スナップ写部ログ

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大嘗宮 最終回

2020年05月24日 21時55分09秒 | 東京散策&江戸探訪

さてさて、これが廻立殿(かいりゅうでん)。

儀式の際、天皇、そして皇后が最初に入る建物です。

神社仏閣のイメージで言えば、これが奥の院・本堂みたいな位置づけなのですが。

両陛下はここで身を清め、祭服に着替えます。

服装は、

天皇:御祭服
皇后:白色帛御五衣・同御唐衣・同御裳
皇嗣及び親王:束帯(帯剣)・小忌衣
皇嗣妃,親王妃,内親王及び女王:五衣・唐衣・裳・小忌衣

参列の諸員
男子: モーニングコート,紋付羽織袴
女子: ロングドレス(ローブモンタント),デイドレス,
    白襟紋付
     
       外套着用可  となっております。

ここから陛下が出入りされたのでしょう。

平成に比べ、茅葺は板張りの屋根に変わりました。

とは言え、令和の時代、電力なしには何も出来ない。

がしかし、こんなにデカい配電盤、もうちょっと隠せない?

この場所、行ったことがある人にはわかるでしょう!

このまま振り返れば天守台です。

首を振れば桃華楽堂。

紅葉の頃ですね。

廻立殿の裏手。このように造られているのは、ここから陛下が上がられたところ?

あっ、そうそう、前の写真を再掲載、左は悠紀殿(ゆきでん)。

ここには天皇が入ります。

その、わきにちょこんとあるのが帳殿(ちょうでん)。

これは皇后の専用の建物です。

帳殿はかなり奥まっていて、意識しなければ目に留まりません。

●昨年、大嘗宮の儀

11月14日


悠紀殿供饌の儀(きょうせん)

天皇が廻立殿にお入りになる。
皇后が廻立殿にお入りになる。
天皇が本殿にお進みになる。
午後6時30分,天皇が外陣の御座にお着きになる。
皇后が本殿南庭の帳殿にお進みになる。
殿外の小忌の幄舎に皇嗣妃,親王妃,内親王及び女王が着床される。

主基殿供饌の儀
悠紀殿供饌の儀に倣う(11月15日午前0時30分天皇主基殿外陣御着)。

この手順(かなり省略ですが)で進みます。

悠紀殿は、悠紀地方の産物を供えた神事の建物。

主基殿は、主基地方の産物を供えた神事の建物。

悠紀地方は、近年では、北海道、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、新潟、山梨、長野、静岡の都道県。

主基地方は、近年では、富山、石川、福井、岐阜、愛知、三重、滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山、鳥取、島根、岡山、広島、山口、徳島、香川、愛媛、高知、福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄の府県です。

私、今まで生きてきて、自分が悠紀地方に住んでいたとは知りませんでしたよ~

悠紀(ゆき)は、「斎(ゆ)酒(き)」、つまり、神聖な酒、の意味があり、主基(すき)は、すく(次)の意味があり、第二地方みたいな意味です。

 

さて、今回の旅も北桔橋門から東御苑を退出致します。

では。

 

 

 


大嘗宮一般公開~続編

2020年05月13日 21時19分01秒 | 東京散策&江戸探訪

さてさて、大嘗宮ですが、

宮内庁前でもらったパンプレットの、ココ(赤丸)

プレハブの幄舎(あくしゃ)の屋根に映った影!

(幄舎は、式典のあと撤去されました。総理大臣などの参列者が参集したところです)

コレですね~  この樹の影。

あ、以前、撮った同じ場所、

ホラ、左半分の中央にある立木が同じですね~

反対側の天守台から撮った写真も再掲載してみます。

大嘗祭が行われたのは、ここ、江戸城大奥跡地です。

●すごい人!

主基殿(すきでん)の屋根

南神門(みなみしんもん)殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ)威儀幄(いぎあく)

などが見られます。

殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ)は、女性皇族の参列場所です。

左 小忌幄舎(おみあくしゃ) は、男性皇族の参列場所です。 

右 風俗歌国栖古風幄(ふぞくうたくずのいにしえぶりのあく)は、楽師が歌を奏した場所。  

国栖の古風  (くず の いにしえぶり)

樫の生に   (かし の ふ に)
横臼を作り  (よくす を つくり)
横臼に    (よくす に)
醸める大御酒 (かめる おおみき)
甘らに    (うまらに)
聞こし以ち飲せ(きこし もち おせ)
まろが父   (まろが ふ)

