たそがれ縁側日記

ボケ老人の独り言

景観権

2006-03-31 11:54:34 | Weblog
 住宅地域や小中学校、幼稚園、保育園などに近接して高層マンションなどが建設される場合に常に問題となるのが「日照権」である。建設される建物のために、冬至の日に定められた時間日陰になる場合は、建物の高さを低くして日照を妨げないよう建築基準法や自治体の条例で義務づけられている。しかしこれらの条件がクリアされても建設に際して地域住民とのトラブルは絶えない。限られた土地に許される範囲の部屋数を確保したいマンション業者と少しでも低くさせようとする地域住民とのせめぎ合いが起こる。またマンションが合法的に建てられても地域の生活環境が劣化するなどの理由から建設反対の声が起こる。
 このたび最高裁が「景観権」を認める判決を出した。住民が良好な都市景観の恩恵を受けるという景観利益は法律上保護する価値があるというものだ。歴史的、文化的環境を形作り、豊かな生活環境を構成する都市景観には客観的な価値があるとするが、では具体的にどの程度のものがこれに当てはまるのかを判定することは極めて難しい問題だ。現にこの訴訟においては「景観権」を侵害するほどの違法性はないとの判断が下されているようである。
 行政指導では建設に当たって業者と住民が十分な話し合いをするよう求めているが、経費と時間に制約のある業者が建築確認の下りていることを理由に見切り着工するケースが後を絶たない。景観権のような、ある意味では主観的な価値観をどう判断していくのか、判例の積み重ねを待つより方法がないのかも知れない。

坂東三十三観音巡り

2006-03-30 10:27:33 | Weblog
 3月26日から坂東三十三観音巡りをした。今回は関東平野の東北部方面、日輪寺から佐竹寺、観世音寺、西明寺、楽法寺、清滝寺、大御堂、龍正院、円福寺へと、八溝山から筑波山、銚子にかけて回った。東京の隅田川近辺は三分咲きくらいの桜も見かけたが、山間部ではやっとつぼみが赤らみ、まだチラホラ程度であった。都会の喧騒を離れ、山間部の田舎道をバスに揺られて走るのは気持ちが和む。
 定年後、四国八十八か寺巡り、西国三十三観音巡りをやってきた。古びた山門をくぐり、石段を登り、本堂にたどりつく。清水で手を清め、口をすすぎ、ロウソクを灯しお線香をあげる。それから本堂に立って合掌する。現在の心境は請願成就というよりは、これまで無事来させていただいたことに対する感謝の心を伝えることの方が強い。家内安全、無病息災を願う気持ちもあるが、先ずは感謝の念を伝えることを第一としている。
 筑波山の中腹からは美しい夕日を眺めることができた。西の空には夕暮れの薄いモヤがかっていて、輝きを失った真っ赤な夕日が静かに沈んでいく光景は、ちょうど人生の終わりを迎えている今の自分を象徴しているように思われた。一瞬ではあるが久しぶりに静かで澄んだ心境になることができた。

「君が代」でストレス障害

2006-03-25 09:46:50 | Weblog
 公立学校の教員で病気休職、とりわけ極度のストレス障害など精神疾患が増えている。背景として卒業・入学式の「日の丸・君が代」強制が見過ごせない。君が代斉唱を強制する東京都などの教育行政が、教員らの精神をむしばんでいる側面もある(3月24日中日新聞夕刊)。
 平成15年10月東京都教育委員会は都立校教職員の「君が代」斉唱を義務付けた通達を出した。それ以降、「君が代」斉唱に加わるか拒否するかで悩む教職員が極度のストレス障害に落ち込むケースが増えているという。「君が代」をなぜ拒否するのか、その点が分かりづらいが、「君が代」を斉唱するよう強制することは教師の思想信条の自由や良心をも束縛することになるという考えのようだ。生徒と教師が一体となって行う式典において、「君が代」を歌いたい者は歌い、そうでない者は着席したままでいるなどということはあってはならないことだ。だったら「君が代」を式典に取り入れないことだとの声が聞こえてきそうだが、それは「君が代」を歌いたくない一部の者の一方的な意見に過ぎない。国歌を敬虔な気持ちを抱いて斉唱するのは世界中どの国においても当然のこととして行われている。
 教師は、何の制約もなく、全く自由に自己の思想信条や良心に従って教育に携わるべきだという考え方も一部にはあるが、教育委員会の定めた方針や諸規定の枠内で行わなければならないのも法治国家としては当然のことではないか。

