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ニッコウの旅のブログ
旅行の写真集
散歩の写真集

               
                    




「トルコの旅・9」
「アヤソフィア」
アヤソフィアは、東ローマ帝国時代にキリスト教の大聖堂として建設された物で、
正教第一の格式を誇る教会で、東ローマ帝国の諸皇帝の霊廟として用いられ、
後に正教会の総本山となる。その後コンスタンティノポリスを占拠したオスマン
帝国のメフメト2世は、総主教庁から大聖堂を没収し、モスクに転用した。
アヤソフィア・ジャミィと呼ばれる様になった聖堂は、オスマン帝国の君子が
毎週金曜礼拝に訪れ、帝国に於いて最も格式の高いモスクとされた。
その為、壁面を削るとキリスト教に関する壁画などが現れます。
現在は、トルコのイスタンブールに有る「博物館」になっています。
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「トルコの旅・8」
「ブルーモスクと地下宮殿」
スルタンアフメド・モスク(ブルーモスク)
トルコのイスタンブールを代表するモスクで、オスマン帝国第14代スルタン・
アフメド1世によって7年の歳月を要して建設され、世界でも最も美しい
モスクと言われ、世界で唯一6本のミナレットと直径27,5mの大ドームで、
内部には数万枚のイズニク製の青いタイルやステンドグラスで彩られ、
白地に青の色調の美しさから「ブルーモスク」と呼ばれています。

「地下宮殿・バシリカ・シスタン」
また「地下宮殿」の通称で知られる、「バシリカ・シスタン」は、東ローマ帝国の
大貯水槽です。この貯水槽は長さ138m、幅65mの長方形の空間で高さは9m、
1列に12本・28列=336本の大理石円柱で中には、メデュサの顔が彫られた
古代の石を土台にしたものもあります。ジェームス・ボンドの「007ロシアより
愛をこめて」のロケにも使用されました。





















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「イスタンブール」
イスタンブー「CEYLAN INTER CONTINENTAL ISTANBUL」ホテル
からの眺めと、街中の風景。












ここで飲んだ「エスプレッソ」コーヒーは
たいへん美味しかったです。






イギリス生まれの推理作家「アガサ・クリスティ」作のイスタンブールから
カレー行き「オリエント急行殺人事件」の舞台となった駅。






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「トルコの旅・7」
「アンカラ・イスタンブール(トプカプ宮殿)」
カッパドキアのホテルを出発し、アンカラへ300kmの途中「トゥズ湖」へ
立ち寄りました。この「トゥズ湖」は浅い塩湖で1,500km2の広さで、
殆どの塩はここで生産されます。
首都アンカラで、アナトリア文明博物館、等を見学し「アタチュルク霊廟」
(トルコ共和国の父、と呼ばれる「ムスタファ・ケマル・アタチュルク」
の霊廟)を見学の予定でしたが、
日曜日の為休館で残念でした。翌日、アンカラの「ANKARA HILTON」
ホテルを出発し、トルコ航空にてイスタンブールへ。
当日は、9:30分イスタンブー空港に到着し、最初にトプカプ宮殿を観光しました。
トプカプ宮殿(Topkapı Sarayı) は、15世紀中頃から19世紀中頃まで
オスマン帝国の君主が居住した宮殿で、旧市街のある半島の先端部分、
三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘の上に位置
しています。大きな建物を持たず、比較的小さな建物と部屋が連なり、
また、数多くの庭園と離れを持つ建造物群で、外壁内の宮殿敷地に第二の
城壁で囲まれた縦200m×横400mほどの長方形の空間がトプカプ宮殿の
本体部分で、その内部は、行政と公式行事の行われる外廷と、君主の
私生活の場である内廷、そして女性たちの住む後宮(ハレム)の3つの
部分からなっています。
イスタンブールでは見所が多く2泊して、まる3日間、観光や自由行動で
楽しみました。























