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葵祭りの、行列の中で最高位の人は勅使です。
立派な束帯姿に金色の飾太刀をさし、
華麗な馬面を付けた唐鞍を載せた馬に乗っています。
本来は、勅使が、下鴨、上賀茂両神社に、
天皇の祝詞を読み上げ、お供え物を届けるのが
目的なので、葵祭りの本当の主役は勅使といえます。
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現在の牛車は、霊元天皇から下賜された、
周囲を軒から紫の藤の房と、カキツバタの花で飾り付けたものです。
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葵祭り、最大のハイライトは、勅使用の牛車で行列を
一層華やかなものにしています。
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現在の斎王代は、民間の未婚の女性から
選ばれる事になっています。
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其れを、昭和28年に祭りの復活後、
行列を華やかに盛り上げるために
斎王代を中心にした、女人列を加えた。
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以後、葵祭りは勅使は出るものの、
斎王が復活する事はなかった。
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後鳥羽院と鎌倉幕府との政変(承久の乱)
で途絶えてしまいました。
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初代の斎王は、有智子内親王で鎌倉時代の初めの、
礼子内親王(後鳥羽院皇女)まで、約400年続いた。
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斎王の始まりは、平安時代の初期(810年)弘仁元年、
嵯峨天皇は伊勢神宮の斎王にならって、
賀茂の社にも斎王を置いたのが始まりです。
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斎王は、かつて伊勢神宮や、賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王、
女王のことです。
平安の昔、賀茂祭りと言われる、葵祭が国の祭りであった頃、賀茂の宮には斎王がおられ、葵祭に奉仕しておられた。
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