愛国心

2006-03-24 09:27:50 | Weblog
 オリンピックや世界選手権大会で日本選手が優勝し表彰台に立ち、「君が代」が演奏され日章旗が掲揚される場面では誰しも胸がジーンと熱くなるのを覚える。しかし国内では教育現場において、式典の際「君が代」斉唱や国旗掲揚で校長と教諭の間でもめることが今でもある。
 与党の教育基本法改正検討会では「愛国心」の表記方法をめぐり意見が対立している。「国を愛し」と言う表記は「戦前の国家主義を想起させる」との理由から反対するグループ、「国を愛し」の表記をあくまで主張するグループがあり、その妥協案として「日本国民としての自覚と責任」という表現が浮上してきているようだ。
 「国を愛する」ことと戦前の誤った国家主義へ逆行することとを結びつけて考えるのはどう考えても短絡的だ。戦後60年、日本はひたすら民主主義の道を歩み、戦前の軍国主義を強く否定してきた。しかし反省のあまり日本人としての誇りまで薄らぐ傾向にある。「国を愛する」「国を誇りとする」というしっかりした信念があってこそ国際人として諸外国と対等に接することが出来るのではないか。

パワハラ

2006-03-23 07:00:26 | Weblog
 東京都労働相談センターの調査によると、上司が職務上の地位や影響力を背景に職場で嫌がらせをするパワーハラスメントがあった企業が東京都内でほぼ6社に1社の割合に達するという。調査結果によると、上司が「仕事の失敗や実績の低さについて執拗に部下を追及する」ことが社内で問題になったと答えた企業は1.6%、「問題になったことはないが実態としてある」と答えた企業は16.0%だった。大声で怒鳴る上司が問題となった企業は2.2%、問題化しなくてもそうした実態があった企業は14.6%だった。
 この調査結果から見て考えさせられるのはパワハラの中身だ。上司は常に業績を上げるよう部下を指導し監督する立場にある。特に昨今のように成果主義が重要視される中では管理監督者自身が重圧を感じて毎日を過ごしている。部下を厳しく指導する際に、パワハラになるかどうかの判断基準は極めて難しい。本来の業務上の指導か、それとも別の要素が入った感情的なものかの線引きは部下の受取り方次第ともいえる。しかし、厳しい営業活動の中で、このようなデリケートな問題にいちいち気を使って部下を指導監督していかねばならない上司の苦労も大変だ。

日本野球世界一

2006-03-22 06:19:18 | Weblog
 午前11時から午後4時までテレビにはりついて観戦。強豪キューバに対し日本は初回から一挙4点を取ったが、その裏すぐに豪快なホームランで一点を返された辺りでは幾分不安な気持ちがあったが、その後の松坂投手の完璧な投球は安心して見ていられた。あの素晴らしい出来ではキューバの打線といえども打てないだろう。5回にはさらに2点追加、すぐに2点返されたものの9回にはダメ押しとも思える一挙4点を取りここで勝利を確信した。王監督の選手起用がズバリ当たり、3番へ上げたイチローの攻守とも活躍が目立った。その他、挙げればきりのない各選手の活躍は胸を打つものがあった。
 今大会は首の皮一枚がつながって準決勝進出がなったが、その後は一転して日本の強さを世界に見せつけた。今大会中日本にたった1回負けただけで決勝進出がならなかった韓国に対してもこれで面目が立った。
 日本での野球はこのところサッカーに押され気味であるが、今回のWBCはテレビの報道で見る限り全国で盛り上がっていてようだ。米国審判の誤審が大きく話題となったが、今ではこの腹立たしかった誤審もユーモラスに感じるのも優勝を果たした気分のゆとりのなせる業か。

フランスの雇用対策問題

2006-03-21 09:39:38 | Weblog
 フランスでは25歳未満の失業率は20%で、全体の約2倍あり、移民系住民の多い都市郊外では37%とさらに高いという。このため仏政府は若者の雇用を促す狙いで「初回雇用契約」を提案した。これは、企業が26歳未満の雇用者を2年間の試用期間内は理由なく解雇できる内容である。
 フランスは終身雇用制が定着しており、一度雇用すると解雇するのが難しいので、企業は若者の採用を手控える傾向にある。「初回雇用契約」はこうした事態を打開するため、企業に若者を雇用しやすくするため打ち出したものだ。しかし学生団体がこれは、雇用を不安定にするものだと大反対運動を展開し、全国統一デモを行った。その一部は暴徒化し車両などを破壊する様子が放映されている。
 テレビが日本の学生に、この問題について意見を求めた中に、「2年間、会社のために誠意をもって仕事に励めば正社員になるチャンスもあるのでいいのではないか」と言っていたが、やはり国情に違いがあるのか、考えさせられる問題ではある。