オスマントルコ時代に、日本から送られた置き時計です。



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「トルコの旅・6」
「カッパドキア」
カッパドキアは、トルコの首都アンカラの南東、アナトリア高原の火山によって出来た
大地で、「妖精の煙突」と呼ばれる奇岩、ギョレメ野外博物館、洞窟教会、ハトの谷、
ウチヒサール(尖った砦)、セルべの谷、ラクダの岩、ナポレオンの帽子、と終日
カッパドキア観光。
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昼食は、キャラバンサライ風の「HANEDAN」で摂った後、ワイン販売店でワインの
テイスティング後、ウチヒサール、ギョレメの谷、カイマルク地下都市、BC4世紀
からの岩窟居住を見学し、夜は・洞窟レストラン「URANOS」で生演奏を聴きながら
食事しました。カッパドキアの「DEDEMAN CAPPADOCIA」ホテルで2泊し次の
アンカラへ向かいました。
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「トルコの旅・5
「コンヤ」
コンヤの「DEDEMAN KONYA」ホテルを出発し、コンヤ観光に出かけました。
11~13世紀小アジアを支配したセルジュークの首都として、イスラム教の政治、
文化、芸術の中心地で、神秘主義教団メヴラーナ教の総本山でも有りました。
インジェ・ミナーレ神学校(現在はイスラム関係の木彫刻、石彫刻の博物館)、
メヴラーナ霊廟・イスラム神秘主義メヴラーナ教団(踊る宗教)博物館を見学し、
シルクロードの途中、キャラバンサライ(隊商宿)の中で最大規模のスルタンハヌ
を観光し、カッパドキアへ向かいました。

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「トルコの旅・4」
「ベルゲ・アスベンドス」
アンタルヤの「SHERATON VOYAGER」ホテルを出発し、「ベルゲ」のローマ遺跡、
野外劇場、運動場、ローマ風呂、等を観光し、「アスペンドス」の野外劇場、
アジア最大級15,000~20,000人収容の古代劇場で、保存状態が良く今でも
オペラフェステバルにも使用されています。等を観光し、トロヤ山脈の峠
(1,800m)を越え「コンヤ」へ。

















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「トルコの旅・3」
「パムッカレ」
パムッカレの「THERMAL COLOSSEA」ホテルを出発し、パムッカレ観光、
ペルガモン王エウメネス2世によって造られた都市遺跡「ヒエラポリス遺跡」、
ローマ帝国の温泉保養地として栄えたが、セルジューク朝によって滅ばされ、
また大地震で崩壊し廃墟となった。都市を囲む城壁の内には、神殿、劇場、市場、
浴場、住居などの跡が残っています。
パムッカレは、トルコ随一の温泉保養地としてローマ時代から、現代に至るまで
使用されています。石灰成分を含む湯が結晶した大地の「白い石灰棚」等を観光し、
アンタルヤへ。

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「トルコの旅」
トルコは「エフェソス」の古代ローマ遺跡です。
参考までに昨日の「デジブック」画像と見比べて下さい。
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「トルコの旅・2」
「エフェス」
エーゲ海に面した、「IZMIR HILTON」ホテルを出発し「エフェス」へ。
聖母マリアの家等を見学し、エフェスの「アルテミス神殿」・港町イズミールから
南へ50km離れた「古代都市エフェス」にある「アルテミス」を奉った大規模な
神殿ですが、現在では原型をとどめていません。
エフェスのローマ遺跡や考古学博物館を見学して、パムッカレへ。
(写真をクリックし、下の右端ボタンを押しFull Screenでごらん下さい)



エフェスのローマ遺跡は、ハドリアヌス神殿、トライやヌスの和泉、
ヘラクレスの門、石畳のモザイク模様、公衆トイレ、石棺、等の遺跡。














ローマ遺跡の中央に位置するのが「ケルルス図書館」、今やエフェスのシンボルで、
四つの女神像はそれぞれ、知恵、運命、学問、美徳、を表しています。
大劇場等を観光、考古学博物館を見学して、パムッカレへ向かいました。














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