フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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アルザスの不思議なカップル

2011年07月11日 | アルザス

この年、たくさんの出会いがあったことは、先述の理由からだ。 

 

そしてこの時、初めて知ったのは、フランス人もパッケージツアーで観光をするということだった。 

わたしはそれまで、いい意味での(少なくとも私はそう思っている)個人主義の国でフランス人と言えば、人と同じことをしたくないから団体行動が好きでないと思っていた。

ブラックジョークでも海に「飛び込むな」と言ったら「飛び込む」と言われている。悪く言えば「天の邪鬼」なのだが、天の邪鬼な私には、それもまた魅力になる。 

 

オリンピックを見ても団体競技はどうも弱そうである。チームワークと言う言葉がフランスにあるかどうかは判らないが、日本人と言えば人と同じことで安心する人が多いということであるから、そういう意味では対極にある国民性か?

 

果たしてそんな彼らが団体行動を取れるのか?

 

しかし小さなフランス国旗を持った日本人ガイドを先頭に、ぞろぞろと歩くフランス人団体。(その旗は鶏のマークつきの時もある)

うまく纏められるのだろうか。私はフランス人が大好きだが、とても団体のフランス人のガイドをする勇気はない。

でもフランス人のガイドを務められる方はさすがで、いちいちフランス人ひとりひとりの要望を聞いていられないとばかり、「ついてこないならほっときますよ」というような感じでマイペースで進められていた。

 

そんなガイドさんについていくと言うよりは、ガイドさんがどこにいるかくらいは分かっているとしても、それぞれが思いのままに歩いていた。

ガイドさんには申し訳ないが、そんな中でグループから遅れて歩いていたり、離れて歩いているカップルなどにも声をかけてみた。

 

ガイドさんと離れてはいけないと思う人もいれば、とびついて?会話をしてくる人もいる。

ガイドさんのことなど頭にないように、話に夢中になり、こちらが迷子にでもなったらと慌てるのである。

(事実、迷い子になった人もいる。この話はまた別に)

 

さて、前置きが長くなってしまったが、これからが本論

前述のアルザスの若奥様と一緒だったカップルについて、初めての出会いは、上記のグループ旅行に参加だったことと、この若奥さんと三人連れだったことくらいしか思い浮かばない。

しいてあげるとすると、ずんぐりむっくりのムッシュとすらっとしたスマートなマダムと言う異色とも思える組み合わせのカップルだったことだ。

 

                             

 

そしてこのマダムからメールは、出会いから一年以上経って突然届いた。

想像するに若奥さんが私のメールや写真を転送?もしくは伝えたり一緒に見たりしていたが、「やっぱり私も直接交流を」と思ったに違いない。

 

それからというもの、若奥さん以上に頻繁にメール、とりわけ、写真が多く届く。

この人に限ったことではないが、パワーポイントを使ったフランスや世界の写真のスライドショーみたいなものもよく送られてくる。

昨年は「息子の結婚式に、もし都合がよければ列席してください」と言ってきた。その時までメールで息子さんの話もなかったのにである。

もちろん行けるはずもなく、丁重にお断りをしたが、その後結婚式の写真が送られてきて、初めて息子さんの顔を見たのだった。

 

                               

 

不思議なマダムの感覚だが、「フランスに来たら、是非来てください。ゲストルームもあるから」とも言う。

 

                                

アルザスに向けて2007年に開通した新幹線(TGV東線)は、タッチの差でアルザスを訪問した時に乗れなかった。

この新線に乗りたいこともあり、ストラスブール観光も残してあるので、そのときこのマダム宅も訪問してみたい。

 

 

 

 

 

 

 


アルザスの若奥様

2011年07月07日 | アルザス

彼女のニックネームをタイトルにした。

 

彼女は両親と思われる年齢のカップルと三人組だった。

目鼻立ちのはっきりした彼女は旅行客にしては少し華やかな装いで、化粧をしない若い女性も多い中、きれいに化粧をして金髪で垢ぬけて見えた。

        

 

マダムも然りだったが、ムッシュはいかにも人の良さそうなこれもフランス人に多く見られる特徴の一つだが髪が少なく、田舎のおじさんと言った感じで二人の女性とは結び付かない不思議な三人組であった。

しかし私はこの手のムッシュがとても好きである。

 

彼女たちはアルザスから来ていると言った。前年にアルザスのコルマールと言う小さな可愛い街に行ったことを話すと「コルマールの近くよ。あなたコルマールを知っているの?」と大喜びだ。

もちろんすぐにアドレス交換した。

 

出会いの印象はこれだけであったが、その後メールのやり取りで、この時のカップルは両親ではないことが分かった。

でも仲良しで時々一緒に旅行に行くようで、昨年はオランダに一緒に行った写真が送られてきた。

 

日本食も好きで。「作ったわ」とこちらが顔負けの見事な巻きずしの写真を送っても来た。

若い人らしく、マンガから日本に興味を持ったと言うことだ。

 

 

彼女は画家で、たくさんの油絵の写真も送ってきた。道理でセンスがいいはずだ。

また「ツナミ」と名付けている犬もいて、小さな娘もいるがその時はまだ正式に結婚をしてなくて、昨年結婚式を挙げたとの知らせが写真とともに届いた。

        

