遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

草しらみ

2022-09-25 16:35:47 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年9月25日(日)

草 虱 : 薮 虱


セリ科の越年草で、原野・路傍に多く自生する。
葉は人参型で、表面に光沢のない2回羽状複葉は
厚みがある。

茎は30~70cmで直立、分枝し茎の頂に複数
の花序が付く。

5~7月頃に5弁の白い花が咲き、花弁は内側に
曲がる。

花の元に、長楕円形の実が付く.果皮にカギ状の
硬い毛が密生する。


これが衣服につくと中々取ることができない。
これを「しらみ」に喩えた。
若い実(1ヵ月ほど)は、漢方の薬用となる。
実の方が目立つので、「秋の季語」となった。

俳人の富安風生さんは、愛知県八名郡金沢村(現、
豊川市一宮町)のご出身で、彼が生家に立ち寄った
折に秋草の生える道端を歩いている時に、「草虱」
がズボンに付いてなかなか取れなかった。
子供の頃にそんな経験があり、「これが故郷なんだ
な、」という想いふける、、、、、。
そんな状景を詠んだ「草じらみ」の句がある。

俳人の名句

ふるさとのつきて離れぬ草じらみ   富安 風生

そう言えば私が小学生の頃に、原っぱで遊んでいる
時に、草の実で6,7cm位の長楕円の草の実が、
やはりズボン等衣服にくっ付いてしまい、、、、
それを互いに投げ合い、相手の服へ、「勲章、勲章」
と叫んで遊んで居た。(名は判らぬが草虱ではない)

秋黴雨

2022-09-24 16:46:04 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年9月24(土)

秋黴雨 : あきついり、秋霖

秋といえば、秋晴れ、秋日和等と素晴らしい好天を想う。
然し今年の様に、むしろ天気が悪く雨天が多い様である。
毎年9月中旬から10月中ば頃までは、「秋の長雨」と
いわれる一種の雨季に入る。(台風シーズンでもある)
秋雨はどこかうそ寒く沈み、浮き立たないようだ。


この「秋黴雨」や「秋霖」は、一層淋しい語感を含んで
いる言葉。

蕭条(しょうじょう)と降る雨は冷たく寂しい雨。
細かく、時には梅雨のように降る雨をいう。
この「秋黴雨」という季語は芭蕉の発句には見当たらず、
芭蕉の没後に用いられ始め、次第に広まっていった様で
ある。

ここ2週連続、3連休を直撃するように台風が発生して、
連休を利用して旅行に出かけようとする「行楽」の足を
止めてしまった。今回の台風(15号)は大型ではない
が、大雨が東海地方(中でも静岡県を中心に)を襲った。

土砂災害が発生し、死傷者も出ている。
我が家でも連続して、ベランダ等の物を退避させた。

明日は、学区の運動会(3年ぶり)を規模を縮小して
開催する予定である。今朝は雨も止み若干、風は強いが
何とか開催できそう、、、。

早朝から何度も天を眺め、公園の地面の泥濘状態を確か
める。体育委員の方は会場(中学校)へ出かけ、グランド
の準備(整備)を整える。
例年は午前・午後を通し競技を行い弁当も準備する。
今年は半日で人数も各町内3,40名、競争などの対抗戦
は止め、演技(玉入れ等、親子が楽しむゲーム)中心。
それでも子供達は待ち遠しい様で、不安げに空を見上げる。

今日の1句

秋黴雨天眺めをる果てもなく  ヤギ爺


秋分の日

2022-09-23 16:32:09 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年9月23日(金)

秋分の日

二十四節気の一つで、現在では9月23日頃にあたる。
太陽が秋分点に達し、春分と同じく昼夜の長さがほぼ等し
くなる日である。

秋の彼岸の中日で、この頃は秋の爽やかな日和が似合う。

以前は「秋季皇霊祭」という祭日であったが、昭和23年
(1948年)に「秋分の日」として、国民の祝日に定め
られた。
祖先を敬い、亡くなった人を偲ぶ日となって居り、家族連
れが先祖の墓に花を手向ける姿が彼方此方に見られる日。

今年は雨が多い。


秋日和はどこへやら、朝から土砂降りの秋分の日である。
熱帯低気圧が、勢力ギリギリの1000ヘクトパスカル
の台風15号となった。 大型ではないが東海地方には
「大雨洪水警報」が各地に発令された。

愛知県の東部や三重県南部には「竜巻注意情報」も出た。

カミさん買い物に出かけられず不満げである。

「お昼は、オハギを作りましょうか?」「オ、、ウン」
ここ数年、「牡丹餅」「おはぎ」(どちらも同じ?)は
和菓子やへ直行であったが、出られず止むを得ずか、、
糯米2合・粳米1合を合わせて炊き、焚き上げたら擂粉木
で半ごろし(半搗き)にする。

今回は、茹で小豆(缶詰め)が在り、これに砂糖を加え
一煮炊きを使用した。少し柔らかめ目の餡(水分多し)

味は悪くない、、、自己満足である。(カミさん)

カミさん好みの黄粉、黒ゴマのも少々作る。

早速、ご近所の婆さんにもお裾分け、、、、、

餡が柔らかく、摘まむより小皿に受け箸で食べる。
「どう、?」「ウン、美味しい、、、」
外は雨であるが、自己満足の日和で在る。


今日の1句

秋分の自己満足のおはぎ食ぶ   ヤギ爺

トリカブト

2022-09-22 16:22:36 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年9月22日(木)

