後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

春の花々の写真、そして菜食主義のこと

2019年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日です。気持ち良く一日が過ごせるように春の花々の写真をお送りします。
一昨日、三鷹市の花と緑の広場で撮った写真です。四季折々多種多様な花が美しく咲いています。
ある善意の地主が広い土地を三鷹市に無償で貸しているそうです。
緑の広場では子供達が楽しそうに遊んでいます。
珍しい花も植えてあります。2番目、3番目の写真はリナリアという花だそうです。
春の花々の写真をお楽しみ下さい。













今日の話題は菜食主義です。
菜食主義は理想的な生き方です。私はそう思いますが実行出来ません。ですから菜食だけで生きている人を尊敬しています。
私の考えを先に書けば、アメリカの動物愛護と菜食主義と仏教の不殺生戒は深い根のところで繋がっていると思います。
そこで今日は菜食主義に関連する問題をいろいろ考えてみたいと思います。
最近、ペットとして動物を飼うことが広く普及しています。ペットは人間の精神を豊かにし日常の生活をより幸せにしているのです。
これらの人間と動物のかかわりあいは仏教の不殺生戒とどのような関連があるのでしょうか?
そこで動物愛護の歴史と仏教の不殺生戒につぃて簡単に書いてみたいと思います。

日本では天武天皇や聖武天皇など歴代の天皇が肉食禁止令を発布した歴史があり、明治維新以前の日本人はほとんど四つ足の動物は食べていなかったのです。

一方、アメリカにおける動物愛護運動の歴史を簡単に見てみましょう。
以下は、http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2016/12/02/124340 からの抜粋です。
アメリカの最初の公式な動物愛護団体は1866年に設立したニューヨークのアメリカ動物虐待防止協会( American Society for the Prevention of Cruelty to Animals)ですが、同様の団体がペンシルバニアやマサチューセッツにも同時期に存在していました。1866年と言えば丁度明治維新の前の年です。
 動物愛護団体の登場の背景には様々な要因があります。産業革命以後の近代工業の進歩もそれに含まれる要因です。
人々が自然から離れていくにつれて、動物との関係へのノスタルジアが発達していったのです。
また、中産階級が経済的に余裕が出来たことにより、ペットを飼うことが以前よりも一般的になったことも理由の一つです。これは日本の経済高度成長とともにペットが広く普及してきた事情と同じです。

アメリカで動物愛護運動が始まった頃、人間の動物に対する虐待(cruelty)が酷いと運動家たちは考えました。彼らは全ての形の虐待に対して様々な反対運動を展開していったのです。馬の酷使などのその一例です。
アメリカの動物愛護には「動物の権利運動」だけでなく「動物の福祉運動」も含まれているのが特徴です。
それは19世紀の馬の酷使からの解放から最近のシーワールドでの見世物のシャチの解放までの複雑な長い歴史があるのです。

その上イギリスのインド領有に伴って、欧米でもインドの菜食主義の考えが紹介されます。ベジタリアンに対する興味が広がったのです。
ヨーロッパにも菜食主義者は居ますが、特に最近、菜食実践者の人口増加が著しいのが、アメリカ合衆国です。
最近のアメリカではベジタリアンをビーガンと言うそうです。このビーガンという呼び方はビヨンド・ミート(Beyond Meat)に由来する略語なのです。

そのアメリカのビーガン(ベジタリアン)ですが、2009年の時点でビーガンを実践している人は、アメリカ全土でたった1%程度しかいませんでした。
それが2013年の時点では2.5%に、2017年には6%まで増加し、人数にすると2,000万人近くのビーガン人口がいると推定されています。
特に若年層での増加が顕著なのです。
ビーガン(ベジタリアン)は特に若い世代に多く、アメリカでは菜食実践者の約半数が35歳未満です。
アメリカに行くとレストランには必ずベジタリアン・メニューが完備してあります。

さて一方、中国、朝鮮や日本の食文化と佛教の不殺生戒の歴史を考えてみましょう、
以下は、http://kumamoto.lin.gr.jp/shokuniku/eiyochisiki/bukkyo/index.html らの抜粋です。
日本人の食文化史には、外国にない特徴があります。それは、おそらく仏教の肉食禁止令が何回も出されていることです。
 仏教はインドで生まれ、シルクロードを通って中国に入り、更に朝鮮半島を経由して日本に渡ってきました。
そして肉食禁止の思想が根付いたのは、極東の地日本ででした。
中国では、仏僧以外には、肉食禁止は定着しませんでした。
朝鮮半島の歴史では仏教の伝来した四世紀から五世紀にかけては肉食は自由でした。しかし 六世紀から肉食禁止が始まりました。高句麗、百済は早くから、そして最後に新羅が殺生禁止を唱えました。統一新羅の時代には殺生厳禁、魚を食べることすら禁止しました。

わが国でも、奈良時代にはかなり、動物性の食品は摂られています。しかし、平安時代の末期には、肉食禁止令が徹底します。
鎌倉仏教で一段と肉食禁止が厳しくなり、牛乳という用語が一部の文献から姿を消えます。
しかし大衆の間ではひそかに肉食は続けられていました。鳥は禁止されていなかったので、ウサギも一羽二羽と数え、みなし鳥としてひそかに食していました。しかし、国民全体の栄養状態に影響するほどの量ではなく、わが国は菜食主義の国だったと言えます。

私はアメリカの動物愛護運動と日本の殺生禁止と同じ部分と違う部分があるような気がします。
何処が共通でどういう内容が違うのかは明快に書けません。
皆様のお考えをコメントとして投稿して頂けたら嬉しく存じます。

お寺の住職だった祖父と叔父は殆ど肉を食べない菜食でした。叔父は夏に、蚊が腕に止まるのを扇子でソッと追い払い殺しませんでした。そんなことを思い出しながら今日の記事を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)