韓国にやっと勝てた

2006-03-20 09:56:32 | Weblog
 WBCは米国の思わぬ敗退で準決勝進出が転がり込んできた。準決勝では三たび韓国との対戦。今大会日本はまだ韓国に一度も勝っていない。日本としては意地でも負けられない試合だ。
 上原の好投で6回まで韓国を無得点に抑えて来たが、日本も度々のチャンスにもかかわらず無得点。いやなムードを感じていた。7回松中二塁打、多村が送りバント失敗で三振。一瞬今回もダメかと思った。そこで送り込まれたのが代打福留。今大会は不振で打てず今日は先発からはずされていた。しかし福留は王監督の期待に応えツーランホームラン。これで一気に盛り上がり、いけいけムードでこの回一挙5点。結局6対0で日本の決勝進出が決まった。
 負けた韓国は初めての一敗で決勝進出ができなくなった。WBCの取り決めとは言えなんとなく割り切れぬ気持ちになる。選手達もあれだけ戦ったのに気の毒だ。日本はなにがなんでも明日キューバに勝ってアジアの力を見せつけねばならない。

お伊勢さん

2006-03-19 10:13:39 | Weblog
 一昨日から鳥羽方面を旅行し、昨日は伊勢神宮を参拝した。伊勢神宮では2,013年に20年に1度の第62回式年遷宮に向けて準備が進んでいる。昨年はご神木3本が長野県上松町から切出され、内宮に「川曳き」で運び込まれた。現在ご神木は神域内の五丈殿に安置されている。この遷宮のためのご用材は全部で1万本近いヒノキ材を必要とするそうだ。
 伊勢神宮は日本人の心の原点である。巨大な杉木立に囲まれ、森閑とした雰囲気のなか、参道の玉砂利を踏みしめて歩いていていると心が洗われ清々しい気分になる。参道では東南アジア観光ツアーの一団に出会った。観光ガイドが時々立ち止まってはハンドスピーカーで観光案内していた。広大な森に溶け込むように白木の大鳥居と社殿があるだけで、色彩的は派手さのない神宮が外国人の目にはどのように映るのだろうか。
 参拝後門前町の「おかげ横丁」を見て歩く。未だ春浅く、観光シーズンほどの賑わいはないが、それでもかなりの人が道の両側に並ぶ土産物店に立ち寄っていた。赤福本店でぜんざいを食べる。心の古里へ戻った心持になった。

「蛍の光」は消えてしまうのか

2006-03-17 09:45:31 | Weblog
 今年も小中学校の卒業式が終わった。卒業式といえば「君が代」に始まり、「仰げば尊し」、「蛍の光」が定番だった。この曲を聴くと担任の先生、あの教室の黒板やチョークの粉、運動場の鉄棒などが直ぐに浮かんでくる。この三つの曲と卒業式は一体となってインプットされている。先輩も後輩もこの曲に送られて卒業していった。
 時は移り、年々これらの曲は歌われなくなって来たようだ。歌詞が難しいのか、古臭いと感じるのか。「蛍雪」「わが師の恩」などの言葉は今時はやらないのか。そもそも卒業式がおごそかに行われることが退屈なのかも知れない。
聞くところによると埼玉県の中学の校長先生が作詞し、音楽の教師が作曲した「旅立ちの日に」が大変人気があり多くの学校の卒業式で歌われているという。その他ポップス調のもの、歌謡曲やアニメの主題歌なども人気だそうだ。明るく楽しく門出を祝う式典の方が現代っ子には気に入るのか。
 卒業式が厳粛な雰囲気の中で行われ、先生や友達との別れの悲しみに包まれることばかりが良いとは思わないが、長年の伝統を受け継だ式典の印象を若者の心に刻むのも大切なことではないか。おじいさんもおばあさんも、お父さんもお母さんも卒業式のやり方は同じだったというのが伝統だと思うのだが。