ニッコウの旅のブログ
旅行の写真集
散歩の写真集

               
                    




「世界旅行」
世界旅行の旅。















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「京都・嵐山」
平安時代、多くのみやこびとたちが別荘の地に選んだのは、渡月橋の向こうに
嵐山を望む、桂川の左岸に広がるエリアでした。当時の面影はいまに残され、
世界遺産「天龍寺」を筆頭に、竹林の小径、「大覚寺」、「二尊院」など、京都を
代表する観光スポットが集まっています。嵐山を観光後、嵯峨野トロッコ列車
(今は使われていない旧山陰本線)アールデコ調の車両で、トロッコ嵯峨駅から
トロッコ亀岡駅までの片道7.3Kmを約25分楽しみました。
春は優雅な山桜、夏は涼感の川のせせらぎとセミ時雨、秋は絢爛の紅葉、冬は
情緒な雪景色と保津川渓谷の四季おりおりの美しさが満喫できます。


























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「湖東三山」
湖東三山は、滋賀県湖東地方の西明寺、金剛輪寺、百済寺の三つの天台宗寺院の総称です。
室町時代には、敏満寺、大覚寺と合わせて「湖東五山」として栄えたが、応仁の乱や織田信長
の焼き討ちによって衰退し、敏満寺を除いて江戸時代以降それぞれ復興したが、その中で広い
寺域を保ち、紅葉の名所として著名な西明寺・金剛輪寺・百済寺だけが湖東三山と称される
ようになった。

尚、琵琶湖の東側、鈴鹿山脈の西山腹に位置し、百済寺の南東に
位置しているのが「永源寺」で、共に紅葉の名所として知られています。
(参考までに地図を表示します)






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「永源寺」
永源寺は滋賀県、瑞石山(飯高山)と愛知川(音無川)の山中に静かに佇んでいます。
開山寂室禅師の詩にも「屋後の青山、檻前(かんぜん)の流水」と詠われ、深い自然に
いだかれた幽境です。当山は、南北朝時代の興安元年(1361)に、時の近江守護職、
佐々木六角氏頼公が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)に帰依し、領内の
土地を寄進して伽藍を創建したことが始まりです。禅師が入寺、開山されると、その
高徳を慕って二千人あまりの修行僧が集い、山中には五十六坊の末庵を有したと記さ
れています。明治になり、政府の指導によって、はじめ臨済宗東福寺派に属しましたが、
後に永源寺派として独立し、坐禅研鑽、天下泰平、万民和楽を祈る道場として、全国
百有余の末寺を統轄する一派大本山となり、今に至っています。
ご本尊「世継観音」をおまつりする方丈の大屋根は、琵琶湖のヨシで葺かれています。
草葺き屋根として全国でも屈指の規模です。当山の特徴として、周囲を隔てる大きな
土塀を構えないことが挙げられます。これは権威を嫌い、終生大寺への住山を固辞し
続けたという、開山禅師の遺志によっています。







































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今年も、クリスマスがやってきます。










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「祇園・事始め」
京都の祇園では、12月13日正月の準備を始める「事始め」の日とされ、
芸妓や舞妓が、芸事の師匠やなじみの店を回って、この1年のお礼や
新年を迎える挨拶をするしきたりで年末恒例の「事始め」が行われました。


























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「百済寺」
百済寺は、滋賀県東近江市にある天台宗の寺院。山号を釈迦山と称し、本尊は十一面観音、
開基(創立者)は聖徳太子とされる。金剛輪寺、西明寺とともに「湖東三山」の1つとして知られる。
境内は国の史跡に指定されています。
琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置し、寺伝によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳
太子の建立という。聖徳太子は当時来朝していた高麗(高句麗)の僧・恵慈と共にこの地
に至った。百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したという。
百済寺という寺号から見て、この寺は渡来系氏族の氏寺として開創された可能性が高い。
平安時代には近江国の多くの寺院と同様、比叡山延暦寺の勢力下に入り鎌倉時代からは
「天台別院」と称され、1,300人が居住する巨大寺院となりましたが、惜しくも天正元年4月
11日に信長の焼討で一千坊が消滅しました。
徳川家光将軍による百済寺再建許可後、ようやく慶安3年(1650年)に本堂、山門、仁王門
等が復興されました。寺伝によると落慶記念奉納品として、将軍から極彩色の『聖徳太子
孝養像』が寄贈されました。この太子像は家光の乳母春日局(斎藤 福、1643年没)が生前
に大奥で大切に拝んでいた像であると言われております。
又、『天下遠望の名園』百済寺は別称「百彩寺」と称されサクラ、ツバキ、シャクナゲ、
ツツジ、サツキ、 フジ等の咲き誇る寺でもあり庭園としても有名です。



























「紅葉の時期の写真」












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「忠臣蔵」
元禄15年12月14日の晩(今の時刻では15日の午前4時頃だが、当時は明け方から1日 が
始まる感覚があったので14日深夜と考える)、赤穂浪士47名が吉良上野介邸に 押し入り、
上野介を殺害して主君の仇を討ちました。


























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「現存天守は日本全国で、12城」
現在も当時の建築物として残る現存天守は日本全国で12城のみで
国宝が4つ、重要文化財が8つです。
なかでも姫路城はユネスコ世界遺産に登録されています。

「国宝」
松本城、犬山城、彦根城、姫路城、

「重要文化財」
弘前城、丸岡城、松江城、備中松山城、丸亀城、
松山城、宇和島城、高知城、

(写真は、「国宝」から順番に表示しています)

「国宝」









「重要文化財」
















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「西明寺」
西明寺は滋賀県犬上郡甲良町にある天台宗の仏教寺院で、山号を龍応山と称し、
本尊は薬師如来、開基は三修上人です。金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」
の1つに数えられ、西国薬師四十九霊場第三十二番札所です。
承和3年(836年)には仁明天皇の勅願寺となり、寺領が寄進され、諸堂が建築
されたという。現存する本堂、三重塔は鎌倉時代の本格的な建築であり、この
頃にはかなりの規模を有していたものと思われます。
また西明寺は、11月頃に咲く、天然記念物樹齢250年の「不断桜」でも有名です。

























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