goo blog サービス終了のお知らせ 
ニッコウの旅のブログ
旅行の写真集
散歩の写真集

               
                    







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「和歌山城」
和歌山城は、天正13年(1585)豊臣秀吉が紀州を平定し、弟の秀長に命じて
虎伏山に建設したのが和歌山城の始まりです。秀長は大和郡山を居城としていた
ため、桑山重晴が城代を務めていたが、秀長家が途絶えると桑山氏が城主となる。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が37万6千石の領主となり、
大規模な増築を行うと同時に、城下町を整備した。元和5年(1619)徳川家康の
十男、頼宣が55万5千石を拝領して入国し、御三家紀州藩が成立し、八代将軍
吉宗、十四代将軍家茂を輩出しました。
天守閣へ登る道には紀州青石(緑色片岩や緑泥片岩)が敷きつめられています。





















コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「休暇村紀州加太」
先日、和歌山・休暇村紀州加太へ行って来ました。泉南ICで高速道を降り、
R26、R65、経由で瀬戸内海国立公園、紀淡海峡を見下ろす山上の宿、
休暇村紀州加太へ、春の桜鯛を楽しみに行って来ました。
途中、道の駅「とっとパーク小島」に立ち寄りましたが「海釣り施設」
展望デッキ、釣りデッキ(有料)が有り、釣り人には最高の場所です。






















コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「滋賀院門跡」
琵琶湖のほとり滋賀院は、滋賀県大津市坂本にある天台宗の寺院で比叡山
延暦寺の本坊(総里坊)です。滋賀院門跡とも称し、本尊は薬師如来です。
この寺は、1615年(元和元年)江戸幕府に仕え「黒衣の宰相」天台宗の
僧天海が、後陽成天皇から京都御所の高閣を賜り移築され、1655年
(明暦元年)後水尾天皇より「滋賀院」の号を賜った。しかし残念な事に
明治11年火災により焼失し、現建築は明治13年に延暦寺の山上にあった
比叡山無動寺谷法曼院の建物3棟が移築再建されました。




約1万平方米の敷地に、御成門(勅使門)、内仏殿、宸殿、二階書院、
庫裡、台所、通用門、それに6棟の土蔵からなり、宸殿と二階書院に
面した庭園が有り、外観は堂々たる石垣(穴太衆積み)の上に土塀が
めぐらされ、天台座主の御座所で地元では滋賀院御殿と呼んでいます。
見どころは、狩野派、渡辺了慶作の襖絵や、小堀遠州作の庭園が見事。
余談ですが、3月16日放映の、NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」で、
木村卓也ふんする官兵衛と、畑を鍬で耕す西田敏行のシーン等が裏の畑で
撮影されました。




















「穴太衆積み」とは、比叡山のお堂の基礎の石組を担当した「石工」の
集団が「穴太(あのう)村」の者であった事から名付けられた、自然石の
組み合わせのみで積み上げ、西は九州、東は関東、北陸までの城の石垣を
担当していたが現在は坂本で一軒のみが技術を継承しています。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「京都・南座」
今日、京都南座へ「三月花形歌舞伎」を身に行って来ました。
「吹雪峠」「素襖落」「与話情浮名横櫛」「御摂勧進帳・一幕・二幕」
「京鹿子娘道成寺」等を観劇しました。


























コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「万博公園」
今日(3月15日)茨木の万博公園へ「梅まつり・16日迄」に行ってきました。
天候はもう一つでしたが、白やピンクの梅の花が綺麗に咲いていました。
万博の梅まつりも、3月16日で終わりの様ですが、もう少し花を付けて
いるのではないかと思います。
万博の梅を、スライドにしましたので、ご覧ください。




























コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「有馬温泉の旅」
有馬温泉は、兵庫県神戸市北区(旧摂津国)にある温泉で、日本三古湯の一つであり、
江戸時代の温泉番付では当時の最高位である西大関に格付けされ、名実ともに日本を
代表する名泉の一つです。地質的には、活断層である有馬高槻構造線の西端にあるため、
地下深くまで岩盤が割れており、その割れ目を通って地下深くから温泉水が噴出して
いる構造で、温泉街は標高350m ~500mに位置しており、かなりの急斜面にあって、
街中を通る道も細い為、大きな旅館やホテルは温泉街の周辺や少し離れた山麓にあります。
泉質は湧出場所により異なり、塩分と鉄分を多く含み褐色を呈する含鉄塩化物泉、
ラジウムを多く含む放射能泉、炭酸を多く含む炭酸水素塩泉の3種類がありそれぞれ、
湧出口では透明だが、空気に触れ着色する含鉄塩化物泉(赤湯)は「金泉(きんせん)」
と呼ばれ、それ以外の透明な温泉は「銀泉(ぎんせん)」と呼ばれています。

























コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「北海道ドライブの旅」
北海道は道東を旅した時のスライドです。伊丹空港から北海道は、とかち帯広空港へ
飛び、レンタカーにて3泊4日の旅でした。7月上旬、富良野ラベンダー、美瑛の
自然を楽しみ層雲峡温泉へ。
翌日は、網走経由でオホーツクの海を眺め、小清水原生花園、オシンコシンの滝を
観光し、知床温泉へ、
翌日は、知床峠を通り羅臼経由で、野付半島、開陽台、摩周湖、屈斜路,砂湯等を
観光し、阿寒湖温泉へ、
翌日は、阿寒丹頂の里、釧路、厚岸、厚岸グルメパークで美味しい牡蠣を食し、
釧路へ戻り釧路空港から帰途につきました。車の総走行距離は、920kmでした。

























コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





「春の京都御所」
東大寺のお水取りが終わり、四月に入れば春本番、桜の見頃です。以前、御所の一般
公開時に参加した時のスライドです。
今年も、京都御所春季一般公開が、平成26年4月9日(水)から4月13日(日)までの5日
間行われます。09時開門で午後3時30分閉門です。参観者は、「宜秋門から参入し,清所門
から退出することになっています。又清所門の最終退出時刻は午後4時15分となっています。





























コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「東大寺・お水取り」
奈良県にある東大寺二月堂で毎年行われる行の一つ。正確には修二会(しゅにえ)
と言います。例年、3月1日から14日まで本行が行われ、終わるころには冬が
明けていることから、春を告げる行事とも言われています。
奈良時代から続く伝統行事で、752年以来、途絶えたことがなく、練行衆がお堂入り
したあと、燃えさかる松明は舞台の欄干に掲げられるが、これがお水取りの中で最も
有名な「おたいまつ」と呼ばれる場面。降り落ちる火の粉が無病息災をもたらすと
言われていることから、たくさんの参拝客が集まります。









「東大寺・二月堂」
二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の
戦火には焼け残ったが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、
2年後に再建されたのが現在の建物です。旧暦2月に「お水取り(修二会)」
が行われることから二月堂の名があります。本尊は大観音(おおかんのん)、
小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見る
ことを許されない絶対秘仏で、建物は2005年12月、国宝に指定されました。
現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月
1日から行われていたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」
と呼ばれるようになった。また二月堂の名もこのことに由来している。









「二月堂・お水取り」
お松明は、本来、二月堂に上堂する練行衆の道明かりとして灯されるので、
12日の籠松明が有名だが、修二会期間中の3月1日から3月14日に毎日
あげられています。12日と14日以外は19時に大鐘が撞かれ、それを合図に
「お松明」が始まる。通常10本の「お松明」があがるが、 12日だけは、
11本の「お松明」があげられ、12日の籠松明ともなると、長さ6mほどの
根付きの竹の先端に、杉の葉やヘギ・杉の薄板で籠目状に仕上げ、直径1m
ほどの大きさの松明に仕上げられます。









コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


   記事一覧画像一覧読者一覧フォトチャンネル一覧