ご主人は飛行機が怖くて一緒に来れなかったということだ。

 

彼女とはそんな出会いだったのだが、その年のクリスマス、サプライズがあった。

大きな箱で国際宅配便が届いた。

彼女からだった。

開けてみるとシャンパンで有名なランスの生まれだと言う彼女からシャンパンとシャンパンとともにいただくビスケット、私の大好物のベルギーブランドのレオニダスのチョコレート、それにカードが添えられていた。

      

   

 

嬉しかったのは言うまでもないが、なぜ私に?あの時少し話しただけなのにと、驚いた。

それから毎年彼女からこんなクリスマスプレゼントが送られてくるが、まだこちらはお返しらしいお返しをしたことがなく、申し訳なく思っている。

 

アルザスはまだストラスブールを訪ねていないので、次回は訪ねてみたいと思うのだが、どうなることやら?

 

 

 

 


アルザスの3人組

2011年05月24日 | アルザス

彼らとはアヴィニョン近くのシャンブルドットで初めて出会った。
ムッシュとマダムと、ご主人のお母さんの3人連れだった。

勿論車で来ていて、昼間は自由に出かけるし、夕食は外食してから宿に帰って来る。
朝食はいつも一緒になる。

アルルに行くためシャンブルドットのムシュに車で送ってもらい、ゴッホがいた精神
病院に行く途中でこの3人とすれ違った。お互いにっこり挨拶したがうれしい気分にな
った。

アルル市街の古代劇場跡などを見物し、ゴッホの有名な「跳ね橋」を尋ね郊外に行ったのち、電話をかけて迎えに来てもらった。

なお我々の学校の美術の教科書に出てきたこのゴッホの描いた「跳ね橋」のことは、シャンブルドットのムッシュも、この3人連れも知らなかった。
これは意外だった。
また現在の「跳ね橋」はオリジナルではなく、新しく作ったもので、ゴッホの描いた場所から少し離れているようだ。

日本人だけが見に行く場所になっているようで、現に私が「跳ね橋」に着いた時、バスで日本人が見物にぞろぞろやってきて、写真をパチリパチリと撮ったのち、あっとい間に引き上げて行った。

さてアルルまで迎えに来てくれたのはマダムの方だった。帰る途中とある修道院がよいと言うので、そこで降ろしてもらった。

この修道院から帰りかけると、また例の3人連れと入れ違いみたいにすれ違った。
2回目だから、「やあやあ」というわけである。

レ・ボーを見ることにして、また車から降ろしてもらった。昔、難攻不落の城塞だったそうだが、今は廃墟となっている。遠い昔は海だったのか岩石に貝殻が混じっているのが不思議だった。
それをみて駐車場に戻るとき、また3人連れとすれ違った。
当日これで3度目である。おばあさんは大喜びだった。

シャンブルドットに戻り庭で夕食をしていると、3人連れが戻ってきた。
「4度目だね。」と彼らが笑った。
ちょうどデザートになっていたので分け合って、ワインも飲んで話をした。

彼らはアルザスからやってきたという。
おばあさんはこの時80歳近くだったはずだか、どうしてどうしてなかなかしっかりしていて、シャンブルドットのムッシュと政治の議論をしていた。
おばあさんが腕組みをして、胸を張って堂々とムッシュと対等に話す姿は、政治好きのフランス人そのものだった。

あくる日朝彼らと朝食をともにし、出発する彼らと別れることになったが、それまで控えめだった奥さんが、ご主人にアドレスの交換をするように促した。
おかげで私は帰国後も、彼らとメールの交換を続けることになった。

最後に別れる前の5分間ほど、おばあさんは私に盛んに話しかけた。まるで私が日本人であることを忘れたかのように普通にどんどん話すのである。
しかし何を言っているのか、さっぱり分からない。

仕方がないのでウイウイと合わせ、おばさんが笑えばこちらも笑い、ふんふんと聞い
た。
最後の最後まで、おばあさんは私が全く内容がわかっていないことに気づくことなく車中の人となり、手を振りながら去って行った。

人柄の良さは3人共通していたが、おばあさんは一番心に残った。


そしてやがて私は彼らの誘いを受けて、次回渡仏の時にアルザスの彼らの家に行くことになる。
行ってみて、想像していたことと実際は大きく違うことが二つあった。

その一つは、私は彼らはてっきり農家だと思い込んでいた。送られてきた写真の家も大きく、「アルザス」という語感もその想像を後押ししていたようだ。
さらに告白すれば、実は奥さんの体格が大変良かったことが最大の原因であった。

しかし実際に行ってみると、農家ではなくご主人はエンジニアであり、奥さんはパリのIBMのプログラマーだったとのことではないか。
人はみかけによらないというか、外見で判断してはいけないという典型だった。

二つ目に想像と違っていたのは、私はてっきり3人同居していると思い込んでいたが、おばあさんは車で1時間以上走ったところのある町のアパルトマン一人で暮らしていた。

先に亡くなったおじいさんの、想い出の詰まった家を離れる気にはならないとのことであった。

2世代同居はフランスではまだ見たことがない。ましてや3世代同居をやである。
しかしながら、決して親子の絆が弱いということではない。


このアルザスの3人組を思い出すたびそれを強く感じ、胸が温かくなるのである。
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そして、この二年後、アルザスを訪ねることになる。


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