これは、応神天皇が吉野に行幸したときに由来する歌。

応神天皇は、全国の八幡宮祭神として有名?ですね。

で、ヒマなので、上の写真をレタッチ。クレーンを消してみましょう!    ↓

意外とたいへん。

左半分にある灯篭は、黒木灯籠(くろきとうろう)と呼ばれています。

文字通りの、皮付きの丸太で作った灯籠です。

                  ここまで消してリタイヤしました。。 ↓

西神門 小忌幄舎 主基殿の屋根

(主基殿用の)膳屋(かしわや)の外壁。

建物自体は、令和版ではプレハブです。でも手抜きではないですよね。

奥は、主基殿。令和版は、平成の茅葺から板張りに変わりました。 

手前は楽舎(がくしゃ)。ここで雅楽が演奏されたのです。

左手は斎庫(さいこ)。

斎庫は、新穀を収めた倉庫。

これも今回はプレハブです。安っぽくはないですよ。

プレハブ工法なんですが、本当にプレハブって言って良いものか?

西神門 衛門幄 庭燎舎(ていりょうしゃ)庭積帳殿(にわづみのちょうでん)

立派な木造建築ですね!

左は廻立殿。両陛下がお着換えになった場所です。

北神門。 雨儀御廊下(うぎおろうか)は通路です。 

奥は悠紀殿(ゆきでん)。

上の写真、雨儀御廊下の途中の北神門が、今日の、私のイチオシ・ポイントです♪

下にズームしてみますね。

 

では、今日はここまで。

次回で最終回にしましょう。


大嘗宮~令和元年

2020年05月04日 22時39分39秒 | 東京散策&江戸探訪

ザックリ言いますと、ほぼ半年前。令和元年の11月の事です。

まだ、日本、そして全世界が概ね平和だったころ。

皇居の中で大嘗祭が行われました。

その後、大嘗宮が一般公開となり、乾通の公開と合わせて見に行ってきました。

さて、毎度お馴染みの東京駅を徒歩で出発します。

さすがに何度も通ったルート、地図なんていりません!

こういう季節でした!

中央の人はウエディングドレス。中央分離帯で、何百人も通りかかる道路で!

まだまだ遠い坂下門。

このころは、3密 なんて度外視です。

やっと坂下門をくぐると宮殿前。今日はこちらには行けません。

紅葉はもうちょっと?

富士見多聞。

道灌豪

西桔橋(にしはねばし)からの眺め

すごい長蛇の列をついて行くと、やがて見えてくる大嘗宮(だいじょうきゅう)

まだまだ緑はきれい!

左手に眺めながら、続く列に従って進みます。

前はものすごい人々!!  ビックリです!

うんざりするほど歩いて、やっと全容が見えました!

宮内庁のチラシより

大嘗宮は、天皇陛下がご即位の後、初めて新穀を皇祖・天神地祇に供えられ、自ら

もお召し上がりになり、国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝され、ご

祈念になる大嘗祭の中心的な儀式、「大嘗宮の儀」のために造営されたものです。

 

   では、今日はここまで。まだまだ写真を撮りましたし、そもそもまだ

   到達していません~            

                                続く


たまひで いちの

2017年03月03日 22時59分33秒 | 東京散策&江戸探訪
さて、昨年末の東京で、スカイツリータウンでの昼食、
玉ひで で親子丼をいただきました♪



→ たまひで いちの

→ 玉ひで

ちょっとお高いけどタマに、だからねー!
創業254年の流れをくんで、親子丼を始めた店、さすが地鶏の親子丼は美味い!

●えーと、そのとき泊まったホテル。



部屋に入ると。。



、、、んぉっ!!? これは盗聴器?? あ、いや、違うか。



窓からは。。



前の通りは永井坂。



武家屋敷の由来だそうで、江戸期のままの地形です。



この先も坂は続き。。



この先は袖擦坂、そでが触れ合うほどの狭い坂だったのでしょうね。
ほんとに触れたら斬りあいになる危険があるのですけれど。



その皇居よりの別の坂。これも江戸期からの地形ですね。



その高い塀は英国大使館です。





宝島社の、



横はカメラ博物館。



ソコの角にある洋菓子店に行ってみました。



→ 山本道子の店

高いけど美味しかった!



