ニッコウの旅のブログ
旅行の写真集
散歩の写真集

               
                    




「白山平泉寺」
白山平泉寺旧境内
「苔寺」とも呼ばれる白山平泉寺、境内は一面に緑のじゅうたんが敷かれたように美しい。
白山国立公園に含まれ、参道は「日本の道100選」にも選ばれています。















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「ユングフラウヨッホ」
スイスは「ユングフラウヨッホ」を観光した時の写真です。
ユングフラウヨッホの標高は3466mスイス、ベルナーオーバーラント地方の山で、クライネ・
シャイデックからユングフラウ鉄道がユングフラウヨッホ駅まで結んでいます。
標高3454mのユングフラウヨッホ駅は、ヨーロッパで最も標高が高い鉄道駅で、2012年に
はユングフラウ鉄道全線開通100周年を迎えました。
駅から氷のトンネルを抜けると、一面銀世界です。ユングフラウ山地を構成するのは、オーバー
ランド三山の3つの頂で、「ユングフラウ」・「メンヒ」・「アイガー」です。
近年、駅から高速エレベーターで直接アプローチできる崖の天辺の展望台は、標高3571メートル
の高さから360度のパノラマを堪能できるガラス張りの展望台です。























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「クリスマス」
今年も、クリスマスがやってきました。
クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う祭で、毎年12月25日にお祝いします。
ただし、キリスト教で最も重要な祭と位置づけられるのはクリスマスではなく復活祭です。
クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ
日に数えられ、教会では降誕祭といった表記もあります。
日本では、1552年(天文21年)に、現在の山口県山口市において、カトリック教会の宣
教師であるコスメ・デ・トーレスらが、日本人信徒を招いて降誕祭のミサを行ったのが、
日本で初めてのクリスマスです。しかし、その後江戸幕府の禁教令によってキリスト教は
禁止されたことで、明治の初めまでの200年以上の間、隠れキリシタン以外には全く受け
入れられることはなかったようです。
現在では、一般的に年中行事としても楽しまれ、ジングルベルなどのクリスマスソングは
多くの人に親しまれています。













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「氷見の旅」
以前、寒ブリを食べに富山湾沿いの「氷見」へ行ってきました。1月下旬頃、京都からサンダーバードで
高岡下車、辺りは大雪で氷見線に乗り換えて終点氷見まで行く予定が、大雪の為ラッセルが間にあわず
不通となり、仕方なくバスで氷見の宿迄行きました。
寒ブリを美味しく頂き、帰りは氷見駅から帰る事が出来ましたが、雪国の人々は大変な苦労だと感じました。


















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今年も後わずか!!

ハロウインも終わり、そろそろ北の国からサンタさんが
やって来る時期となりました。


















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「ベートーベン:交響曲第九番」
ヘルベルト・フォン・カラヤンをして「世界一の響き」と言わしめたザ・シンフォニーホールは、朝日
放送創立30周年記念事業の一環として1982年に開館した「日本初のクラシック専用ホール」です。
12月12日(火曜日)ザ・シンホニーホールへ年末恒例の「ベートーベン:交響曲第九番」の演奏と
「合唱」を聴きに行ってきました。
指揮者:角田鋼亮、ソプラノ:四方典子、アルト:山田愛子、テノール:二塚直紀、バリトン:三原剛、
京都市交響楽団、合唱は、大阪フロイデ合唱団です。
写真を少し掲載します。    尚、演奏中の写真は禁止なので、全て演奏前の写真です。

























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「板東俘虜収容所」
以前、鳴門市の「鳴門市ドイツ館」を見学してきました。
1914年、第一次世界大戦で日本軍はドイツの極東根拠地・中国の青島を攻略しその時に、約4700人の
ドイツ兵が戦争捕虜となった。あまりにも多いので、北海道を除く全国各地の都市に点在する収容所に
振り分けられ、新しい俘虜収容所の準備が整い次第、彼らは段階的に仮設収容所から輸送されていった。
その一つが、徳島県鳴門市大麻町桧(旧板野郡板東町)に開かれた俘虜収容所で、1917年から1920年
までの間、合計約1,000名の捕虜が収容され、収容所長は松江豊寿陸軍中佐(1917年以後同大佐)で、
松江は捕虜らの自主活動を奨励し、多数の運動施設、酪農場を含む農園では野菜を栽培していました。
また捕虜の多くが志願兵の民間人で、彼らの職業は家具職人や時計職人、楽器職人、写真家、印刷工、
鍛冶屋、靴職人、肉屋、パン屋など様々で、彼らは自らの技術を生かし製作した“作品”を近隣住民に
販売するなど経済活動も行い、ヨーロッパの優れた手工業や芸術活動を披露した。

また、文化活動も盛んで同収容所内のオーケストラは高い評価を受け今日でも日本で大晦日に決まって
演奏される、ベートーヴェンの交響曲第9番が日本で初めて全曲演奏されたのも、板東収容所でした。
このエピソードは「バルトの楽園」として2006年映画化もされています。

それから50年の時を経た昭和47年(1972年)、多くの元捕虜たちから寄付や資料の提供を受けて
「鳴門市ドイツ館」が完成しました。
この板東俘虜収容所についてはドイツ人捕虜のお墓を13年守り続けた日本人主婦の話やフランクフルトで
「バンドーを偲ぶ会」が行われていた、など数々のエピソードがあります。


























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「石道寺」
湖北随一の紅葉の名所として知られる「石道寺」と「鶏足寺」。
石道寺は、滋賀県長浜市にある真言宗豊山派の寺院で山号は己高山、作家井上靖が、小説
「星と祭」の中で当寺の観音像の姿を村の若い娘に例えたことで知られています。
旧木之本町の東方にある己高山(923m)の山頂および西麓一帯には、古代から中世にかけ
て多くの寺院が建立され、天台系山岳信仰の聖地でありました。
石道寺の本尊は、平安中期の作の十一面観音菩薩(重文)で欅材の一本彫で極彩色が施され
ており、今も唇には紅を一すじ残しています。子授けの観音としても有名です。










「鶏足寺(旧飯福寺)」
鶏足寺(旧飯福寺)は、735年僧行基によって開基された古寺です。いったん荒廃するも
799年、最澄により再興し山岳仏教の聖地として威容を誇った己高山鶏足寺別院の一つで、
中世には僧兵を擁するほどの大寺で、時の権力者の庇護を受け安定した寺運を続けました
が、江戸幕府の終焉とともに衰微し、現在は廃寺となっており、普段は地域住民の手によ
って管理がなされています。 ゆるやかな参道の石段、苔むした石垣に二百本のもみじの
古木が幽玄な情景を醸し出しています。 伝来した本尊(十一面観音立像)は、古橋地区に
ある己高閣に安置されています。
「己高閣」
己高閣はかつて己高山に構えていた寺々の寺宝を納めるため、昭和38年に建てられた滋賀
県最初の文化財収蔵庫です。 鶏足寺の十一面観音をはじめ、数々の重要文化財が収められ
ています。世代閣は、平成元年秋に開館され世代山戸岩寺の薬師如来立像をはじめ多くの
仏像仏画や古文書類が収納されています。


















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