鳥 兜 : とりかぶと

今日9月22日は「社日」(しゃにち)、雑節の一つ。
秋分(亦は春分)に最も近い戊(つちのえ)の日を社日という。
春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその収穫に感謝
をする日である。 各地で収穫祭などが行われる。

鳥兜は、中国原産のキンポウゲ科トリカブト属の総称。

日本には約30種類が自生している多年草である。
山中などの沢に近い湿気の多い場所に自生する。

名前の由来は、鶏冠(トサカ、鶏の頭部にある肉質冠状の突起)
に似て、烏帽子、鳥兜等という名がついた。


トリカブトの塊根を乾燥させたものは漢方薬として用いられる。
球根の周りに付いている「附子」(ふす)という部分は非常に
致死性の高い強力な毒を持っている。
全草にも毒性のある「アコニチン」という物質を含み採取時期
や、全草の部分により毒性の違いがある。
トリカブトを食べると嘔吐、呼吸困難などを起こし、時に心肺
停止により死に至ることもあると云われる。
俗に言う「ブス」という言葉があるが、これはトリカブトの中
毒で神経障害が起き、顔の表情が変形し不美人になる事に対し
「ブス」という様になったという説がある。
トリカブトによく似た葉にヨモギがある。
ヨモギは葉の裏が白く、良い香りがする。


トリカブトの葉は艶が在るが、香りはない。

今朝の中日新聞に、岐阜県高山市に在る「中部電力技術研究所」
の敷地内の一角に、薄紫色の「キヨミトリカブト」が咲いて居
たと、その画像が載っていた。

「キヨミトリカブト」は観賞用等で乱獲され「県絶滅危惧Ⅱ類」
に分類された。同所内では種の保存のため「種を採取し育てて
種を移植する方法で60株が育った。 今年その内の30株に
開花が在った。」との事である。
此処は福島原発事故以降、東京電力の「電力不足」」を補うた
めに、東西の電力会社の周波数(東50ヘルツ、西60ヘルツ)
の周波数を変換し、電力を互いに送り合う為の「電力変換所)
として、中部電力(名古屋市)が設置した設備である。
鳥兜は猛毒のイメージが強く、触れてはならない植物と思い
中々目にする事も無かったが、、、ロマンの在る話である。

今日の1句

美しき天女か魔女か鳥兜  ヤギ爺


おけら鳴く

2022-09-21 16:18:20 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年9月21日(水)

螻蛄鳴く : おけら鳴く

螻蛄(けら)はバッタ目ケラ科の昆虫。 全身は褐色で金色
に近い、短い毛がビロードのように密生する。

オケラは3cm位の弑さな泥のような色をした、コオロギに
似た昆虫で、泥溝などを這いずり廻って土砂を掘ったりする。
夜になるとジーッと沈んだ重い声でなく。(音を出している)
オケラの雌も幽かに音をだす。
季語に「蚯蚓」ミミズ鳴く(秋)があるが、蚯蚓は鳴かない。

螻蛄の前胸は卵形に膨れ硬化した前肢は幅広く、脛節に突起
が在り、この前肢で土を書分け土中を掘り進む。

草原や田畑の土中に巣穴を掘り、その中で棲む。水を含んだ
湿地に多く見られる。水分が足りなくなると一晩で死ぬと
いわれている。
螻蛄は雑食性で、植物の種子や他の昆虫、ミミズ等を捕食。
天敵は、鳥類(殊にムクドリの好物)、イタチ、狸、もぐら
蛙等と多く居る。
前肢は短く発音器を持っている。
昼は地中に潜み、夜になると地中から出て飛び火取虫ともな
る活発な昆虫である。
「おけら」は良くないイメージを持つ。「オケラになった」
とよく使われるが、このオケラは、無一文のことをいう。


俳人の富安風声さんの句集に、螻蛄の句と自評がある。

わが縋る一縷の芸や螻蛄鳴く  富安 風声 
(わがかけるいちろうのげいやおけらなく)

【螻蛄という虫、飛ぶ、泳ぐ、走る、土を掘る、木に登る、
一応何でも出来るが、下手なことを「螻蛄の芸」という。
オケラはスーパー昆虫である)

この句はそれを踏まえた句。
「わが縋る一縷の芸」とは、言うまでもなく俳句の道。
結局自分にはこれしかないという思い詰めた気持ちなのだ
が、「螻蛄鳴く」という俳諧味る季題によって、深刻な
感じは消されている。むしろ自嘲気味の道化が感じられる。
世に有用な事業に携わる人々からすれば、俳人はは世に無
用の徒であると虚子は言った。実社会を動かすことのない
たった17音のちっぽけな俳句。
然し自分はこの「一縷の芸」に縋っていてこそ、存在の意
味があるような気がする。
それをこんな形でおどけて言ってみた。】(昭和45年作)

螻蛄は何でもできる天才的な昆虫だが、自分(風声)には
これ(俳句)しかないと、卑下しお道化て見せた句。
大俳人の富安風声でさえ、この様に謙虚、、?

私のような凡人が何おかいわんや、、絶句イヤ拙句、、