、死刑宣告より辛い無期刑宣告であった。生きられるという喜びなど全く見せていない。釧路の集治監に収監され、傷が治ると一層その思いが募る。再び、死にたいという気持ちが持ち上がる。集治監での絶食は判決前の絶食とは異なり、死ぬための絶食であった。拘置所では、いずれ死刑で終わるという気持ちがあるだけに、看守に諭されてやめることができた。二度目の絶食は覚悟があった。一気に体力を消耗させている。
死因は感冒を悪化させた急性肺炎であるが、引き金となったのは明らかに死にたいという、強い気持ちであった。死ぬしか彼には方法がなかったのでないだろうか。

それにしても、津田という人物には違和感を覚える。身勝手な行動が目に余る。精神的に別世界に行った人間に、道徳的なことを求めることは虚しいが、巻き込まれた人間にとっては大迷惑な話。秋葉原事件の時、こういう人間を生み出した社会に問題があるなどと、わけ知りに語る評論家がいたが、明治の時代も平成の時代もこうした人間が生まれる可能性があったのである。すべて社会のせいにすると、問題の本質を見逃す。

津田に殺されかけた皇太子も大迷惑であったが、津田の家族や親族も大いなる被害者であった。親族たちは地元で生活できず、隠れるようにその後を暮らしている。津田は死ぬだけでは済まない罪を犯していたのである。秋葉原事件の犯人も同じである。

ニコライ皇太子はこの三年後に皇帝となる。1917年のロシア革命で失脚。ロマノフ王朝のラストエンペラーとなった。翌年処刑されている。津田三蔵をとらえた車夫、向畑治三郎と北賀市市太郎は莫大な報奨金と生涯年金が約束される。さらにロシア皇帝からも年金をもらう身分となった。しかし、いきなりの大金に向畑は放蕩者になり、最後は犯罪者になっていた。北賀市は郡会議員にまで一時出世する。しかし、その能力は全くなかった。日露戦争がはじまるとロシアのスパイと言われ、年金もストップ。村八分の憂き目にあう。

当たり前だが、テロは決して幸せな結果を残さない。

(巻頭の写真は集冶監時代の建物の模型。郷土資料館に展示されている)

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2 コメント

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脳・・・ (numapy)
2009-12-18 09:06:51
人の脳はフシギです。
いろんな間違いや、普段考えてない行動を起こします。ダニエルキーツは「24人のビリー・ミリガン」で多重人格者の存在を初めて世に訴えました。
また、脳は自己の生殺与奪まで行えるという説もあります。アポトーシス(細胞の自然死)というわけです。人間は複雑ですね。
ただ、やはり身に余る金は持たないほうがいいようですね。その意味じゃ極めてフツーに生きてます。
もう少しあっても嬉しいかな、とは思いますが。

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その通りですね。 (原野人)
2009-12-18 16:18:39
人間の脳は現代科学でも全く謎だらけです。つまり人間のことを人間はまだ全面的に把握していないということなのですね。
脳の働きは、たかが二三百年程度の期間ではそれほど進歩するものででもありません。ということは昔も今も謎めいた行動が起こりえるということなのかも。

身に余る金を持つ幸せは不幸と隣り合わせ。でもないよりあった方がいいことも確か、です。
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