ほとんどは予約なのだけど、飛び込みで買えるのも少しはあります。



旅行とかで気が大きくなっていなければ買えないね。



実は、その横に有るのが『本店』


→ 村上開新堂

見ての通り、かなり排他的です。
完全会員制で、紹介が無ければこのドアは開きません。
明治初期からこの感じだったのかな??
(手前のガラス張りが山本道子の店、正面の無愛想な中が見えないドアが村上開新堂。
  テンキーで暗証番号を入れなければ入店は出来ないみたい)



実は、山本道子の店に入った時、中のドアが開いていて村上開新堂の中がチラっと。
そこはまるでホテルのクローク、コートを預かる棚が見えたのでした。

で、そこから永井坂に戻ると。。



道はカギの感じで、まさにこれ江戸城下の路地のカタチ。







振り返ると道の形がハッキリわかりますよ。



●赤坂でコーヒーを飲んだ時、窓の外を。



みゆきさんの歌を自動ピアノが演奏していました。




 追記

愛車が壊れて、急遽に買い換えました。
それの騒動でもうテンヤワンヤ!
お金もないっ!



富士見多聞

2017年01月22日 16時51分41秒 | 東京散策&江戸探訪
ご無沙汰スイマセン。

あ、茨城出身の稀勢の里がついに!



さらに遡っては元旦の天皇杯、地元の鹿島アントラーズ!



地元の明るい話題は嬉しいデース!


●さて、昨年末の皇居一般参観、その前に訪れた東御苑です。

1、竹橋駅で降りて、東御苑の平川門を目指します。



2、平川門には、そう、あの江戸時代からのギボシが。。



3、そう言えば初めてくぐる平川門。



4、江戸時代から残る門です。



5、ここは普通に公開されているところ。
  皆さん、見た見た! と思われるでしょうが私は初めて。
  暫しお付き合いください。



6、重厚です。ここを打ち破るのは不可能かね~



7、門をくぐってもお堀。厳重ですね。



8、二の丸を目指しましょう。
  二の丸はお世継ぎが暮らした場所ですね。



9、簡単には着かない。。



10、ここにも櫓(やぐら)、厳重です。



11、この上にはかつて、総てに建物が建っていたのですが、、



12、核心部に近ずくとさらに高い石垣。



13、往時の石垣。。



14、二の丸は、今は日本庭園です。



15、各都道府県の木が、これは宮崎県ですね。



16、諏訪の茶屋。



17、かつての栄華も今はススキの野原。



18、明治初期の灯篭が保存されています。



19、ここも高い!



20、ウロウロしていたら百人番所に出てしまった。
  ここは知ってる~



21、さすがに大手門に近いと石垣もキッチリ。



22、富士見多聞の内部が初公開されていると知っていたので、
  先ずは富士見櫓の裏手へ。



23、立派ですね~



24、でも、私はこちらの方が気になるんです。



25、あっ、そうそう、富士見多聞ね。



26、これ、でかい!



27、種類は。。



28、富士見多聞。ここは一般には初公開です。



29、きれいでウットリ。



30、突入します。



31、窓から西の丸を見てみる。



32、窓は戸が付いていますね。



33、江戸時代もここから将軍様が眺めたか?



34、西の丸は、将軍が家督を譲って住む隠居所です。



35、今は、西の丸とは言わずに皇居なのですね。



36、中は、今はガランドウ。



37、かなり凝った感じ。



38、大奥近くの石室。何に使われたかは分かっていません。
  火事が多かったので避難のシェルター? なんてね!



39、天守台。



40、天守台から北桔橋門を見る。



41、この広場のあたりに大奥が展開されていました。



42、桃華楽堂。ここで宮内庁の雅楽の演奏が行われます。



43、それにしても厳重で。



44、石垣と一体になった木の根。



45、展望台に登ってみます。



46、眺めはグッド!



47、ここも、江戸時代はびっしりと屋敷があったのですね。



48、汐見坂。かつてはここから海が見えたのです。



49、かなり歩いたので帰路に。



50、大手門を目指します。



51、デカイ石垣!



52、尚蔵館はお休み。



53、大手門に着きました。



54、前回は工事中でしたから初めて見る光景。



55、さすがに大きくて!



56、50mmレンズでは入りきらない!



57、なので、ケータイで撮ってみました。



58、名残はあれど、、



59、帰らなくちゃ!



60、では、、



61、これで江戸城も見おさめ!



   、、、と、思っていたら、前回の記事、皇居の一般参観に出くわしたのでした!

  では。。